John Lennon/ Menlove Ave. (1986) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 この『勝手にシドバレット』というブログを始めるにあたって私がやりたかったことは、一枚のアルバムが最初にリリースされたときの世の空気を思い返して文章に残す記録作業でした。
 と言っても、そんなに大層なことではありません。そのレコードなりCDなりが出た頃にどんなものがウケていたのか。巷にどんな音楽が流れていたのか。そのアルバムは当初どう評価され、私自身はどう受け止めたのか。そして、その評価はどう変わっていったのか。ちょっと記憶力さえよければ誰にでも出来ることであって、また私はどうでもいい事をよくおぼえているので、これなら書けるだろうと始めたのです。
 
 もちろん、初出時の受け止められ方に絶対的な正解があるわけではありません。情報が細切れに入って来ていた昔は今以上に誤解が多かったし、その誤解が膨らんだり延長線を描いたりしながら、ロックは日本で語られてきました。それらは訂正を加えられたほうがいいでしょう。
 けれど、時間がたつにつれて、リアルタイムでは当たり前にみんな感じていたことが、だんだんと霞の向こうに行って見えにくくなったりもしているんです。
 
 たとえば、1970年代のプログレッシヴ・ロック・バンドの中でエマーソン、レイク&パーマーが日本で人気があったとか、同様にイギリスのパンクではストラングラーズが支持されていたとか、当時を知る人には言うまでもないことなのでしょうが、それらのバンドをリアルタイムからたかだか十年遅れで聴いた私でさえも少なからず意外に思いました。
 似たようなことは立場を逆転しても起きていて、「ビートたけしは売れていなかった頃にたけちゃんマンをやらされていた」などという若い人の認識を小耳にはさむに、ええっ!!と激しく驚きました。
 いや、私だって水谷豊が先生役で子供に人気を博す以前は荒ぶる不甲斐ない若者を演じていたことを知ってビックリしたことがあるので、ジェネレーション・ギャップも理解できなくはありません。ですが、こういう誤解が自分の体験してきた時代にまで迫ってくると、おぼえている人間が(主観であれ)書き記しておいたほうがいいのかなと考えるようになりました。
 
 前書きが長くなってしまいましたが、1986年11月にリリースされたジョン・レノンの『メンローヴ・アヴェニュー』も、現在の若いビートルズ・ファンには今ひとつ捉えにくいアルバムになっているのかもしれません。
 1973年の『マインド・ゲームス』、1974年の『心の壁、愛の橋』(原題はWalls And Bridges)、1975年の『ロックンロール』からの未発表音源を集めた一枚もので、ここに収録されたトラックはその後、オリジナル・アルバムのボーナス・トラックやボックスを含む編集盤で聴くことができるようです。『メンローヴ・アヴェニュー』はもはや役割を終えていて、コレクターとジャケットを手掛けたアンディ・ウォーホルの熱心なファン以外には食指を動かさせないアルバムだとも言えます。
 
 今だったら、ジョン・レノンのレア音源集が出れば、朝のワイドショーで小倉さんが大はしゃぎして紹介するでしょう。一枚と言わず、二枚組、いやボックスで売り出されてもおかしくはありません。実際に1998年に未発表音源をたっぷり収録した4枚組のボックス『ジョン・レノン・アンソロジー』が出たときには、全国のCDショップで平積みにされて大きく展開されました。
 ところが、1986年の『メンローヴ・アヴェニュー』は、『ジョン・レノン・アンソロジー』や1995年に始まったビートルズの『アンソロジー』プロジェクトと比べると、ワイドショーを賑わせることもなく、格段に小さなスケールの宣伝でレコード店に並びました。ファンは手に取って聴いたし雑誌でも取り上げられはしたのですが、それにしても穏やかな波であったと記憶しています。
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 1986年にはジョン・レノンのアルバムがもう一枚リリースされています。2月に発売された『ライヴ・イン・ニューヨーク・シティ』です。
 ビートルズ終焉後のジョンにとって唯一のフル・ライヴ(1972年。プラスティック・オノ・バンドの『平和の祈りをこめて』はビートルズ活動中)のレコーディングであり、公式なリリースが待たれていた音源でした。やはりFM雑誌の表紙になったりしましたし、それなりに注目を集めたアルバムでしたが、これも”騒がれる”というほどの話題にはなりませんでした。
 この音源はジョンとヨーコがアメリカ合衆国を相手に闘っていた時期のもので、エレファンツ・メモリー・バンドの演奏の刺々しさも万人向けとは言えません。また、ジョンのヴォーカルも本調子ではなく、その粗さがロックンロールの粗削りなパワーに手が届かないもどかしさを感じさせます。そこがジョン・レノンのロックの一面でもあって、彼の音楽が心に染み込んでいる人にはたまらない魅力として響くのですが、一般的には辛味が強すぎるきらいがあります。
 このライヴのMCで、ジョンは「リハーサルへようこそ」と述べています。冗談交じりであるにせよ、失望をおぼえる人がいても仕方のない内容です。私は好きですが、薦める相手を選ばせるライヴ・アルバムではありました。
 
