80年代「TV洋画劇場」日記(1981~1986)・1983年5月 | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 1983年(昭和58年)の5月にテレビで見た映画を、当時つけていた映画日記を元に振り返ります。

 映画館で観た作品のことを先に記しておくと、ゴールデン・ウィーク中に『評決』と『トッツィー』、月末に『ガンジー』を観ました。どれもこの年のアカデミー賞の有力候補作で、結果的には作品賞と監督賞と主演男優賞が『ガンジー』。前年の『炎のランナー』に続いてハリウッドはイギリス映画(ただし、『ガンジー』はインドとの合作)に頭が上がらなかったんですね。
 作品賞では『E.T.』も候補に選ばれていたんですが、アカデミー賞は映画関係者が審査員ですから、あれだけ大ヒットした有名監督の作品だと逆に反感を買ったりするものなのでしょう。ファミリー向け、として評価されていましたし。ここで獲れなかったことは、この後のスピルバーグ史にも影響を及ぼしているみたいですね。そのぶん、ここから『ジュラシック・パーク』と『シンドラーのリスト』に至るまでの『カラー・パープル』『太陽の帝国』『オールウェイズ』『フック』という流れは、一人の映画監督のフィルモグラフィーとしては興味深いんですけども。

 日本で『ガンジー』以上の話題をよんだのは『トッツィー』。これにはダスティン・ホフマンが来日して非常に積極的なプロモーションをおこなった事が大きかったと思います。彼は4月8日の『笑っていいとも!』にも出演して(日本封切は4月16日)、番組内コーナーで”トッツィー”女装をしたタモリ、『評決』のポール・ニューマンふうのスーツを着た田中康夫、ガンジーの扮装をした山本コウタローに囲まれて笑いを振りまいていました。
 私の記録するところによると、田中康夫が突然「ぼくがもし『クレイマー、クレイマー』のパート2を作るなら」と英語で話しかけるも、それがぜんぜん伝わらずにホフマンが「彼はポール・ニューマンよりもガンジーに似ているね」と返したり、客席に姿を見せていた自分の父親と弟を紹介し、「ウチの家系にはホフマン鼻というのがあるんだ」と自分の顔の特徴をシャレにしたり、スタジオに貼ってあったピーター・フォンダのポスター(おそらく『だいじょうぶ、マイフレンド』)を指して「ピーターだと気づかなかったよ」と言ったり、最後は「いいとも!」をコールしたようです。
 まあ、なんと気さくなハリウッド・スター。あれで『トッツィー』を観に行くことに決めた人、いっぱいいたと思いますよ。

 そんな83年の春でした。テレビではカルチャー・クラブやデヴィッド・ボウイのMVが流れていたし、「高気圧ガール」や「君に、胸キュン。」がヒットしていたし、なんか長閑なエイティーズの春でもありましたね。

 さて、この月の1日の『日曜洋画劇場』で『がんばれ!ベアーズ特訓中』(1977年)を見ています。
 2作目ですね。最初の作品があまりにも良すぎたというのもありますが、極端に落ちるんですよね。とくに脚本がしっかりと練れていないのと、ウォルター・マッソーの不在が致命的。
 3作目の日本遠征編よりはマシだったとはいえ、これなら同作のテレビ・シリーズのほうが無邪気に楽しめる。
 今だったら、ヒット作の続編を作るにあたってはもっと慎重に制作が運ばれてゆくのでしょうけど、このユルさが70年代らしい、という気もします。

