名盤と私43:The Police/ Synchronicity (1983) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 ポリスの極めつけの名盤ってどれなのか。1978年から1983年までのあいだに彼らは五枚のスタジオ・アルバムを発表しています。高いクォリティの作品が並ぶなか、一枚となると難しい。セカンドの『白いレガッタ』か五枚目の『シンクロニシティー』に絞られます。
 レゲエの独創的な咀嚼などで音楽性を確立した『白いレガッタ』、アーティスティックで深みのあるサウンド・プロダクションを誇る『シンクロニシティー』と、たしかにどちらもポリスがその時点で到達した水準の高さを示す傑作です。でも、どちらか一枚に代表させると、何かが抜け落ちる気もします。名盤とは、それでもアーティストの歴史を背負うにふさわしいアルバムを指すのかもしれません。

 『シンクロニシティー』は大ヒットしたアルバムでもあります。イギリスやアメリカでの一位獲得は言うにおよばず、日本でもオリコン・チャートで十五位にまで登っています。
 私がポリスの存在を最初に意識したのは、中学一年の時に聴いたDon't Stand So Close To Me(邦題「高校教師」)とDe Do Do Do, De Da Da Daの二曲でした。1980年の私にとってはシングル・ヒットのバンドだったのです。彼らがイギリスのパンク~ニューウェイヴのムーヴメントの中から出てきた事も知りませんでした。
 『シンクロニシティー』をリリースした際も、やっぱりEvery Breath You Take(邦題「見つめていたい」)を気に入って、駅前に出来たばかりの小さなレンタル・レコード屋に足を運びました。
 これが、なかなか借りられない。たしか三枚ほど在庫にあったはずなのですが、いつ行っても貸出中でした。返却された一枚がコーナーに戻る瞬間に運よく居合わせて、ようやくテープにダビングできた時には、通い始めて一か月はたっていました。

 ところで、ある種の音楽が「一般向けではない」「難解」などと敬遠されるのは、何が原因なのでしょうか。
 私の定義では、これには抽象、頽廃、エキセントリックの度合いが関わっています。この三要素のうち一つでも突出していると、エンターテインメントの域から逸脱していく。もちろん、それらを含んでもなお広義のエンターテインメントとして成り立っている表現はありますが、基本的にはこの三つのどれかが濃いと、不特定多数の興味・関心から遠ざかるようです。
 その点、ポリスの『シンクロニシティー』はどうか。
 抽象性はあります。とくにアンディ・サマーズのギターがその役割を担っており、ディレイなどを効果的に用いたアブストラクトなフレーズで彩っています。多くの曲の歌詞とあいまって、彼のギターがアルバムの抽象性を高めていると言えるでしょう。
 頽廃感は少ない。デビュー以来ポリスの音楽に内包されてきた孤絶感はアルバム全体を覆っていて、それがTea In The Saharaで頽廃の美に近い物憂さを醸し出したりしていますが、陰翳はシャープでデカダンスの陶酔は呼び込みません。
 エキセントリック性。これはたくさんあります。アンディ・サマーズによる発狂ソングのみならず、前半(LPでのA面)に実験性の高い曲が並んでいるし、後半のメロディアスな曲にも様々な試みが凝らされて、クールな緊張感がアルバムを貫いています。