 「リハーサルへようこそ」の言葉は『メンローヴ・アヴェニュー』にも当てはまります。というか、『ライヴ・イン・ニューヨーク・シティ』でのジョンならではの自虐と違って、こちらはまさにリハーサル的な音源なのです。
 しかも、それら音源の出どころである『マインド・ゲームス』『心の壁、愛の橋』『ロックンロール』の三作は、『ジョンの魂』『イマジン』などのロック史に残る傑作よりは評価の落ちる作品です。どれもファンには堪えられない魅力を放ちながら、今ひとつシャンとしていない箇所を抱えるワケありのアルバムなんです。
 そして、その”シャンとしていない”ところが『メンローヴ・アヴェニュー』の捨てがたさでもあると私は思います。
 
 ぶっちゃけて言うと、カミさんと冷めてた時なんです。で、ジョンにとってはカミさんがお母さん同然でもあったんです。
 そうなった時の男はミジメなもんです。毎晩酒を飲んで暴れて、でも世間的には尊敬もされて大事に扱われる(これも好ましい環境ではない)。『ロックンロール』で組もうとしたフィル・スペクターがまた輪をかけて厄介な人間だったものだから、アルバムは頓挫するし酒の量も増えます。
 そんな荒んだ時期に入る手前だった『マインド・ゲームス』のセッションでレコーディングされて、のちにジョニー・ウィンターに提供されたRock 'n' Roll Peopleには溌溂としたエネルギーが残されています。チャック・ベリーを想起させる曲調にデヴィッド・スピノザのギターが鋭利で、ジョンも水を得た魚のようにリズミックに跳ねています。『マインド・ゲームス』には居場所が想像できない一曲ではありますが、このくらいハッチャケたノリがあのアルバムにあったら良かった。
 一曲目を飾るHere We Go Againはフィル・スペクターとの共作で、夢見ごこちな微睡(まどろみ)の深さを伴っていて、これもジョンらしい曲。フィル・スペクター・サウンドをさらにエイティーズ的に加工したとおぼしきリヴァーブは、ジョンが生きていたら1986年にこういう残響を喜んで用いていたんじゃないかと想像させます。
 『ロックンロール』セッションからの他の曲では、Angel Babyも、あのアルバムでのR&B志向のカヴァーとは毛色が異なるとはいえ、手堅い出来栄え。
 残るSince My Baby Left MeとTo Know Her Is To Love Herは、『ロックンロール』でのアレンジの好からぬ傾向というか、テンポとリズムをヒネりすぎて原曲の良さをわかりにくくしてしまっています。
 ジョンはアーサー・クルーダップのMy Baby Left Meをエルヴィス・プレスリー経由で知ったのでしょうが、ゴスペル的なコール&レスポンスが曲を間延びさせて鈍重に終わっています。フィル・スペクターが在籍したテディ・ベアーズのTo Know Her Is To Love Herもヴォーカルを粘りすぎ。いい曲なのだから、バディ・ホリーをカヴァーするときのようにもっと素直にやればよかった。
 などと注文をつけましたが、これはあくまでジョンが未発表と判断したトラックであって、出来栄えを云々される筋合いのものではないのはわかっています。ただ、『ロックンロール』というカヴァー・アルバムが、聴き手に愛着を持たせつつも曲のアレンジや演奏の抑揚に「もっとこうだったら」と言いたくなる作品でもあり、それがこうした未発表曲にも表れているのは興味深いことです。
 