 3日(火)の20時から、たぶんKBS京都テレビでビリー・ワイルダー監督の『フロント・ページ』(1974年)。
 このときの放送はたしか1時間半の枠で、ということは実質75分くらいまでにカットされていたことになります。もとの尺が105分なので30分相当が削られたわけです。
 『フロント・ページ』はコメディの秀作で、しかも細かい設定が繋がったり重なったりして笑いとサスペンスを呼ぶんです。後年になって見なおしたときに、この83年の放送時にはサスペンスの部分を優先して笑いの部分がバッサリとカットされていたことがわかりました。ビリー・ワイルダーはコメディとサスペンスの演出のどちらにも優れた監督なので気にはならなかったんですけど、食い足りない思いは残りました。
 私は地上波での映画劇場を懐かしく思い返すし、あれが映画への絶好の入口になったことに感謝もしているんですが、こういう弊害は避けられませんでしたね。
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 4日の『水曜ロードショー』で『転校生』(1982年)。
 大林宣彦監督の代表作のひとつです。このひとつ前が『ねらわれた学園』ですから、大林のフィルモグラフィー上では『HOUSE』以来の注目作でした。
 原作は山中恒の『おれがあいつであいつがおれで』。『なかよし』に連載された『なんとかしなくちゃ!』という漫画もありました。どちらも40年近く前に読んだきりなので細かい内容はおぼえていないのですが、映画『転校生』は独立した大林作品になっていたと思います。
 思春期の男の子と女の子のイキイキとした呼吸と、それを慈しむような監督の目線。温かく、観ていて笑顔がこぼれてくるキュートな作品でしたね。大人になって見返すと、主人公の二人が可愛くてしょうがないんですよ。
 基本は男女逆転のシチュエーション・コメディ。それぞれが逆の性を演じるところに笑いが生じます。その点では、尾美としのりだとちょっと元から線が弱くて意外性には欠けたかな。ゴツゴツした感じの男の子だったら、もっと設定が生きたかもしれません。たとえば”加藤優”でおなじみの直江喜一とか・・・それだと小林聡美との共演で『金八先生』になっちゃうか! 
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 5日(木)の23時48分から『夜の大捜査線』(1967年)。
 これはノーカット放送だったのかな?民放の深夜に何本か週替わりで映画をノーカットで放送することがありまして、これと翌週の『真夜中のカーボーイ』はアメリカン・ニューシネマ期の名作として組まれたような気がします。
 当時の映画日記に「ミステリーとしてはイマイチ」と書いていますが、たしかに見る側の興味は、事件の顛末よりも黒人刑事が南部の田舎町でどういう目にあうのか、にしぼられていきます。真犯人も取ってつけたような感は否めないし、そのへんは社会派ならではの甘さもある。
 しかし、この作品は”相棒”ものとして良く出来ていて、シドニー・ポワチエの颯爽たる捜査ぶりを見ているロッド・スタイガーの微細なリアクションの変化が重要です。あのラストの駅での言葉少なな別れもいい。もしあそこに「あんたを誤解していたようだ。すまなかったな」とかのセリフが入っていたら台無しです。「じゃあな。気をつけて」「ああ」そして二人してニッコリと微笑みあう。二人ともいい笑顔してます。そしてレイ・チャールズの歌が流れてジ・エンド。これでいいんです。あとは観客が噛みしめればいい。
 9日の『月曜ロードショー』で『ダーティ・ハリー2』(1973年)。
 これについては以前にも書いたとおり。パート2としては充分に楽しめる。切れ味は後退していますが、侮れない敵がいて、しかもそいつらの主張が一作目でのハリーとダブってくる面白さがありました。

 12日(木)の23時48分から『真夜中のカーボーイ』(1969年)。
 これもほぼ一年前にテレビで見た作品。「前に見たときは、薄汚れた都会の中に生まれた友情のやるせなさが良かったが、今回見て、薄汚れの部分が演出されすぎているように思った。」と書いています。つまり、現代社会の汚泥の部分が必要以上に強調されていると言いたかったのかな。
 う~ん、でもダスティン・ホフマンのあの役はあのくらい泥にまみれていて正解だと今は思います。

