新コーナー、「箱ハコアザラク」! | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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ロックを中心とした昔話、新しいアフロ・ポップ、クラシックやジャズやアイドルのことなどを書きます。

 CDのボックス・セットについてのコーナーを立ち上げます。題して、「箱ハコアザラク」。

 私が買ったことのあるボックスのことを毎回ひとつ、お題にします。三方背のスリーヴ・ケースに入ったものも、曲を適当に詰め込んだだけのブツなんかも扱う予定です。ただし、原則として1990年代に発売された箱を対象とするので、今世紀に入ってからアーティストのディスコグラフィーに加わった作品や、アルバムのスーパー・デラックス版は除外します。私がほとんど手を出してないからです。


 じつは、コーナー名には「Box Set Go」を予定していました。1990年代初頭にザ・ハイというマンチェスターのバンドがいて、彼らの代表曲がそんなタイトルだったのですね(ready, set, go!をモジったのでしょうけど)。
 でもボックス・セットにまつわるコーナーにつけるには少々ストレートすぎて、ほかに何かないかなと考えたすえに、思いついたのが「箱ハコアザラク」。元ネタは1970年代後半に『週刊少年チャンピオン』の黄金期の一翼を担ったホラー漫画、『エコエコアザラク』です。主人公の黒井ミサが、たいへん可愛くて恐ろしい女の子でした。

 当ブログには「気まぐれオレんちCD」なるコーナーがありまして、目を閉じてCD棚から選んだアルバムについて下調べせずに実況で記事を書く、という試みを隔月で続けてきました。あれって意外とシンドイんです。下調べなしで書くと後からボロが出て、自分の恥を世間様に晒すことにもなります。
 なので、その「気まぐれオレんちCD」は隔月刊から季刊程度に更新の頻度を減らします。ピタリとやめてもいいんですが、わりと面白いところもあるのです。
 というわけで、今回は「箱ハコアザラク」の序章として、ボックス・セット全般について書いてみます。

 ボックス・セットはCDの時代に作られるようになったフォーマットではなく、それ以前からLPでもありました。
 たとえば、こちらの記事で書いた5枚組の『沢田研二大全集』なんかもそう。各レコードがヒット曲集やライヴ音源集などのテーマを持つ、充実した箱です。ジュリーがタイガースでデビューして10年目であり、シングル「勝手にしやがれ」の大ヒットを飛ばした1977年末に発売されたもので、そうした節目やヒットの記念に制作されるボックスは演歌にもあったと思います。
 また、イージー・リスニングや映画音楽、クラシックの入門編的な箱もレコード屋の店頭で見かけたし、通販のみで流通する企画物も新聞や雑誌に広告が載っていました。
 そうした箱はコンピレーション・アルバムの豪華版でした。その性格はCD時代に入ってからも残っていましたが、もっと作品として独立した意義と視点を持つボックスが増えました。ボックスが単にヴォリュームのあるコンピレーションにとどまらず、レア音源を求めるマニア心理や探求心を満たすフォーマットにもなったのです。

 ボブ・ディランの『バイオグラフ』(LP5枚組、CD3枚組)は1985年の発売でしたから、ロックのCDボックスでは早い例だったと言えます。もっとも、85年だとCDプレイヤーもまだ普及はしていなかったので、新しいメディアを意識した企画だったとは断言できません。LPでの発売がメインで、CDはサブ・マーケットとして視野に入れていたのでしょう。
 『バイオグラフ』はレア音源を収録してはいるものの、曲順などに意図(コンセプト)のつかみかねる部分が多い作りでした。よく言えば気ままで楽しく、悪くいうとムラがあります。その両方がディランらしくて私は今でも大好きな箱なのだけど、『グレイテスト・ヒット』第1集や第2集のようにディラン入門者にお薦めできる作品ではありません。
 ただ、CDのボックス・セットにおいて、ディランが先駆者にあたるアーティストだったことは興味深いです。彼は1991年になると、より明確にアーカイヴ的なコンセプトを強めた『ブートレッグ・シリーズ』の企画を始めます。

 その前の1990年にはバーズの変遷をレア音源も混ぜて的確に辿った4枚組ボックス、デレク&ザ・ドミノスの『いとしのレイラ』のセッションを紐解く3枚組ボックス、シングルB面曲も収録したエレクトリック・ライト・オーケストラの3枚組ボックス、ジャケット写真に驚かされたロバート・ジョンソンの2枚組ボックスなどが、音楽マニアを唸らせました。

 E.L.O.はLP時代にも箱を出していたのですが、それらは既発のアルバムを集めたもので、意味合いが異なります。

 また、ほかにもレッド・ツェッペリンの4枚組ボックスのように、レア音源の数が少なかったとはいえ、公式には初のコンピレーションとあって(2枚組の通常パッケージも同時発売)、歓迎された箱もありました。