 LPでのB面の5曲はすべて『心の壁、愛の橋』から。こちらはジョンのほか、ジェシ・エド・デイヴィス(ギター)、クラウス・フォアマン(ベース)、ジム・ケルトナー(ドラム)だけでレコーディングされたテイクで、最終的にリリースされたホーン・セクションなどのウワモノは入っていません。
 『心の壁、愛の橋』は賛否両論あるアルバムではあるけれども、私は好きな一枚です。のちのAORにも通ずるR&Bっぽいアレンジに耳を惹かれるし、曲も粒ぞろいです。でも、あのアルバムを否定する人の意見にもなるほどと肯ける部分もあります。アレンジがジョンの心情吐露に沿ったヴォーカルとあいまって、曲を必要以上に感傷的にさせたり、虚勢を張っているように聞こえさせたりしているのが受け付けない、と言うのです。私もそれはあると思います。
 その点では、この『メンローヴ・アヴェニュー』での蔵出し音源のシンプルな、それでいて腕達者がバックをつとめることによる味わいの深さは、『心の壁、愛の橋』でオブラートに包まれていた真実味を与えてくれます。アレンジを取っ払ったことで吹いてくるすきま風がやけに落ち着かせるのです。
 また、最終ヴァージョンでは『イマジン』収録のHow Do You Sleep?に近い感触をもたらしたSteel And Glassのように、アレンジに決定づけられない、曲自体の小ぶりな完成度が感じられるのもいい。Old Dirt Roadでは最終ヴァージョンよりも共作者のハリー・ニルソンの持ち味に近づいていますし、Scaredはこのくらいシンプルなほうがワビサビがにじんで孤独感も募ります。メロウなアレンジがないBless Youもラヴ・ソングとしてのパーソナルな趣きは強まっています。Nobody Loves You (When You're Down And Out)はヴォーカルが完成形とはべつのシリアスな表情を聞かせて、やはりジョン・レノンらしい。
 こうして聴き返してみると、ジョンのヴォーカルにはこの”リハーサル”の段階でもすでに魅力があり、あらためて彼の声がいかにロックの得難い個性であったかを思い知らされます。『ロックンロール』セッションでのヤケッパチに歌いすぎかと思わせるシャウトにしても、反対に足元に確信が持てないような『心の壁、愛の橋』からの音源にしても、根源的な表現の強度がとんでもなく高い人だったのです。
 どんなに迷っていても、どんなに自暴自棄になっていても、歌えばそれがジョン・レノンの表現になるというこの天然の強さ。だから、初めてこのアルバムを聴いたときの私は、これは番外編的なアルバムなのだからと自分に言い聞かせながら、それでもそんなエクスキューズを必要としない発火点を見つけることができました。ジョンのミックス・テープを作る際に、Rock 'n' Roll Peopleを一曲目に入れたりもしました。じつは、「ロックンロール・ピープルはニュースになるために生まれてきたんだぜ」と叫ぶジョンが眩しくて好きでした。
 
 先述したように、現在はこれといって長所を見出しにくいアルバムです。この二年後に『イマジン』の映画が公開されて、そこから徐々に現在にいたるアーカイヴ・リリースへの道が整えられていきました。それに比べると『メンローヴ・アヴェニュー』は量的にも及ばないうえに緩さも窺えます。繰り返しますが、今はこんな程度では通用しないはずです。
 しかし、これらの音源が『メンローヴ・アヴェニュー』という容れものを得たことで、シャンとしていないジョン・レノンの姿を扉の隙間から覗き見て、やっぱり嫌いになれなかったし、好きなところはもっと好きになった気がします。それは未完成だから素顔に近くてリアルだというよりも、裸がカッコよくて、裸のままでも存分にジョン・レノンであり続けたからだと思います。選曲を担当したヨーコが意図したのもそこにあったのでしょう。
 リリースされたのに、わりと軽く流されちゃったパッとしないアルバムですが、そこもまたシャンとしていなくて、妙に捨てがたいのも確かなのです。