 14日の『ゴールデン洋画劇場』で『ブルース・ブラザーズ』(1980年)。
 やっぱり『ゴールデン洋画劇場』でやったか!イエ~イって感じですもんね。「彼らがアウトローであることとソウル・ミュージックを歌うことは関係がある。ナッシュヴィルあたりでは彼らは歓迎されない。白人と黒人の境を飛び越えるブルース・ブラザーズは権力に追いかけられ、牢屋にぶちこまれるが、そこでも『監獄ロック』を歌うのだ。」などと、突っ走ったことを書いています。
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 15日と22日の『日曜洋画劇場』で前後編に分けて『ドクトル・ジバゴ』(1965年)。
 これも当時の日記より。「オマー・シャリフだったらラクダに乗って敵を撃ち殺して進むだろうに。」「なんでジバゴ役はピーター・オトゥールじゃないんだろう?ピーター・オトゥールのほうが絶対に合うと思う。」
 要するに『アラビアのロレンス』のロシア版を期待していたわけですね、同じデヴィッド・リーン監督の。革命の嵐に翻弄された詩人ということで、それならピーター・オトゥールの役じゃないかと言いたかったようです。
 しかし、私も『アラビアのロレンス』の大ファンとして考え直したのですが、ロレンスはああいうナヨナヨした男に見えて、やる時はやるんですよ。彼は武闘派のさかなクンみたいな人なんです。砂漠クン。もう砂漠が好きで好きで、砂漠のためなら鬼になって殺戮を繰り広げるんです。そこに彼の狂気があり、自分を過信しすぎた人間の悲劇があります。ドクトル・ジバゴはそういう人の話じゃないんですよね。
 エキストラの隅の隅にいたるまでビシッと行きわたった演出、その制覇力がすごい。また、ラヴ・ストーリーとしても繊細、かつ骨太によく出来ています。そのぶん、時代を超えて通ずる人間像とまでは行かないんですけど、これもデヴィッド・リーンの代表作のひとつです。あと、ジュリー・クリスティのラーラ役はどうなのかなと思いますけどね(すごく好きな女優さんですが)。

 16日の『月曜ロードショー』で『007 私を愛したスパイ』(1977年)。
 そうか。これは荻昌弘さんが解説したわけですね。「ひとつ今日は理屈ぬきにお楽しみください」とか言ったんでしょうか。
 理屈なんかどこにも存在しないですよ。バカの大将みたいな映画です。あ、『ムーンレイカー』ほどではないか。
 断崖絶壁からスキーでジャンプしたらユニオン・ジャックのパラシュートが開いたり、ロータス・エスプリが海の中で潜水艇に早変わりしたり、鋼鉄の歯を持つ敵が襲ってきたりするけれど、『ムーンレイカー』よりはまだ真面目な映画です。
 なんの組織と何をめぐって争っているのかとか、途中で忘れます。凄い見せ場が、しょうもないジョークを挿んで、次から次へと繋がっていればお客さんは満足だろう、というスピリットで作られた作品。ロジャー・ムーアもここでようやく自分を活かす場所を見つけました。ショーン・コネリーの後期が『8時だヨ!全員集合』だとすれば、これは『オレたちひょうきん族』の域に手が届きかけています。スパイなんだから、もうちょっとシークレットにやれよ、という気もしますが・・・。
 それでもまだチャンとしたシャシンに見えるのは、次の『ムーンレイカー』が輪をかけてムチャクチャだからです。そして、私は『ムーンレイカー』をこよなく贔屓する者であります。
 21日の『ゴールデン洋画劇場』で『大陸横断超特急』(1976年)。
 だから、そんな007に比べるとこのコメディ・タッチのアクションもホントにウェルメイドに見えますね。
 じっさい、ヒッチコックふうのプロットにドタバタを盛り込みつつも、どこか娯楽映画としての品の良さを失っていませんしハラハラもさせます。さすがは職人アーサー・ヒラー監督です。
 あとは主演のジーン・ワイルダーやリチャード・プライヤー、それにジル・クレイバーグといったアメリカでドメスティックな人気を誇る役者の個性をどう受け止めるか、ですね。この人たちのことを本気で面白いと思えるか。私にはちょっと難しいです。とくにジーン・ワイルダーとサスペンス・コメディってのは食い合わせが悪いような気がします。この後、『ハンキー・パンキー』という、これもまたヒッチコック的な展開の映画に出てるんですけど、元から変そうな人物が謎の事件に巻き込まれても「アンタが悪いんだからしょうがないでしょっ」としか思えなかったり。