 あの頃はボックスに対してクラシック・ロック(この呼び名は定着していませんでしたが)のファンの関心が集まりだしていたのです。私も含めたその筋の者がツェッペリンの箱を目にするとニヤけてしまう、そんな時期の始まりでした。

 私の場合、気になるボックスを片っ端から買ってはいませんでした。90年代にそこまで箱にハマると、ほかに何も買えなくなります。自分が本当に好きなミュージシャンで、ある程度は聴きこんだ蓄積があって、なおかつ箱のパッケージ・デザインと内容にも惹かれなければ見送りました。ディランの箱は飛びついて買ったけれど、『レイラ・セッションズ』は後回しにしたまま今日まで所有していません。

 ボックス・セットはCDショップで次第に存在感を増し、私は買う気がなくとも手にとって眺めていました。これを大枚はたいて購入して隅々まで聴くだろうか?と自問し、心の中で首を横に振り、そっと元の場所に戻したことが何度もあります。魅力的な外見にフラフラと近寄ると呪いをかけられる、黒魔術ならぬ箱魔術との闘いでした。

 

 で、奮発して買ってみると、どれも満足度が高かったものです。しっかりしたブックレットが付いていることもあって、本のページをめくるような感覚で音楽を「読む」気分に浸れます。そして読みごたえがある。

 未発表の曲やテイクにライヴ音源と、レアな素材を目玉にしつつ、それらの組み込みかたによって、リスナーを箱全体の流れに巧みに乗せる逸品もありました。生きた表情と問題意識を持つアーカイヴです。

 キング・クリムゾン、イエス、ボブ・ディラン、ジェイムズ・ブラウン、アレサ・フランクリン、エルヴィス・プレスリー、ザ・フー・・・こうした面々からボックスの名作が生まれました。JBやエルヴィスの箱などは見事な出来でした。こうして振り返ってみても、夢中で聴いていた時間をありありと思い出せます。ディランの最初の『ブートレッグ・シリーズ』も本当に素晴らしい内容と装丁でした。

 

  CDのボックス・セットはロックの分野にアーカイヴを促進しました。

 これは肯定的な意味でも否定的な意味でもあります。大きな曲がり角に来ていたんです。1990年はロックの誕生から(通説では)35年目で、アーカイヴに相応しい歴史が積み重なっていました。

 クラシック・ロックに分類されるものも、スタイルや流派ではなく時期で区分すると、だいたいこのあたりまでか、もう少し引っ張っても翌年のニルヴァーナのブレイクと、その余波のグランジ・ブームまで。1990年前後にボックスの発売が盛んになってきたのは、いちおう納得できることでした。ただ、ロックのレトロスペクティヴな市場がこんなに活況を呈していいのか、との疑問は常に感じていましたが。

 CD1枚の収録時間はLPよりも長く、コンパクトなサイズは複数枚の盤を箱に収まりやすくしました。未来のメディアとして登場したCDは、ほんの5年弱で、その特性を過去のアーカイヴにも活用されたのでした。


 さきほどディランの『バイオグラフ』を「入門者にお薦めできる作品ではありません」と書きましたが、そもそもボックス・セットは購買層にビギナーを想定した企画ではないはずです。

 私もローランド・カークの『溢れ出る涙』を1990年に聴いて感激し、次は何を買おうかと棚を見ると、10枚組の箱が目に入りました。が、いくらなんでも次にそれを買うことはしません。何事にもステップというものがあります。

 1万円近い金額でボックスを買う人の大半は、そのアーティストのことを充分に知っている人でしょう。そこはベスト盤との大きな違いです。もちろん、ベスト盤にはベスト盤の佳さがあります。たとえるならば、ベスト盤は初恋の相手です。

 ボックス・セットにも初恋の断片を追うことはできるのだけど、甘酸っぱい気分では終わりません。過去の点と点の向こうに隠れていた事柄が、ベスト盤よりも像を確かにして見えたりします。初恋の相手にも外からは見えない事情があったんだ、キラキラまぶしいだけじゃなかったんだ、でも、オレが好きだった気持ちは間違ってなかったんだ。そのような思い入れを受け止めるために、箱は重く硬めに作られています。

 

 といった調子で記事を書くことになるであろう「箱ハコアザラク」のコーナー。

 では再来月、10月の第1回目には、私がパッケージに頬ずりしたいくらいに好きな箱をトピックに選びます。ロキシー・ミュージックの4枚組、<The Thrill Of It All>(邦題は『ロキシー・ミュージックBOX 1972~1982』)です。これについて書きたいがためのコーナーではないのか?と自分で自分にツッコミを入れたくなるのですが、そこは否定しません。

 う~ん、「思い入れを受け止める」のが箱でなく読者の方々にまで及ぶのではないか、との心配は拭えないな。「思い入れ」どころか、箱魔術の呪文を浴びせてしまいそうです。箱ハコアザラク、箱ハコザメラク、箱ハコケルノノス・・・・・・