 こうして見ると、『シンクロニシティー』には私の定義するところの「一般向けではない」三要素のうち、二つが含まれています。抽象性に関しては、これ以前のどのアルバムよりも色合いを濃くしています。
 にもかかわらず、この『シンクロニシティー』はポリスのオリジナル・アルバムでもっとも売れました。田舎の駅前のレンタル・レコードにもそれが波及したほどです。
 高校一年生だった私は借りたその日にA面をすぐに好きになって、B面はEvery Breath You Takeが終わると眠くなってしまいました。現在はポリスでも指折りに好きなWrapped Around Your Fingerにも退屈をおぼえました。それだけA面の刺激が強かったのです。
 A面の曲をよくよく聴くと、O My GodもMiss GladenkoもMotherもポリスとしては及第点で、各々の趣向は面白くも、さほど良い曲ではありません。でも、A面をSynchronicityのIとIIで挿み、二曲めにテクノ~アフリカンなWalking In Your Footstepsを配置することで、その後に続く三曲へと違和感なく繋がっていきます。そこにはスムーズな不穏さとでも形容できる緊張感があって、丸め込まれるようにして聴き終えるのです。
 O My Godはフェイド・インで始まります。曲自体はいかにもポリスらしいクールさを湛えたR&B調です。けれど、前曲にあたるWalking In Your Footstepsで描かれる五千万年前の地球に放り出されたリスナーは、それが終わって冷ややかにバウンドしながらフェイド・インして来るO My Godのグルーヴを、まるで原始人が現代のテクノロジーに出会ったかのような異物感をもって迎えることになります。とくにここでのスティングのベースの太く明瞭な弾みが異物感を倍増させます。
 その次に来るのがMotherです。ロバート・フリップからの影響も大きいこの曲を聴いているあいだ、五千万年前の風景など忘れてしまいます。そしてアルバムのテーマである深層心理にグイとにじり寄っていきます。三人の中では一番分別があるように見えるアンディ・サマーズがこれを書いて歌っていることに戸惑わせる曲ですが、『シンクロニシティー』を『シンクロニシティー』たらしめているのは意外とこのMotherだったりします。
 さらにスチュワート・コープランドの作ながらドラムよりもコーラスで南米色を出しているMiss Gladenkoが続きます。アンディ・サマーズのギターのアルペジオがプログレとワールド・ミュージックの合流点で奏でられ、奇妙な居心地の悪さがMotherからの流れを自然にしています。
 これらを挿むSynchronicityのIとIIは単体でも強力であるだけでなく、IのシーケンサーがWalking In Your Footstepsへ、Miss Gladenkoのエイト・ビートがIIへと、前後の曲に受け渡す仕組みとなっています。また、これほど強力な二曲で挿んでもA面をそれのみに頼らず、Iから場所や時間を移動しながら空気だけは一定の冷気を保ってIIに到達する。この雰囲気作りの上手さには舌を巻きます。
 Synchronicity Iでのポリリズムの切迫した勢いとIIでのいくぶん余裕あるポップな耳ざわり。このアルバムではバンドの一体感よりもスティングの個性が前に出ているのですが、タイトル曲の二つのヴァージョンではコープランドのドラムが牽引するキレのいいビートが炸裂しています。Iに詰め込まれたビート一個ずつの鋭さ、IIでギターのリフを抱えて走るスネアの音色の乾いた美しさ、どちらも見事です。
 B面が最初私にとって退屈だったのは、実験サイドと”いい曲”サイドに分けたアルバムの構成にもあったと思います。当時の私としては、これらを混ぜてほしかった。たとえば、全体の最初と最後にSynchronicityのIとIIを配置するか、A面とB面の頭に振り分けるなど。ポリスのほかのアルバムでは、シングル曲が冒頭を飾ったりします。そういう方法もあったでしょう。
 しかし、それだと実験サイドの流れが生きない。ポリス(というか、たぶんスティング)は、A面に『シンクロニシティー』のコンセプトを直接的に集約したかったのだと思います。
 B面はEvery Breath You Takeで始まります。ナインスの音を添えた循環コードの明るさがクッキリとしたギターのリフで強調される曲調には、Stand By Meなどにも通じるオールディーズっぽさがあります。
 歌詞は"~ake"で韻を踏んでいく語呂合わせのような作り。Synchronicity Iでの脚韻の嵐とともに、スティングの意図的な遊びなのでしょう。この歌詞についてストーカー的なニュアンスがあるとかないとかの議論が生じたようですが、私はこれは単純なラヴソングとして作り始められて、結果的にオープンな解釈が可能となったのだと思います(スティングが「そのほうが面白い」と捉えたとも考えられます)。
 そうした議論を引き起こすだけの小さな引っ掛かりが配合されていて、キャッチーな中にちゃんと野心が垣間見えるのもスティングらしい。スネアの響きを中心にシンプルなトリオの基盤を活かしつつ、シンセのレイヤーで円やかなタッチを加えた巧みなプロダクションが光る名曲です。
 それからKing Of Pain。マリンバとキーボードで音のスペースを築き、そのワン・コーラスから次のコーラスに移る手前にトリッキーな拍の段差が設けられています。
 この曲でのドラムにはアルバム中もっとも深い残響を味わうことができます。これが曲の悲愴感に奥行きを与えており、ふだんはエイティーズのリヴァーブに苦言を呈することの多い私も、この残響効果は技ありだと思います。
 次がWrapped Around Your Finger。美しいメロディーの曲で、ここでもサマーズのアイデアとセンスが冴えわたります。『シンクロニシティー』での彼のギター・プレイはエフェクトとしての彩りの豊かさに貢献しています。83年のアルバムでありながら(Synchronicity Iでさえも)シンセが必要最低限に抑えられているのは、アンディ・サマーズがギターで語るところが大きかったからでしょう。
 タイトルは絆創膏のことではなく、「あなたの意のまま」という意味。このIとYouが最後のヴァースで逆転します。コープランドのリムショットやスティングのベースのアクセントにはレゲエのニュアンスが窺えますが、もはや疑いようのないポリス・サウンドとして提示されています。
 そして最後がTea In The Sahara。これもレゲエとジャズの合間を揺れながら進み、やはりサマーズによるギターのエフェクトが駆使されています。フィードバックを基に操作しているのでしょう、このエフェクトにはアンビエントかつダブ的な感覚もあってユニークです。
 スティングが『シェルタリング・スカイ』の小説からヒントを得たという歌詞は不条理を感じさせるもので、ここまで来るとバンド以上にスティングの美意識が勝っています。

