ジャケイズム~ジャケ買い随想: 『沢田研二大全集』(1977年) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 ジャケットに惹かれて買ったレコードやCDについて綴る「ジャケイズム~ジャケ買い随想」のコーナーです。今回お題とするのはジュリーこと沢田研二の5枚組LP、その名も『沢田研二大全集』。
 1977年の12月15日に発売された、のちに言うところのボックス・セットです。タイガース時代から77年のヒット曲だった「勝手にしやがれ」と「憎みきれないろくでなし」まで、シングルとアルバム、それに未発表曲から編まれています。

 

 その年の私は小学4年生でした。帯に表示されている価格は10,000円。クリスマス商戦に向けてリリースされていたとはいえ、とっくにサンタクロースの正体を知っていたので、そんな高価なレコードは望めません。お年玉営業を頑張れば、どうにか手が届く額ではありましたが、ほかに何も買えなくなります。
 というか、小4の私はこのボックスが発売されていたことすら知りませんでした。当時の私がレコード屋さんで物色していたのはシングル盤のコーナーだったからです。
 いや、1977年の12月というと、ピンク・レディーの『ベスト・ヒット・アルバム』を買ってもらった頃でした。同時発売されたシングルの「UFO」を収録したLPで、それまでのヒット曲がB面も含めて全部入っているので、ボーナスで気が大きくなった父が許してくれたのでしょう。LPはそのくらい決裁印が捺されにくい買い物でした。
 ジュリーのシングルでは、同年の5月に出た「勝手にしやがれ」を手に入れていました。曲名が映画好きの父のお眼鏡にかなったのだと思います。その後も「サムライ」「ダーリング」「カサブランカ・ダンディ」と、映画絡みのタイトルを持つジュリーの曲は審査がおりやすかったものです。

 ひとくちにジャケ買いと言っても、いろんなパターンに分かれます。

 厳密には未知のアーティストの作品に対して起きるものです。けれども、歌っている本人が把握しきれないほどコンピレーションの類が多い場合、発売から何十年もたって初めて見かけて、このジャケットだったら持っていたいな、と手をのばすケースもあります。『沢田研二大全集』はそのひとつでした。
 買ったのは2003年か2004年。場所は京都駅前にあった近鉄百貨店のレコード・フェアでした。
 じつはその頃、私はジュリーのシングル盤レコードを集めていまして、コンプリートではないにせよ、中古盤屋をまわればすぐに30枚は揃いました。それだけ売れていたということでしょう。ジュリーのシングルはジャケットがどれも良いので、床にズラリと並べて眺めるだけでも楽しくなります。そうしているとLPも欲しくなってきて、こちらも少しずつ買うようになりました。
 そんなときに開かれたレコード・フェアです。いつものようにシングル盤を見てまわり、複数の店が出品する歌謡曲のLPのコーナーをガサゴソと探していると、このボックスを目にしました。

 シルキーな手触りのクロス張りで装丁された豪華な仕様で、経年で退色していましたが、元は銀色っぽい白かクリーム色だったのか。真ん中に「勝手にしやがれ」時代のジュリーが陰翳も鮮やかに刷られている、シンプルなデザインです。
 どうしようかと一瞬迷ったのをおぼえています。値段はたしか3,000円以内でした。保存状態は最良ではないのだけど、お手頃な価格です。
 ただ、私は時間をかけてオリジナル・アルバムを一枚ずつ集めたかったので、ボックスは後回しでいいかとも考えました。一度は元の場所に戻したんです。
 ところが、しばらく会場をブラブラと見ているうちに、そのボックスのことが気になりました。やっぱりオリジナル・アルバムとは別個に持っていたい。だってジュリーじゃないか。
 結局レコード・フェアを後にするときには、手提げ袋がそのボックスのおかげで重くなっていました。家に帰って箱の蓋を開けると、タイガースとソロのヒット曲集やライヴ音源集、ジュリーが作詞や作曲で関わった曲集など、それぞれの盤がコンセプトできれいに分かれていて感心しました。作詞した曲では「湯屋さん」が♪浮気はダメだユーヤちゃん♪♪短気は損気ユーヤちゃん♪と、愛とユーモアをまじえて内田裕也のことを歌った軽快なロックンロールで、そこでも私がなぜジュリーを好きなのかを認識できました。写真がたくさん載ったブックレットにも満足。このボックスを買ってよかったと思いました。

