気まぐれオレんちCD: George Winston/ Night Divides The Da | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 CDラックから目をつぶって一枚を抜き出し、それについて出来るだけ下調べと下書きをせずに感想を述べる「気まぐれオレんちCD」のコーナーです。一種の”セルフ無茶ぶり”でして、対象としては普段あまり聴いていないものほど好ましいのですが、当ブログのメイン記事で扱う”1985年から1995年のあいだにリリースされたCD”を引いた場合は選び直します。

 本題に入る前に。ドクター・ジョンが亡くなりました。
 基本的に、私は追悼文をあまり書きません。近年、私が少年時代から敬意をもって聴いてきたミュージシャンの訃報に接する機会が増えて、その一人一人について記事をアップしていたらそれだけで一年の大半が埋まりかねません。また、さほど聴きこんでこなかったミュージシャンにまで弔意の言葉を尽くすのは、どこかさもしい気がします。
 けれど、ドクター・ジョンは私の音楽愛好家生活にとって重要な音楽家の一人でした。ポピュラー音楽、とくに70年代のロックに多大な影響を与えた人でもあります。だから、自分なりに気持ちを落ち着けてから『ガンボ』について記事を書こうと思っています。

 さて、「気まぐれオレんちCD」コーナーです。例によって、CDを抜き出して聴いて、考えながら書いていく実況スタイルで行きます。
 前回は何でしたっけ?ああ、そうか。ジャズ・ハープのアルバムでした(記事はこちら)。けっこう楽しんで書いた記憶があります。今の気分ではファンキーな音楽を聴いてみたいんですが、なかなか望みどおりには行かないものです。
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 はい。引きました。ジョージ・ウィンストンの『ナイト・ディヴァイズ・ザ・デイ』。ドアーズの曲をピアノ・ソロでカヴァーしたアルバム。ファンキーでは・・・ないですね。ジョージ・ウィンストンのCDで私が持ってるのって、これだけだな。ピアノ繋がりだし、ドクター・ジョンの引き合わせかもしれませんね。これにしましょう。

(収録時間の約72分が経過)

 聴きました。これって2002年にリリースにされたのか。私が買ったのは、たぶん2010年頃で、ブックオフの店頭で見かけて興味を惹かれたのでした。「ジョージ・ウィンストンがドアーズ???」と意外でしたね。
 と言うのも、ジョージ・ウィンストンって、私の年代では『オータム』とかが日本でもヒットしたニューエイジ・ミュージックの人という印象が強いんです。綺麗でシンプルなメロディーの繰り返しと残響。それとあのジャケット・デザインですね。いかにも耳に優しく地球にも優しい、という感じの。こう書くとイヤミったらしく聞こえますが、高校生の時だったかな、じつは私も『ディセンバー』というLPを買って聴いていました。私はかなりヒネた少年だったにもかかわらず、そのレコードの音は好きでした。耳ざわりがいいし、ミュージシャンが手で紡いだ感触が伝わってくる。
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 ただ、高校生活が進んでロックなどにも目覚めるにつれて、次第にあのミュージック&エコロジーな温もりが疎ましくなったのも確かです。ジョージ・ウィンストンが自分の音楽的ポリシーのもとにああいうサウンドを作るのに文句はなかったのだけれども、こっちはストーンズとか、それこそドアーズとかが気になって、ダーク・サイドを覗き込みはじめた頃合いでしたから、わざわざレコードを聴きたいとも思わなくなったんです。ニューエイジ版リチャード・クレイダーマン、という認識をずっと持ち続けていました。

 だから、このドアーズのカヴァー/トリビュートは意外でした。田中星児が頭脳警察のカヴァー・アルバムを出したみたいな・・・いや、そこまでではないか(そんなのがあったら聴いてみたいな!)。でも、取り合わせの不思議さが本作への関心というか好奇心をかきたてました。
 で、タイトルのNight Divides The DayはBreak On Throughの歌詞からの引用だし、曲目を見るといきなりSpanish Caravanで始まるし、Wishful,SinfulやMy Wild LoveやSummer's Almost GoneやRiders On The Stormをやっている。さらにBird Of Preyなんていう、ジム・モリソンの死後に発表されたアルバムのリマスター盤にボーナス・トラックとして収められていた曲まで並んでいます。
 どう考えてもドアーズの単なるファンです。Bird Of Preyはファンでも知らない人がいるかもしれない。これらの曲目に、「それならそうと早く言ってよ!」と一気にお近づきの盃を注ぎたくなりました。もっとも、この場合は旧交がちょっとあったわけですが。

