ジャケイズム~ジャケ買い随想:NHK大河ドラマ 花の生涯から草燃えるまで (1979) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

ロックを中心とした昔話、新しいアフロ・ポップ、クラシックやジャズやアイドルのことなどを書きます。

ジャケイズム~ジャケ買い随想:

NHK大河ドラマ 花の生涯から草燃えるまで (1979)

 ジャケットに惹かれて買ったレコードやCDについて綴る「ジャケイズム~ジャケ買い随想」のコーナーです。
 今回選ぶのは1979年(昭和54年)にリリースされたNHK大河ドラマの主題曲集。同年の6月に発売された2枚組のLPで、『花の生涯』(1963年)から放映中だった『草燃える』まで、大河ドラマのテーマ曲が17作ぶん収録されています。

 

 私は大河ドラマを毎年見ているわけではないのだけど、わりと親しんできたほうだと思います。親が「さあ、いよいよ大石(内蔵助)の東下りだ」などと楽しそうに話しながら見ていたからです。私の親の世代は子供の頃に講談や時代劇と日常的に接していたので、大河ドラマもその延長線上でエンターテインメントとして楽しめたのでしょう。

 我が家は日曜日に祖父の家に遊びに行くことが多く、そこでは大河ドラマをみんなで観終わってから帰路についていました。また、1978年には裏番組の『浮浪雲』や『西遊記』を選び、『黄金の日日』は土曜日の再放送で見ていました。


 1979年に私は小学6年生だったのですが、『大河ドラマ 花の生涯から草燃えるまで』のタイトルで中身はわかります。なので、厳密には「ジャケ買い」ではありません。
 けれども、レコード屋で『草燃える』の源頼朝(石坂浩二)と北条政子(岩下志麻)が写るこのジャケットが視界に入ったとき、私は目を丸くして飛びつきました。同作の熱心な視聴者だったのです。
たしか1979年も秋に入っていたと思います。

 しかしLPなんて滅多に買ってもらえないうえに、2枚組の3800円です。その値段で角川文庫の横溝正史が10冊は買えました。

 心が顔に表れたのでしょう。一緒に来ていた父が私の目線を追ってそのレコードを引き出し、ふうんと眺めました。そして「全作品の解説つきか・・・」などと感心して呟くのです。でも私の期待むなしく、父はLPを棚に戻してしまいました。

 

 『草燃える』は源氏の平氏に対する挙兵から鎌倉幕府の北条氏の執権時代に起きた承久の乱までを描いた作品でした。ちょうど今年の『鎌倉殿の13人』が同じ時期を題材にしており、三谷幸喜の脚本も『草燃える』を意識しているようです。

 このレコードが発売された6月は源義経(国広富之)が非業の死をとげた頃でした。前半のヤマ場が終わり、そこからドラマは『ゴッドファーザー』か『アウトレイジ』ばりの陰惨な抗争劇へと突入していきます。
 小学6年というと授業で歴史を習うタイミングでもあり、世の中の仕組みも朧気ながら察するようになります。私は『草燃える』の後半で繰り広げられる粛清と謀略の連続に息をのんで見入っていました。永井路子の原作小説のひとつ、『北条政子』を読み、学校の図書室で鎌倉時代に関する本を次々に借りてきて研究ノートを作ったりもしました。
 
 店でレコードを入手し損ねてから何週間あとだったか、会社から帰宅した父が「ほれ」と四角い袋を手渡しました。開けると『花の生涯から草燃えるまで 』が顔を出したからビックリです。
 3800円という値段に呆れる母に、父は「いや、こいつがあんまり欲しそうだったからね」と言うと、LPに封入されていた歴代作品の解説を広げて読みだしました。晩酌もそこそこに。 
 要するに父は自分がそれを読みたかったので、息子の関心をダシに使ったわけです。親子二代を巻き込んだ策謀と骨肉の大河ジャケ買いでした。