 買うのをやめかけた『沢田研二大全集』のもとを再び訪れさせたものは何だったのか。
 お得感もあります。それは間違いなく働いてました。でも「やっぱり持っていたいな」と考えを変えたときに頭の中に映っていた像は、あのジャケットだったのです。私はあのジュリー像をレコードのパッケージで持っていたくなったのでした。

 先ほどピンク・レディーのことを書きましたが、このボックスが発売された1977年の12月は、それ以上にジュリーが歌謡界の主役でした。「勝手にしやがれ」がレコード大賞を獲った12月です。ジュリーが名実ともに日本のメインストリーム・ポップの頂点に立った12月。
 もちろん、タイガース時代から彼は若者の人気を集めるスターでした。「勝手にしやがれ」以前にも「危険なふたり」や「時の過ぎゆくままに」がヒットし、ドラマ『悪魔のようなあいつ』の主演や『寺内貫太郎一家』でのポスター出演もありました。
 そんなジュリーがケンカっぱやさが災いして謹慎の時期を過ごし、そこから大々的な復活を遂げたのが「勝手にしやがれ」です。以降、1980年代の初頭まで、彼は次々とヒットを連発していきます。ヴィジュアル面でも常に人を驚かせ、話題を呼びました。私はその役目から降りたジュリーのことも好きでリスペクトしていますが、根っこにあるのは子供の頃に聴いていた彼のヒット曲群です。成長してロックを聴くようになってからも、自分がいかにジュリーの歌を浴びていたのかを思い知らされました。

 そんなふうにジュリーに親しみだしたのは、いつからだったのでしょう。
 「勝手にしやがれ」がリリースされた1977年からなのです。「危険なふたり」も「時の過ぎゆくままに」も幼少時にテレビで歌っているのを見たことはあったけれど、それらの曲はたとえばフィンガー5ほどには私の生活と近い音楽ではありませんでした。

 年上の女性との恋や絶望的に堕ちてゆく恋を歌った歌詞のみならず、曲調が子供だった私にアピールするフックを備えてはいなかったからです。それは曲が悪いわけではなく、むしろどちらも最高に素晴らしい楽曲なのですが、幼稚園児や小学低学年の男子をもハッとさせるには「勝手にしやがれ」の電撃のようなピアノのイントロと帽子飛ばしのパフォーマンスが必要だったということです(「勝手にしやがれ」だって歌詞の意味はよくわからなかったのだから・・・)。
 また、クリーム色の中折れ帽とスーツを身にまとった「勝手にしやがれ」の衣装は、その後どんどん歌舞いてゆくジュリーのステージ・ファッションに比べればスタイリッシュに整っていました。レコードのジャケットでいうと、「追憶」とか「白い部屋」とかの旧シングルに近いものがあります。「勝手にしやがれ」はジュリーに一大転機をもたらした曲で、そこからエスカレーションで変わっていった部分は確実にあったはずです。私と同年代の人には、あの曲を歌って帽子を飛ばす姿でジュリーを初めて強烈に印象づけられた人が多いでしょう。『沢田研二大全集』のジャケットにいるのは、まさにその頃のジュリーです。私が目を惹かれたのも、自分にとっての最初のジュリー像がそこにあったからでした。

 さらに言うと、シングル盤の「勝手にしやがれ」のジャケットは、帽子をかぶってなかったんです。衣装も同曲でおなじみのスタイルではない。もしかしたら、先述した旧シングルとの区別を明確にしようと意図されたのかもしれません。
 「勝手にしやがれ」のジャケットは、あれはあれで麗しくて好きなのだけど、シングルを買った日から、なぜこの衣装なのだろう?なぜ帽子をかぶっていないんだろう?との疑問を私は持っていました。小4のクラスの女子はそのジュリーの美しさに参っていて、それは大いに賛同できたのですが、どこかマイルドな甘さが気になってもいました。「勝手にしやがれ」をテレビで歌うジュリーに私がおぼえていたのは、もっとシャープに尖がっていて、意味はよくわからないけど捨て鉢なカッコよさだったからです。
 つまり『沢田研二大全集』のジャケットには、私にとってのジュリー元年が刻印されていたのです。「勝手にしやがれ」のイメージに合うレコードにようやく出会えた気がしました。そしてその中身は「元年」にいたる前の時代が的確にまとめられてあり、自分がこの稀代のシンガーの何に魅力を感じていたのかを改めて噛みしめる機会になったのでした。
 
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