ジェニファー・ビールス狂騒曲<80年代「TV洋画劇場」日記(1981~1986)・1983年8月 | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 私が少年時代につけていた映画日記をもとに、おもにテレビで見た映画を振り返る「80年代『TV洋画劇場』日記」のコーナーです。
 今回は1983年(昭和58年)の8月のラインナップを回顧する前に、その月に映画館まで観に行ったある作品について書きたいと思います(最近、このパターンが増えています)。
 『フラッシュダンス』です。その夏休みに、15歳の高校一年生だった私はアメリカから彗星のごとく登場したニュー・スター、J.B.に狂っておりました。ジェイムズ・ブラウンではありません。ジェニファー・ビールスです。
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 外国のスター俳優への熱をきっかけに映画の魅力に目覚めるのは珍しい話ではありません。80年代だったら、ジャッキー・チェンやブルック・シールズなどが日本でティーンエイジャーからのアイドル的な人気を集めていました。
 しかし、私はそもそもが黒澤明の『隠し砦の三悪人』やデヴィッド・リーンの『アラビアのロレンス』から入ったという、作品/監督志向の小生意気なガキだったんです。女優さんではジェーン・フォンダのような実のあるスターのファンでした。洋画ファン雑誌の『スクリーン』とか『ロードショー』を私もよく読んでいましたが、誌面を飾る華やかなピンナップを見て「ミーハーに媚びてる」と顔をしかめたりしていました。

 そんな私が83年の夏に突如としてジェニファー・ビールスのピンナップやポスターを部屋のいたるところに貼り出したんです。親もビックリしたことでしょう。
 夏休みが明けて二学期が始まると、私のルーズリーフのトップに収まったジェニファーの写真を見て友達が囃し立てました。だって、夏休み前まではヴィスコンティがどうたらこうたらと、ヨーロッパ貴族の没落と頽廃の美学を語っていた面倒くさいヤツが急にミーハーになってるわけですから。
 だけど、そういう時に高校生っていいなと思うのは、「オレの姉ちゃんも『フラッシュダンス』観に行ったぞ」などと、素直に生活レベルのノリで反応して咀嚼するんですよね。あの有名な、椅子を使ったダンスのシルエットを教室でマネて笑いを取るクラスメイトもいました。そういえば、一学期のあいだは口をきいたこともなかった女の子が、どこかの雑誌からジェニファーのインタビューを切り抜いて持ってきてくれたりもしました。

 83年夏の話題作は、『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』と『007 オクトパシー』の二本でした。『スーパーマンIII 電子の要塞』もあったのだけど、内容がコメディ仕立てで評判はイマイチ(面白いんですけどね)。
 『フラッシュダンス』は先にアメリカでのヒットの報が伝わってはいたものの、スター・ウォーズと007を敵にまわすほどの期待はされていなかったと思います。音楽映画だし、出演者も知名度のある役者は一人もいない。
 ところが、主演のジェニファー・ビールスを日本に呼んでのプロモーションが功を奏し、なんと配給収入34億円の大ヒットとなりました。『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』が37億円だったので、予想を上回る成績だったと言えます。

 日本での封切は7月20日。ジェニファーもそれに合わせて来日しました。空港に姿を現した彼女を待ち構えていた報道陣がフラッシュを浴びせ、その出迎えに驚いたジェニファーはナーバスになり、踵を返して身を隠したんです。今だったら「プロ意識が低い」と叩かれるでしょうが、スター然としない姿がかえって好意的に受け止められました。
 来日時に出演した番組で私が記憶しているのは『笑っていいとも!』と『おしゃれ』です。前者ではタモリに「結婚してほしい」と言われて照れたり、後者では久米宏のインタビューに丁寧に答えていました。その二番組で見たジェニファーはショウビズっぽさの希薄な佇まいが初々しかったし、自然体での親しみやすさに私も好感をおぼえました。それは『スクリーン』誌などのスチール写真だけではまだ伝わらなかったもので、あの来日プロモーションは彼女のそんな初々しさを映画の内容を先取りしてアピールすることに成功したのです。