 レコードに針をのせると、タイトルすら知らなかった『花の生涯』のテーマが部屋に流れました。「これは誰の物語?」と私が質問すると、「井伊直弼。演じたのは尾上松緑。当時は歌舞伎役者が1年間もテレビのドラマに出るなんて珍しいことだったんだよ」と父の蘊蓄が始まりました。
 曲間にはアナウンサー(平光淳之助)によるナレーションが入っており、作品の放送された年の出来事などが簡潔に語られます。また、各作品の名場面が音声のみで収録されていました。
 音楽も俳優も出来事もセリフも知らないことばかりでした。でも、それが妙に心地よかったんです。自分が生まれる前の作品と、自分が今夢中になっている作品とが繋がって重なって、出来た不思議な輪っかの内側にいるような気分でした。

 大河ドラマのテーマ曲は1年を通じて毎週届けられるので、視聴している人には自然と親しみがわくようになります。だから実際に見ていた作品ほどテーマ曲の出来を云々するのは難しいのだけど、さすがにクォリティの高いものが揃っています。
 普段は歌謡曲とニューミュージック、それに少しの洋楽ヒットを聴いていた小学6年生にも、これはいいなと思える曲が多々ありました。たとえば『勝海舟』(1974年)。冨田勲の作曲で、壮大なオーケストレーションをドラムとピアノがロック的なシンコペーションで引っ張っていきます。激動の時代を生き抜いた勝海舟の姿が江戸前の粋さを伴って浮かびあがるかのような曲です。

 林光が作曲した『国盗り物語』(1973年)のテーマもいい。戦へ向かう騎馬軍のごとき勇ましい前半と、それが無常にも散りゆくかのような後半。天下統一を夢見た戦国武将たちの野心が曲中でも駆け巡ります。

 『風と雲と虹と』(1976年)は山本直純の作曲。平将門の乱という難しい題材をシンプルで重厚なメロディーと混成合唱団で見事に描き切っています。
 『風と雲と虹と』は祖父の家に行ったときに見ていましたが、『勝海舟』も『国盗り物語』も私は見てなかったんです。なのにテーマ曲を気に入って、解説を読んでドラマの内容を想像しました。

 見たことのあった作品では、『花神』(1977年)と『黄金の日日』(1978年)のテーマ曲に改めて魅了されました。
 とくに林光の作曲した『花神』のテーマは大河ドラマ主題曲史上でもトップクラスの名曲だと思います。『花神』は幕末~維新期の群像劇で、さまざまな思想の人々がそれぞれの信念に基づいて対立しながら日本を動かしてゆく物語です。タイトル・バックは青空の雲の中をカメラが突っ切って映していきます。青雲の志をストレートに表した映像に流れるテーマ曲は、船がゆったりと左右に揺れながら時代の海原を渡っていくようでもあります。

 『黄金の日日』は呂宋助左衛門を主人公にした安土桃山時代の物語で、テーマ曲は池辺晋一郎。

 これも素晴らしい曲で、メロディーの美しさは随一でしょう。そのメロディーも優美さや流麗さを湛えるいっぽうで、情熱的な盛り上がりを導く力を持っています。

 フィリピンでのロケを敢行した作品で、タイトル・バックは彼の地の夕陽が水平線の向こうに沈んでいく風景。その絵のバックにこのテーマ曲の組み合わせは出色でありました。

 現在進行形の大河ドラマだった『草燃える』のテーマ曲は湯浅譲二によるもので、『ベン・ハー』などのスペクタクル史劇の音楽を彷彿とさせるなか、リズムに細かい仕掛けが施されていて飽きさせません。

 映像は流鏑馬から始まるんですよ。その矢が的を砕くや、富士山の遠景とともに『草燃える』のタイトル。緑の平野をカメラが流れるように撮ってゆき、その中を武者が馬で駆けていきます。馬はやがて相模湾の波打ち際を走り、音楽が激しさを増したところに金剛力士像がバンッバンッとクローズアップ。