 このようにB面にはラヴソングとしても受容されそうな曲が収録されてはいるものの、ロマンティックな甘さに支配されてはいません。メロディアスではあっても、じつはA面よりも陰翳の密度が濃いのです。ポップであるぶん、その濃密さが際立ちます。
 A面に社会的もしくは個人的な危機感が概説として述べられ、B面にはそれが忍び入っている日常の小さな破綻が描かれていると私は受け止めています。A面ほど顕著ではなくとも、抽象性やエキセントリックさはB面にも指摘できるんです。ただ、それらを卓抜たるソングライティングとポップな口当たりの”いい曲”を基準にB面にまとめたことで、『シンクロニシティー』の各面は互いを照らし合う明晰さを備えたように思います。

 そして、そこにアーティスティックな言葉と音を散りばめ、リスナーの知的好奇心を刺激して乗せてゆく聴かせ方が、このアルバムは異常にウマい。他のアルバムにしても、ポリスには策略的な面はあるのだけれど、ここまで意味ありげなアルバムは作っていません。
 『ゼニヤッタ・モンダッタ』にも『ゴースト・イン・ザ・マシーン』にも、ポリスのアルバムには突き抜けて親しみやすい曲──あえて言うなれば、気取りの少ない曲──がもうちょっと入っていたのが、ここではEvery Breath You Takeを数えるのみです。それはジャケットを比較しても明らかで、このアルバムだけが目立ってアート・フィルム志向です。
 じつは『シンクロニシティー』のこういうところが私は苦手でもあって、ポリスに対して完全には好感を持ちきれない点でもあります。凄いアルバムだと感嘆する。最高傑作と言われれば、そうなのかもしれない。だけど、なんかレベルの高さの誇示が鼻につくのを否定できない自分もいます。

 であるとしても、このアルバムはウマい。絶品です。
 考えてみれば、ポリスはデビュー時から「パンクが流行っているからヘタっぽく演奏する」という不遜な姿勢を取っていたらしくて、そのエピソードには私もある種の痛快さをおぼえます。だって、それであの『アウドランドス・ダムール』や『白いレガッタ』のような傑作アルバムが出来たのだから。
 『シンクロニシティー』も傑作です。それは間違いありません。
 なのに、どこか他人事として冷静に向き合えてしまうし、ソロ活動に入ったスティングの音楽にはその思いが一層強まっていきました。
 なのに、『シンクロニシティー』を聴いているあいだは、乗せられて、丸め込まれて、たらし込まれてしまうんです。
 なんて憎たらしいアルバム、憎たらしいスティング。悔しいけれど、名盤だと思います。この悔しさも私にとってのポリスの魅力の一つで、『シンクロニシティー』でのその分量は『白いレガッタ』をゆうに超えています。