 私が『フラッシュダンス』を京都の松竹座で観たのは8月20日でした。ジェニファー・ビールス来日から一か月もたっていたんです。私は『笑っていいとも!』や『おしゃれ』でジェニファーに惹かれて、その思いが夏休み中に徐々に募っていったことになります。
 『スクリーン』と『ロードショー』は毎月20日が発売日でした。7月20日前後のジェニファー来日はその日発売の号には当然間に合いませんし、記事は一か月後の次号に載ったはず。私はその間、テレビで見たジェニファー・ビールスの残像を脳内再生し、「京都にも来たんだろうな」「金閣寺か?平安神宮か?」などと”土産物屋でバッタリ遭遇する”妄想を膨らませておりました。なのに実際に『フラッシュダンス』を観に劇場まで足を運ぶのに一か月もかかったのは、たぶんウルサ型気取りの自我との全く意味のない葛藤に手こずっていたのでしょう。可愛い子目当てだけで映画館まで出かけて、その作品がしょうもなかったら今までのオレはどうなるんだ???という・・・。

 一か月の籠城のすえに劇場へと投降したのは、新聞などに作品紹介が載って、それらがおおむね好評だったからかと思われます。いわく、若者向けのサクセス・ストーリーながら、堅実に作ってある。主演の新人女優がとにかく魅力的。ミュージック・ビデオ感覚の撮影や編集のテンポが良い、などなど。そうか、堅実に作ってあるんだな、撮影や編集のテンポが良いんだな、だったらそれを保険に観に行ってもいいかも。この段階での私は自分に何が起こるかをまだ正確には予測しえていませんでした。
 で、8月20日の土曜日にその堅実さとテンポの良さを確かめるべく出かけまして、一回目の上映が終わると売店に走ってパンフレットとポスターと紙製のファイル(下図写真)──つまり、ジェニファー・ビールスのグッズ──を買って腕にかかえて、(当時は入れ替え制ではなかったので)また場内に戻って座席につき、二回目を観ました。それが終わると売店でお菓子とジュースを買って、なぜかトイレの鏡で髪を整えたりしてから三回目を観ました。
 映画館を出ると本屋に駆け込み、来日の記事が掲載されている最新号の『スクリーン』を購入しました。帰りの電車の中でそれを広げてパンフレットと見比べたりも、きっとしたことでしょう。頭の中がジェニファー・ビールスのことでいっぱい。家まで迷わずにたどり着けたのは、単なる動物の習性でした。
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 アイドル映画なんですよね。それを意図して作られていなかったとしても、結果的に最高のアイドル映画になっています。主題歌はアイリーン・キャラだし、プロデューサーのドン・シンプソンとジェリー・ブラッカイマーは、『フェーム』(1980年)みたいに、青春物語と音楽とダンスをミックスして若い観客を動員する映画を作りたかったんだと思います。低予算で、手っ取り早く。
 そこで主演に抜擢されたのがジェニファー・ビールスでした。監督のエイドリアン・ラインは、イェール大学に通う映画初主演の彼女からストリートワイズな賢さと自立心、弱さを内に含んだひたむきさを引き出し、カジュアルな趣きの魅力として余すところなくスクリーンに焼きつけています。
 ストーリーはほんとによくある展開で新鮮味もないのですが、陳腐な要素をぜんぶジェニファー・ビールスのナチュラルな実在感がフレッシュに洗い直しています。あの、出てきた瞬間に死亡フラグが立ちまくりのお婆さんにしても、ジェニファーの瑞々しさと対峙することで作品の含蓄にまで成りえている。オーディションを受けようか迷っているジェニファーに「あなたは若いのよ。今やりなさい!」と勇気づけるセリフなんか、人生の先輩の言葉として、素朴だけど重みがあるよなぁと深く納得できます。