 鎌倉最高!思わずそう叫びたくなるタイトル・バックです。質実剛健、血沸き肉躍る。歴史を習いはじめた小学6年生で毎週こんなものを見せられたら、そりゃもう鎌倉時代のことを知りたくもなるし、中学に入ると「好きな歴史上の人物:源実朝」と自己紹介で書く少年に育ちます。

 

 いかん。ジャケ買いの話をするんでした。

 まあ、そのような子供だったので、『花の生涯から草燃えるまで』のジャケットに釣られたのは無理もありません。頼朝と政子が写っている!音楽とセリフが収録されている!解説まで読める!そんな私の表情を、父は藤岡弘が演じた三浦義村みたいに謀り笑いを薄っすらと浮かべて見ていたのです。

 しかし、どうだろう。たしかにこのジャケットの衣装や屏風などは大河ドラマの豪華さをアピールしてはいますが、『草燃える』は華やかな時代絵巻の対極にあるようなドラマだったのです。このジャケットはどちらかというと『新・平家物語』(1972年)的。

 『草燃える』は松平健演ずる北条義時が、序盤の純朴な好青年から闇落ちして巨悪へと変わって行く姿が物語の主軸にありました。となると、『草燃える』の内容にもっとも相応しい写真はこれです。

 いや、ホントに『草燃える』って最後は誰もが虚無と絶望を抱えて終わるんです。レコードを買ってもらったのが秋ごろだったとすると、話もだいぶダーク・サイドに浸かっていたはず。私もこれが綺麗事だらけの偉人伝でないことは気づいていました。

 父はそういう本質にこだわる人だったので、2枚組3800円のレコードを息子のためという言い訳のもとにホイホイと買ってくるには、このジャケットはドラマの中身と比べて華美に過ぎやしなかったのか。本人はもういないから息子が考えてみたところ、ある理由に行き着きました。

 

 すごく素朴なことです。今の感覚では考えられないほどに。

 ビデオ・デッキがなかったんですよ。家庭用の商品は3年前に発売されていたようですが、25万円もしました。1979年の時点で家にビデオを持っていた人は我が家はもちろん、私の周囲には一人もいませんでした。

 だから好きなドラマをもう一度体験したい場合は再放送をリアルタイムで視聴するか、原作小説を読むしかありませんでした。大河ドラマはムックが出ていたのですが、そこから音は聞こえません。そこでサントラが重宝されます。

 

 当時、父の世代は過去の大河ドラマを再見する機会がありませんでした。『竜馬がゆく』(1968年)も『春の坂道』(1971年)も映像がほとんど保管されておらず、見たくとも見れない状況にありました。そもそも、テレビのドラマは繰り返し見れるものではなかったんです。アーカイヴという考え方が浸透していったのは21世紀を迎える時期になってからです。

 『草燃える』放送時に父は39歳で、自分が楽しんで見ていた過去作を振り返るとともに、子供に伝えたくなる頃合いだったのかもしれません。つまり、このレコードは絶好の架け橋だったのではないかと、とっくに39歳を超えた現在の私は思います。

 

 レコードをかけて解説書を読みあう時間は、親子の時間でもありました。私が生まれる前の『源義経』(1966年)で義経を演じた尾上菊之助の立ち居振る舞いが凛々しかったこと、『太閤記』(1965年)と『黄金の日日』に出演した高橋幸治が織田信長のイメージを決定づけたこと、それらは父に教えられたことです。高橋幸治の信長が人気を呼ぶあまり、助命嘆願が全国から寄せられたというエピソードを、「信長を助命するなんて!」と二人して大笑いしたのをおぼえています。

 今、このジャケットを眺めて音を聴いていると、見たことのない作品に対しても、まるで橋を渡って訪れたことがある土地のような錯覚と懐かしい温度をおぼえます。そして解説書を読むと、今では知っている事柄ばかりなのに初めて教えられている気分を味わいます。不思議なものです。