Nick Cave & The Bad Seeds/ Henry's Dream (1992) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 今年(2019年)の初頭、ニック・ケイヴがウェブ上で質問に答えるサイト、The Red Hand Filesにトレミー(Ptolemy)というオーストラリア在住の男の子からこんな質問が寄せられました(原文はこちら)。
 ”ぼくは10歳ですが、おぼえているかぎり、ずっとあなたの音楽に囲まれていたし聴いてきました。2017年にオーストラリアのホバートであなたのライヴを観ました。2019年の1月にも行く予定です。ぼくにはクールで面白くて美しい音楽を聴いている友達が誰もいません。こんな歳からあなたの音楽を聴くと、ぼくにどんな事が起きるのでしょうか?なにかアドバイスはありますか?”

 近年のニック・ケイヴは「質疑応答ツアー」というライヴを行っていて、演奏の合間に観客からの質問にその場で答える時間を設けているそうです。サイトにしてもツアーにしても、「ニック・ケイヴも変わったものだ」と感慨深いのですが、上記の男の子への回答がまた真剣で心をうたれます。「前にライヴの質問タイムで会話した子だよね?」「あれから俺も考えてたんだよ。君への答えがあれでよかったのかって」と前置きしてから、こんなふうに答えているんです。
 
 ”たぶん、俺はこう答えるべきだった。その歳でバッド・シーズを聴くってことは、秘密の知恵を手に入れるってことなんだ。俺が君くらいの歳の頃に、やっぱり秘密の知恵があった。兄貴のティムがヘンテコでマイナーな音楽を山ほど聴いていて、その知恵ってやつを俺に分けてくれたんだ。その頃の俺はヴィクトリアの片田舎に住んでいて、兄貴がかけてくれたような音楽を聴いているようなヤツは俺と同い年では誰もいなかった。言ってみれば、みんなクソみたいなもんしか聴いてなかった。俺は心に秘密を持ち運んでいたようなもんさ。友達が誰も持っていない、世界についての特別な知恵だよ。それは秘密の力だった。俺はそんな秘密の力を抱えて子供時代を過ごしたんだ。メルボルンの学校に通いだして、そこで同じ秘密の力を持ってる3、4人の仲間と出会うまではな。俺はそいつらと親友になってバンドを組んだ。そして、自分たちのやり方でこの知恵を世界中に伝えようと思ったんだ。
 君の手にしている秘密の知恵は決まった人間の中だけに住むものだ。それは小説を書くとか、絵を描くとか、火星に飛ばすロケットをつくるとか、そんな物凄いことを君にやらせる。それは世界が君の目の前にどんな物を置いてゆこうと受け止める力になる。世界にとって言い表せないほどの価値を持つワイルドな力にもなりうるんだ。君の名前、トレミーは戦士の名前だ。戦士の名前を持つ、インスピレーションでいっぱいの男の子ってわけだ!世界は君を待ってるぜ。坊や、ぶっとばしちまえ!”


 おもわす目頭が熱くなるような誠実さです。相手が10歳だからといってナメてないし、同志と見なして大切なことを伝えようとしています。まあ、10歳でニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズとは少々刺激が強い気もするけれど、トレミーくんもこんなアーティストのファンになって幸せ者です。
 先ほど「ニック・ケイヴも変わったものだ」と書きましたが、もともと繊細な人ではあったのでしょう。それが年齢を重ねキャリアも重ね、離婚や育児を経験するうちに他者と自然に向き合えるようになったのだと思われます。

 しかし、80年代に彼を知った時の印象はとにかく仏頂面の気難しそうで無頼なアーティストという感じでした。私と同世代の人にはヴィム・ヴェンダーズ監督の『ベルリン・天使の詩』のライヴ場面でニック・ケイヴに興味を持った人が多く、私もあの映画で彼の動く姿を初めて見たのですが、なぜかその音楽にまでは手をのばしませんでした。
 それが1988年だったので、もしその時点での最新アルバム『テンダー・プレイ』を聴いていれば、間違いなく大ファンになったはずです。なぜなら、そのアルバムはニック・ケイヴのディスコグラフィーでも1、2を争う傑作で、少し広がった間口が音楽的な成長とも結びついているうえに、後追いして聴くと次の段階への糸口も垣間見える絶好調の作品だからです。『テンダー・プレイ』とリアルタイムで出会いそこなったことは、私にはけっこうな後悔として残っています。