 この映画のオープニングのタイトル・バック。仕事場の鉄工所へと自転車を走らせるジェニファーの姿が、夜明けのピッツバーグの街の遠景に重ねられます。そこにシンセがブィ~ンと鳴って、アイリーン・キャラが歌うWhat A Feelingが始まる。やがて画面が鉄工所の暗く男臭い風景に入っていき、防護マスクをかけて溶接にいそしむジェニファーが映し出されます。主題歌が終わりに差し掛かると、ジェニファーがマスクをサッと外して髪をフワワッと宙にほどく。ここで初めて彼女の顔がクロースアップされるんです。
 この登場の呼吸。まるで中世の騎士が兜を脱いで顔をあらわすような凛々しさ。80年代に私が観た映画では、ベルトルッチの『1900年』でのドミニク・サンダと並ぶヒロイン登場のセンセーションでした。
 エイドリアン・ライン監督はのちに『ナイン・ハーフ』も撮っていますが、この頃からすでに変態です。いや、フェティッシュという点では『フラッシュダンス』は『ナイン・ハーフ』以上なんです。ダンサーの全身から飛び散る汗のしぶきだとか、踊り終えたジェニファーが息をきらす肩から肩甲骨の波打つ動きだとか、爽やかさと健康優良の枠内で表現しているぶん、罪が重い。教会で「わたしはセックスのことを考えてしまいました」と告白するシーンや、レストランで足を使って男の下半身をいじくるところなど、作り手はいろんな技を仕掛けています。
 それらを全部若い女の子の自然体の生命力として打ち返しているのがジェニファーで、まさにこの映画の輝き、フラッシュは彼女あってのものなのです。
 本作のジェニファーのダンス・シーンは吹き替えで、それが正式にクレジットされていなかったことから、封切時にはちょっとした論議を招いたりもしました。私も学校の友人から「あれはべつの人が踊ってるんやぞ~」と鬼の首を取ったように指摘され、悔しい思いを味わいました。
 けれど、それでも良かったんです。たしかにクライマックスのオーディションでの、ブレイクダンスや交通整理の警官の動きを取り入れた踊りは重要だけども、それらのヒントを街角で得て見よう見まねに体を動かすジェニファーのしぐさや微笑みを見たいがために、私は映画館に居座ったのだから。あのクライマックスや数々のダンス・シーンを吹き替えたダンサーの人たちに敬意を表しつつも、83年の夏に私が夢中になったのはジェニファー・ビールスその人だったとしか言いようがありません。
 それはヒットしたサウンドトラックに収録された曲も同様で、主題歌はもちろん、マイケル・センベロのManiacも、エンジェルのヴォーカルの人が歌ってたSeduce Me Tonightも、キム・カーンズのI'l Be Here Where The Heart Isも、ローラ・ブラニガンのImaginationも、ドナ・サマーのRomeoも、友達にダビングしてもらったテープを聴きまくったのだけど、LPジャケットにジェニファーのカモシカのような脚(ジェニファー座り!)が写ってなければ、泣くほどダサいあのサウンドを現在も聴く気にはなれないでしょう。
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 『フラッシュダンス』のビデオがリリースされたのはその年内だったか翌年だったか。いずれにせよ、レンタル・ビデオ店なんてまだ周囲に一軒もなかった頃で、テレビでの放映には時機が早いし、どこかの名画座でかからないかなと思っていた矢先、近所の西友に入っていたレコード屋でリリースの情報を見かけました。
 ベータかVHSか・・・いや、そういう問題ではなくて、値段が高かった。一万円は超えていました。一万四千円くらいしたかもしれない。当時はそんなものでしたね。
 買えるわけがない。私は店の人が書いたリリース予定のそのポップをじっと見つめて、家に帰ってサントラを聴きながらパンフレットを開いて、気分はジェニファー座りで溜息をつきました。
 あのとき、もしお金持ちの叔父さんでもいて、ホイッと一万数千円をお小遣いにくれていたら、きっと大喜びでビデオを予約しに行ったと思います。
 だけど。それが手に入らなくて、頭の中で何度も映画のシーンを反芻していた報われない時間が、最近むしょうに貴重だった気がしてならないのです。壁に貼った一枚のポスターや、ダビングで劣化したテープから聞こえた音。もしかしたら、無料や無制限の環境では奏でられない狂騒曲がそこに流れていたのかもしれません。
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