 今回、「気まぐれオレんちCD」コーナーの”下調べをしない”ルールを破り、『ディセンバー』のLPを引っ張り出して確認したのですが、昔感じた以上に低音部のボトム・ワークが印象に残りました。左手の動きに集中して聴くと、記憶していたよりも分散和音のリフ的な繰り返しが多い。緊張をほぐす繰り返しがニューエイジ・ミュージックに合うのもあるし、淡彩画のような抒情性を前に出しつつ、リズムをキープしてサウンドの底にさり気なく厚みを加えています。
 それは『ナイト・ディヴァイズ・ザ・デイ』でのThe Crystal Shipのようなスローな曲のカヴァーにも当てはまります。主旋律をわずかに崩して音符を置きながら、右手のタッチは要所要所で強めです。ちょっと強すぎるかなと気になる箇所もあるのですが、それを左手の分散和音のソフトな繰り返しが和らげていきます。
 Love Streetでは左手の休符を多くして、ペインティング的な効果をあげています。原曲の奇妙な叙情味をメロディーに還元させるだけでなく、アルバム中の小品佳作的な味わいも醸し出す優れたカヴァーです。
 冒頭のSpanish Caravanでは原曲で活躍するギターを巧みにピアノで再現し、華麗にフレーズの装飾を付けたパートと、左手のリフでボトムのリズムを強調したパートの対比が鮮やかです。 
 People Are StrangeとLove Me Two Timesはどちらもブルース色を前に出していて、後者はとくにニューオーリンズ・ピアノっぽい。ドアーズの魅力であった知性とセクシュアルな熱気の同居には欠けていて、それは本アルバム全体に言えることでもあります。意地悪く言うと、ドアーズをカヴァーするには色気が足りない。でも、それをジョージ・ウィンストンに求めるのもどうかと思います。これは彼の作品なのだから。
 Light My Fireはオルガンのサステインがないと勝手が違ってくるのですが、ソロのパートで右手のアクセントを激しく利かせて左手は(たぶん)ストライドで見事に表現しきっているのに感嘆します。しかも途中のギター・ソロもピアノでコピーして挿み、終盤でThe Endになだれこむ凝りよう。
 My Wild Loveは原曲がアカペラのコーラスとパーカッションだけなのでどう料理するかと期待していると、内部奏法でピアノ弦を叩くという思いきった技を聞かせます。
 原曲が死と諦念のイメージに満ちているRiders On The Stormは、情景描写的な広がりを持つ元のアレンジを丹念に移し替えています。これもやはりドアーズの禍々しさとは別ものなのだけど、ソロ・ピアノでここまで緻密に捉えた念の深さには脱帽するほかありません。
 ほかの方法もあるとは思うんです。ドアーズはジム・モリソンのカリスマ性を中心に神格化されているし、そこにインスパイアされたサイケデリックなアレンジで原曲を大胆に改変してもいい。あるいは、ジャズ・ロックの要素を抽出してインプロヴィゼーションをメインに据えるか。おそらく、どちらも先にやっているミュージシャンはいたはず。
 ジョージ・ウィンストンはここでドアーズをもっとクリアなわかりやすい線で描いているんですね。ボヤけていた輪郭を太書きして、ジム・モリソンのモノローグ的なヴォーカルからメロディーの一音一音を音符に拾って鍵盤で弾いている。
 通常だと台無しになる恐れがあります。ヌーヴェル・ヴァーグの傑作をハリウッドでリメイクしてニュアンスが失われるみたいに。ところが、台無しになっていないんです。このピアノ・ソロのアルバムが語っているのは、ドアーズがヴォーカルのカリスマ性以外にもこんなに傑出したソングライティングを誇っていたこと、ジャズというほど複雑な和音は用いず、どちらかというとブルース・ロック寄りだったこと、簡潔で美しく哀しいメロディーが大きな魅力であること、ジム・モリソンがこれらの音符には収まらない破格のヴォーカリストだったことです。それをドアーズへの畏れとチャレンジをもってピアノ・ソロの形で表しているという、これはホントに楽しく冒険的なアルバムなのです。

 60年代に少年だったジョージ・ウィンストンがドアーズに夢中になり、やがてウィンダムヒル・レコードを代表する穏やかでリリカルな音楽性を確立した──両極端に見えるこの二つは彼の中では繋がっているんですね。彼のミュージシャン人生の契機となったドアーズを、ミュージシャンとして獲得した方法で語る。それがこのカヴァー・アルバムを特別なものにも自然なものにもしていると思います。
 つまり、ドアーズありきの部分とジョージ・ウィンストンの個性の部分とが均等に本作の佳さを支えているんです。だから、ドアーズのファンはドアーズのメロディーが普遍的な美しさを秘めていることに気づかされるし、それを表すウィンストンのピアノがドアーズとは異なっていても筋の通った独自性を持っていることに感服させられます。
 ドアーズのファンが求めるものを過不足なく得られるとは言いませんが、一人のミュージシャンへの見方をこれほど変えられるのも珍しいし、それが嬉しくさせるアルバムです。レイ・マンザレイクが「ドアーズの本質を押さえつつ、きみ自身のヴォイスを加えているね」と高く評価したのも納得できますね。