 続く1990年の傑作『グッド・サン』は輸入盤のカセット・テープをひょんなことから入手して、荒々しいイメージと異なる落ち着いた音の表情に感心した記憶があります。でも、じっくりと向き合うことはありませんでした。90年頃の私はストーン・ローゼズ以降の新人バンドに夢中で、そっちを追いかけるのに忙しかったからです。
 また、当時の音楽雑誌を読んでもニック・ケイヴというアーティストには今ひとつわかりにくい部分がありました。『ミュージック・マガジン』で大鷹俊一さんが旗を振っていたり、『ロッキング・オン』にも記事が載ったりしていたのだけど、大々的に誌面を割かれるプライオリティの人ではありませんでした。これはイアン・デューリーなんかもそうで、ニューウェイヴの時代からのロック・ファンにはそれなりに知名度のある存在だったのでしょうが、80年代後半に20歳だった私はその了解事項を共有できていなかったんです。

 だから、1992年にリリースされた『ヘンリーズ・ドリーム』が、ようやくニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズをちゃんと聴いた新作だったことになります。その頃には、私もバッド・シーズの初期アルバムやバースデイ・パーティなどを耳にしており、受け容れる準備は出来ていました。そして時代はグランジが最盛期を迎えていました。
 前作『グッド・サン』とこの『ヘンリーズ・ドリーム』との間にはサウンド上のギャップと繋がりの両方があります。
 まず、『グッド・サン』と比べると荒々しさが前面に戻ってきています。プロデューサーはニール・ヤングの数々のアルバムで腕をふるったデヴィッド・ブリッグス。ライヴ的な空気を重んじ、細かいことよりもノイズや演奏のグルーヴを曲に刻みつける名手です。『グッド・サン』も良いアルバムですが、『ヘンリーズ・ドリーム』にはグランジの時代に呼応する生々しさが増しています。ケイヴのバリトン・ヴォーカルも腰のすわった逞しさを性急さで揺らすかのようにワイルドです。
 いっぽう、前作で聞かせていたアコースティックなアレンジとフォークやブルース、ゴスペルなどのルーツ・ミュージックへの接近は引き継がれ、いっそうの深化が感じ取れます。

 この2つのポイントは、ニルヴァーナが1993年の11月にレコーディングしたライヴ盤『MTV・アンプラグド・イン・ニューヨーク』(1994年)に収録されたWhere Did You Sleep Last Night?を聴いたときに、振り返って「そういうことだったのか」と納得がいきました。レッドベリーで有名なその曲(オリジナルのタイトルはIn The Pines)はマーダー・バラッド(人殺しの物語)のひとつです。その伝承歌をカート・コバーンはスクリーミング・トゥリーズのマーク・ラネガンに教わり、ラネガンのソロ・アルバムでカヴァーされた時にはギターで参加しています。
 古くから伝わる罪と疑心の歌が、オルタナの旗手ニルヴァーナによってヴィヴィッドに蘇る。言ってみれば、ニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズの『ヘンリーズ・ドリーム』を覆っているのもそれに通ずる感覚でした。ブルースもフォークも、その向こうにある人間のどうしようもない営みから切り離さず、むしろ現代にもっともリアルなフォーマットとして鳴らしている。それはグランジ全盛期においては異色だったし、この方法のパイオニアであるボブ・ディランの90年代後半以降の活動よりも少し早かったと言えるでしょう。ディランは98年のグラストンベリーのバックステージで、フードをかぶったままニック・ケイヴに近づき、「きみの音楽が好きだ」と励ましています。

