Prince/ Batman Motion Picture Soundtrack (1989) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 あなたはバットマン・キャップを持っていましたか?
 ティム・バートン監督の映画『バットマン』が日本で封切られたのは1989年の12月。年末の公開作品でしたから、洋画の配給収入のランキングに登場するのは翌90年。1位『バック・トゥ・ザ・フューチャー Part2』、2位『バック・トゥ・ザ・フューチャー Part3』、3位『ダイ・ハード2』、4位『ゴースト ニューヨークの幻』に次いで、『バットマン』は5位(19.1億円)と好成績を残しました。
 街を歩けば、黄地に黒のコウモリ・マークが入ったキャップをよく見かけたものです。プリンスが手掛けた主題歌のBatdanceもヒットして、とんねるずが番組内で披露したミュージック・ビデオの完コピも話題になりました(字幕は”戸棚津子”!)。
 
 アメリカ本国での公開は89年の6月。ほぼ同時期にプリンスのアルバム『バットマン』もリリースされました。
 私はこのアルバムからのファースト・シングルBatdanceを初めて耳にした時のことをおぼえています。21歳だった私はプリンスの大ファンで、『バットマン』の映画をプリンスが監督するのではなくサントラのみを手掛けると知って、安堵し期待しました。前年のアルバム『ラヴセクシー』が特濃にエキセントリックな内容だったので、プリンスに任せて大丈夫かいな?とも思いましたが、不安よりも期待のほうが大きかったのは確かです。
 はたして、ラジオから流れてきたBatdanceはマッド・サイエンティストがこさえたフィギュアみたいな曲で、メロディーらしいメロディーがほとんどないコラージュだらけの作りにもかかわらず、異様にダンサブルでキャッチー、そしてロック的なエッジも備えていました。挑戦的かつ実験的な要素がことごとくポップに鼓膜を躍らせる。私はすっかり興奮してアルバムの発売を待ちました。
 けれども、手に入れたアルバムは当時の私を満足させるにはいたりませんでした。いや、BatdanceとThe Futureは良かったし、ほかの曲もいかにもプリンスらしい語法で楽しませてくれました。でも、なにせ85年からの『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』、『パレード』、『サイン・オヴ・ザ・タイムズ』、『ラヴセクシー』が”バックスクリーン4連発”みたいな打線だったので、それらと比べるとアクが足りない。のめりこめなかったんです。
 具体的にいうと、ハードなロック・ギターが活躍する2曲めのElectric Chairと3曲めのメロメロに甘いバラードのThe Arms Of Orionが苦手でした。
 30年たってから聴き返すと、Electric Chairの音作りに忍ばせた微妙なリズムの跳ねだとか、The Arms Of Orionでのストリング・シンセの我の強いフレージングなどに聴きどころを発見できます。というか、どちらの曲調もプリンスの音楽性の王道と言えるもので、『ラヴセクシー』の世界にはついて来れなかった人たちを優しく迎えるとこうなります。
 私はプリンスというアーティストを丸ごと愛していたのではなく、彼の音楽の先鋭的な部分に心ときめかせていたのかもしれません。一枚のポップ・ミュージックのアルバムとして肩ひじ張らずに向き合えば、『バットマン』は一級の内容であるのは間違いなく、また重ねられたコーラスがシンプルなメロディーを活発に動かすさまには、プリンスの先鋭性を職人的にまぶして手際よくまとめた才を充分に感じさせます。
 
 ところで、『バットマン』のサントラにはダニー・エルフマンが作曲したスコア盤も存在します。映画を見ると、こちらの楽曲のほうが優先して使用されています。
 ダニー・エルフマンはオインゴ・ボインゴというバンドに在籍していた音楽家です。オインゴ・ボインゴは非常にユニークなバンドで、いずれこのブログでも取り上げたいのですが、ダニー・エルフマンはこの『バットマン』を含むティム・バートン作品への参加で映画音楽の作曲家としても名をあげました。ここではバートンの描きだす夜の闇をオーケストレーションで荘厳に膨らませています。
 じつは、ティム・バートンが『バットマン』の音楽として重んじたのはダニー・エルフマンのスコアだったようです。1992年の『ローリング・ストーン』誌のバートンへのインタビューによると、まだ実写では業績が未知数だったバートンはワーナー・ブラザーズからの度重なる要求を飲むしかなく、プリンスの起用もその一つだったようです。バートンはプリンスのファンだったのですが、映画音楽としての仕上がりにはこんな事をコメントしています。
 
「(プリンスの音楽を使ったことで)完全に僕自身がどこかに行ってしまった。そのことで、汚したくないものが汚れてしまったんだ。つまり、一人のアーティストに対する思いを。いや、彼の作ったほうのアルバムは好きだよ。できることなら、実際あった事に対する僕の気持ちをなかったことにして聴ければどんなにいいか。」
 