 同じく21日の23時40分から『バンクジャック』(1971年)。
 これは拾いもの。あっ、これはリチャード・ブルックス監督の作品だったんですね。ちょっと意外。
 ウォーレン・ベイティ演じる銀行員が貸金庫に眠るワケありの大金をせしめる話です。恋人のゴールディ・ホーンと組んで、金を彼女の金庫に移し替えるサスペンスが前半。後半は金がなくなった事に気づいた組織に追われるチェイスで、たしか凍った湖の上を逃げる場面なんかがあったように記憶しています。
 リチャード・ブルックスは『十字砲火』『冷血』『カラマゾフの兄弟』などのシリアスな作風で知られる監督ですが、ここでは犯罪サスペンスに徹していて、深夜にこういうものを見たら自慢したくなります。音楽もクインシー・ジョーンズで盛り上がりますよ。
 28日の『ゴールデン洋画劇場』で『エアポート'77 バミューダからの脱出』(1977年)。
 今月、もうひとつのバカバカしい映画。ある意味、こっちが本道です。
 『大空港』『エアポート'75』と続いたシリーズがここで一気にハメをはずし、美術品を大量に積んだボーイングが海の中に突っ込むんです。そこで終わりだろうとマトモな人なら考えるところ、なんと乗客は無事で、迫りくる海水の中で救助を求めるんですね。
 たしかに前作の『エアポート'75』にも無茶なところはありました。でも、チャールトン・ヘストンが命がけのアクロバットな行動で助けに来るんです。チャールトン・ヘストンだったらまだ説得力はあるけれど、今回は機長がジャック・レモンなんですね。ジャック・レモンは名優ですが、こういう状況で役に立てそうな人ではないでしょう。
 ということで、なんかもうシラ~ッとしたまんま見てました。ただ、それでも次の『エアポート'80』よりはマシなんですよね。『エアポート'80』がどんだけヒドいんだって話になりますが。

 同じく28日(土)の23時40分から『夕陽に向かって走れ』(1969年)。
 すみません、内容をまったくおぼえておりません。『明日に向かって撃て!』のロバート・レッドフォードとキャサリン・ロスが出てるから『夕陽に向かって走れ』ってのは、『あさひが丘の大統領』じゃないんだから・・・。
 しかし、どうもこれ、マジメな映画だったようです。ネイティヴ・アメリカンの問題を扱った社会派ドラマで、1969年だからそういう作品が作られてもおかしくはない。
 当時の日記には「出演者は好演だが、テーマの重さが映画の面白さとまではいかない。」と書いてあります。「ニューシネマの難しい点かもしれない」とも。いずれにしましても、全然おぼえていないので、これ以上は何か書きようがありませんね。

 この月はイマイチでしたね。劇場で観た『ガンジー』『評決』『トッツィー』のほうが良かった。
 来月は83年6月の回になりますが、テレビでの鑑賞記録の前に『戦場のメリークリスマス』の話をしたいと思います。これまでにもデヴィッド・ボウイについての記事で何度も触れてはいるのですが、私が高校時代に観た映画のなかでも凄く印象深い一本でしたし、なんといっても「戦メリ・フィーヴァー」というのがありまして、そのことも記しておきたいのです。
 なので、次回はデヴィッド・ボウイではなく、たけし・教授・大島を中心にしたそのフィーヴァーについて書きます。