 ケイヴの野太く低音をきかせたヴォーカルはレナード・コーエン寄りなのですが、ディランの思いもわかる気がします。
 冒頭のPapa Won't Leave You, Henryから、アコースティック・ギターのザクザクとしたストロークを活かしたバンドの演奏が歌と一体となって、激しくダークなグルーヴを叩き出します。この前の年、ケイヴに息子が生まれたこともソングライティングに影響しているようですが、「パパはおまえのそばにいる」と決意を固くする眼で描かれる事柄は血なまぐさく混沌としています。そしてその描写に容赦がなければないほど、子に注ぐ愛情もまた重く伝わって胸を揺さぶられるのです。それは歳月を経てトレミーくんへの答えにも確信となって反映されています。
 アルバムとして秀逸なのは、その曲と似たメロディーを持つBrother, My Cup Is EmptyとJohn Finn's Wifeがそれぞれに2曲を挿んで置かれている構成です。あまりメロディーの引き出しのない人ではありますが、この構成ではその振幅の少なさが功を奏しており、アルバムにコンセプチュアルな安定をもたらし、同じカオスを何度も掘って暴いていくような死に物狂いの力強さが熱となって放たれるのです。
 つまり、闇に溺れるのではなく、闇にまみれながら闇と格闘している。この時期だったか前だったか、『ロッキング・オン』のインタビューで「あなたは頽廃的なアーティストとして知られていますが・・・」といった質問に、ニック・ケイヴは「俺のどこが頽廃的なんだ!俺を侮辱しているのか?!」と激怒していました。彼は全然そんなんじゃないんですね。

 Straight To You、When I First Came To Town、Loom of The Landなどのミディアム~スローの曲も、息の長いメロディーに間合いをとった歌唱が見事です。88年の『テンダー・プレイ』でバンドが最初の完成をとげて、続く『グッド・サン』そして『ヘンリーズ・ドリーム』と、ケイヴのヴォーカルは声のディープな響きに暗黒を取りこみ、それを光に変える表現力をものにしていきました。とくにストリングスを導入したWhen I First Came To Townにその成長が顕著に出ています。
 ファンに人気の高いLoom of The Landではモノローグに近いトーンで始まり、サビに向かってフォーキーなメロディーを歌いあげます。その歌い上げ方も肩の力をぬいたバランスが余計に嘆きを強めています。
 Straight To Youでは声の歪(ひず)みをアコースティック・ギターやオルガンの温かみと調和させず、ぶっきらぼうな中に独自の優しい味わいをのぞかせています。これもニック・ケイヴならではの境地です。
 ゴスペルっぽいコーラスを伴ったI Had A Dream, Joeはブルージーに呻くヴォーカルを荒々しいバンドの演奏が駆り立て、最後のJack The Ripperではブルースそのものの様式をダークかつパンキッシュに塗り上げてみせます。

 『テンダー・プレイ』から『グッド・サン』を経てこのアルバムへの移り変わりは、バッド・シーズのサウンドがヴォーカル中心へと変化していったプロセスでもありました。プロデューサーのデヴィッド・ブリッグスが腕をふるったのもそこだったのでしょう。そのため、ニック・ケイヴが絶対的な主役に君臨している印象も残します。
 しかし、それによってバッド・シーズの意義が弱まってはいません。ミック・ハーヴィーはリズム・ギターだけでなくオルガンやヴィブラフォンでこのアルバムのヘヴィーな中に差す光を担って欠かせないし、ブリクサ・バーゲルドのギターもグランジの時代の若者にパンク仕込みの切れ味をつきつけます。ケイヴの存在感が確立された裏にはこうしたバンド・サウンドへの信頼もあったはずです。メンバーはひと癖もふた癖もあるミュージシャンぞろいですが、バッド・シーズにあってはニック・ケイヴへのスポット・ライトの量を増やしたことが吉と出たのだと思います。

 このアルバムは、アンダーグラウンドのカリスマだったミュージシャンが年齢を重ねて家庭を持ち、さらにポピュラー音楽の古層に立ちかえってもなおエッジを失わず、若い頃よりも深まった烈しさを獲得するという見本のような作品です。並みのアーティストであれば、『テンダー・プレイ』が出来た後で行き詰るか複製に走りそうなものを、ニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズは並みじゃなかったんですね。1992年に、グランジの新作と比較しても聴き劣りするどころか、年季が入っても色あせない「秘密の知恵」の輝きとそれを共有する仲間との一体感で若いバンド群を凌いでいました。当時、ロックから離れつつあった私も、働いていたCDショップの店頭で流れたPapa Won't Leave You, Henryには首根っこをつかまえられたみたいに引き戻されたものです。
 『グッド・サン』と『ヘンリーズ・ドリーム』はニック・ケイヴに新たな航路と自信を与えたことでしょう。この成功がなければ、2019年に10歳の男の子がニック・ケイヴに「ファンです」とメッセージを送り、ケイヴもそれに丁寧に答えるなんて未来はなかったかもしれません。
 ともかく、オーストラリアのトレミーという子の名前はおぼえておこうと思います。夢がありますねぇ。