 ティム・バートンには不本意だったんですね。プリンスを敬愛しているからこそ、自分の『バットマン』にはその音楽がふさわしいと思えなかったのでしょう。もっと言えば、バートンはバットマン自体にあまり思い入れがなかったらしく、自らの映画的関心をそこに重ねていくうえでプリンスの音楽が必要ではなかった。
 最初にバートンがプリンスに提案したのは旧曲の1999とBaby I'm A Starの使用許諾だったそうで、たしかにその2曲はあの映画のアウトラインと照らし合わせてみても無理のないサウンドトラックに成りえたでしょう。また、実際にリリースされたプリンスの『バットマン』では、Partymanが1999を、TrustがBaby I'm A Starをそれぞれにトレースしているとの見方もできます。
 プリンスは子供の頃に『バットマン』のTVシリーズに夢中になっていたそうで、よく知られた逸話では、映画『バットマン』の撮影スタジオに招待されたプリンスはセットに入るや「音楽が聞こえてくる!」と叫んで、6週間でこのアルバムをレコーディングしたとか。そこで得たクリエイティヴな刺激とインスピレーションが一種の衝動的な意欲を生んだのではないかと思われます。なおかつ、バートンの提案にあった『1999』や『パープル・レイン』への指向が加わったのか、『バットマン』はキャッチーな仕上がりとなりました。
 収録曲を改めて聴くと、プリンス・ミュージックのさまざまな要素が散りばめられているのがわかります。ディストーションの利いたギターのカッティング(Electric Chair)、昔の少女漫画みたいな瞳キラキラのバラード(The Arms Of Orion)、それと対照的にセクシュアルなソウル・バラード(Scandalous)、人工的な耳触りのブラスが興を添えるジャンプ・ナンバー(Partyman)、ジャジーかつフォーキーなギターの効果的なアルペジオ(Vicki Waiting)、ニューウェイヴを経由した乾いたビート感(Trust)、簡潔でブルージーなベースのリフレイン(Lemon Crush)と、さながら80年代プリンスを一望するかのようです。それらを冒頭のThe Futureでのハウスっぽいエレクトロ・ファンクと最後のBatdanceでのヒップホップ的なコラージュ感覚がはさむ構成は見事です。私なんかはThe FutureとBatdanceの向こうに90年代プリンスの像があるのだと思い込んでいました。
 ”バックスクリーン4連発”期やその一つ前の『パープル・レイン』と比べると、いわゆるビートルズの系譜と指摘できるメロディアスなポップ・ロックが見当たらないのも本作の特徴です。それは前述した先鋭性とともにロック・ファンにとってのプリンスの魅力でもあったので、私の『バットマン』に対する温度にも影響しました。
 しかし、大好きなプリンスの新作だからとリピートするうちに、聴きやすさとその裏に織り込まれた仕掛けの豊かさを楽しめるようになったんです。シンセのプリセット音源やギターとベースのアタックをパーカッシヴなエフェクトに用いるのは今までのアルバムと同様ですが、ここではそれを異化効果とはべつの遊びのセンスでさりげなく配したりしています。
 さらに、バットマンやジョーカーなどの登場人物を各曲の歌い手に設定して、アルバムをミニ・オペラふうに仕立てているのも面白い。こうなってくると、『バットマン』のサウンドトラックと言うよりは、映画のアイデアにインスパイアされたプリンスが音楽で映画を撮っているような趣も受け取れます。ティム・バートンの忸怩たる思いもそんなところに起因しているのだろうし、その気持ちには納得できるものがあるのだけれど、プリンスによる”俺の見たい『バットマン』”もまた独自にロマンティックなノワール加減でいいなと思います。
 ただ、時代は徐々にヒーローにも内面的な弱さや屈折を求めて、クリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』(2008年)を筆頭にリアルで複雑なノイズを増していきました。その意味では1989年の『バットマン』とプリンスは幸福な出会いでもありました。
 
 このアルバムは世界中で1000万枚を超える売り上げを記録し、プリンスにとっては『パープル・レイン』以来の大ヒット作となりました。これ以降、ここまでのヒット・アルバムをプリンスは発表し得ていません。プリンスにとっては80年代最後のアルバムというだけでなく、ディスコグラフィー上の一つの節目にもあたる作品です。でありながら、『パープル・レイン』が扱われるような重要性をもって語られることはほとんどありません。
 私は本作をポップでいいアルバムだと肯定しますが、リリース時にはどうしても”バックスクリーン4連発”の衝撃を忘れられず、盛り上がって道頓堀にダイヴするほどではないな、というのが当時の偽らざる感想の温度でした。全編をBatdanceの流儀で貫いてほしかったとも思いました。
 でも、そうはしなかった『バットマン』が売れに売れて、しかも中身がこれだけ充実したアルバムであって良かったと今は考えます。ここが分岐点となった印象は大きく、実際にここから後のプリンスはもっと生のグルーヴを強調するようになります。サントラという性質から離れると、このアルバムには80年代プリンスをサクッとサラッとおさらいできる機能もあります。その役割にベスト盤を出してもファンは文句を言わなかったでしょうが、とにかく尋常ではない数の曲を生み続けていたプリンスにはこの『バットマン』が作れたのです。
 ここでのプリンスは聴き手への配慮はしていても媚びてはいないし、抑揚を整えていても質を落としてはいない。むしろ、配慮し整えた中にキラリと光る手さばきと、それが隠し味となって曲やアルバムの取っつきやすさへと還元される深さに唸らされる一枚です。
 
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