2014年のベスト: 東京女子流 DVD『4th JAPAN TOUR 2014 CONCERT | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 2014年に私がもっとも頻繁に再生した音楽ソフトは、東京女子流のDVD『4th JAPAN TOUR 2014 CONCERT*04 ~野音Again~』。ツアー最終日、6月の日比谷野音でのライヴを収録した映像です。これを今年のベストに選ばせていただきます。
 
 迷いました。ほんっとに、迷いました。候補に挙げた東京女子流、星野みちる、HKT48は、内容的にはいずれ優劣つけがたいものがありました。ソフト単位ではムリ。それぞれの今年の活動を総合的に比べるしかありません。そのへんの事情を詳らかにしたいと思います。
 
 星野みちるさんのアルバム『E.I.E.N VOYAGE』。私はこれをLPでとにかく愛聴しましたし、先がけて7インチアナログ付きCDのフォーマットでリリースされたシングルを追いかけるのも楽しみでした。
 最初は曲とアレンジの佳さに惹かれていたんですが、サラサラと澄み渡り、しかもちゃんと等身大の生活感も伝わるチャーミングな歌声の大ファンになりました。こんな素敵なポップスが作られていることが嬉しく、音楽好きの友人知人にも星野みちるの名を伝えました。素晴らしいレコードでありました。
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 ですが、ひとつだけ、たったひとつだけ、残念なことがありました。11月にリリースされたミニ・アルバム『A/W COLLECTION あなたと私のコレクション』の限定盤CD(ジャケットが7インチサイズ仕様)。この装丁が、あまりにも物足りなかった!
 これは星野さんご本人とはあまり関係のない、重箱の隅にすぎないことです。こんなことを持ち出すくらい、今年は私の中で選出が熾烈をきわめたということでもあるんですけど。
 いや、いいんですよ。星野さんの「ザンネンな」キャラの持ち味は私も好きなんです。
それにしてもあの値段であのパッケージ(とくにCDの取り出し)は、チープすぎやしませんか。今年の彼女のシングルとアルバムが、聴く喜びと手にする楽しみの両方を満たしてくれたのを思うと、あと一歩、ここの詰めさえ気が利いていたら、私はこのミニ・アルバムをもっとリピートしたのに…という感想がどうしても残ってしまうんですね。これが唯一の、ごくごくわずかなマイナス・ポイントになりました。
 
 次にHKT48。ブログのヘッダーにこんな写真を使っておいてベストに選ばないなんて、「おまえ、それはないだろう?」という声が自身の内から聞こえてきます。
 HKTは九州全県ツアー、さらに全国ツアー、そして台湾と、ライヴに明け暮れた一年でありました。それもホームグラウンドの劇場300席から、ホール、アリーナと、異なる規模を一年で経験しています。
 しかも、彼女たちはシングルを2枚出し、AKBの大きなコンサートにも参加し、もちろんテレビなどのメディアにも出て、言うまでもなく週末は握手会に飛び回っていました。メンバーのほとんどが中高生であることを考えると、これは驚きというよりムチャクチャな話です。部活でもここまではやりません。
 そうしたツアー三昧のなかでメンバーの個性がどんどん開花し、さらにそれが次のライヴなどに活かされ、HKTは今年大きく成長したと思います。
 
 指原莉乃さんについては後でたっぷり語りますが、5月に大阪城ホールで観れたライヴでは、彼女の圧倒的な統率力と煽り、そこに喰らいつかんばかりのメンバーの泥臭いまでのバイタリティと若さと青さに、まるで楽器を持たないロックンロール・バンドを見ているような活力が漲っていました。
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  シングルがまた良かった。「桜、みんなで食べた」も「控えめI love you!」も、表題曲がそれぞれにHKTらしいカラッと陽性に弾む良曲で、カップリング・ナンバーがハズレなし。
 とりわけ『桜、みんなで食べた』のタイプAに入っていた「既読スルー」は、彼女たちのオリジナル曲でも一番好き。歌詞のパンチ・ラインと言ってもいい「じっとスマホを手にして何時間も待ってなさい」での、言葉の意味と符割りとメロディーが一体になった気持ちよさ。「何時間も」でのディミニッシュ・コードも「ク~ッ!」と身もだえしたくなるカッコよさ。思春期の女の子の、ちょっと大人びて、男子にはめんどくさかったりする感じを音楽的に表していますよね。
 …なんですけど、「これがHKT48だ!」と決め手になるような楽曲がもっとほしいです。どの曲も好きだし、「夏の前」も「君はどうして」もホントにいいと思うんだけど、まだ代表曲の鉱脈は探り当てていない。「控えめI love you!」なんかは、そこに届きそうなんですけどねぇ。
 
 私にとっての東京女子流は、これまで、センスはいいのに歯がゆさが残るグループでありました。
 音楽的には大好きでした。しかし、どこか超然としているというか、取っつきにくさがあって。この子たち、本当にこれをやりたいの?と疑ってしまうことも、正直に言って何度かあったんです。
 
 でも、私は間違っていました。今年の彼女たちのアルバム、シングル、どれも「うちらはこういうやり方ですが、なにか?」を徹底的に追求していて、とくに夏場からの7インチアナログ攻勢に、それを「意気」として感じ取りまくってですね、そこまでやるのだとおっしゃるのであれば、「行け~、女子流っ、行け~!!!」と、にわかに応援を飛ばすようになりました。
 
 そして野音のDVDです。これを見て、「本当にこれをやりたいの?」なんて愚かな疑いを持っていた自分を責めました。
 曲の良さ、土方隆行さん率いるバンドの演奏の素晴らしさ、これは以前の私にも感想としてあったことです。ですが、それと一体になってなおかつ負けていない彼女たちのフィジカルな表現の力は、女子流の前のライヴ映像からは受けることができなかったんです。
 
 メンバーがステージへ駆けだして「ヒマワリと星屑」が始まるところから、表情もふくめた彼女たちの一挙手一投足に惹きこまれます。曲の世界観がフィットする年齢に近づいている部分と、それに抗うかのような激しい若さが混ざり合って、しなやかでダイナミックなパフォーマンスを生み出すんですね。もともと優れた楽曲がイキイキと輝きだすんですよ。それが畳みかけるように次々と繰り出されて、アッという間に2時間半が過ぎていきます。
 
 また、カメラ・ワークもいいんですよね。ステージ前を右に大きく動いて庄司芽生の笑みでいっぱいの横顔をとらえるところとか、小西彩乃が歌いきった瞬間に山邊未夢の嬉しそうな顔が同じフレームに収まっていたり、パフォーマンスの端々にこぼれるメンバーの思いをさりげなく掬いあげてくれます。
 過剰なストーリー演出とか、ないんです。それでも、見終わると5人それぞれの個性がちゃんと残ります。お父さんみたいなバンド・メンバーの頼もしさも、しっかり焼きつきます。それらがすべて音楽のパフォーマンスの中で語られているところが、私を猛烈に感激させたのであります。
 
 というような次第で、東京女子流が私の今年のベストです。
 
 最後に、指原さんについて。
 1月にHKTの九州ツアー初日を映画館中継で観まして、「あぁ、また今年もこの人に振り回されるのか…」と覚悟していたところ、案の定、そういう結果になりました。
 
 指原さんはプロデューサー的な資質があるんでしょうけど、それを支えているのは彼女の「批評眼」だと思うのです。
 今年出版されて売り上げも好結果を残した彼女の『逆転力』を私はこのブログで辛口に評しましたが、「聞き書き」の形式が隔靴掻痒であるのと、書き手のまとめかたに「(啓発書として)調子がよすぎる」という感想を抱かせた以外は、おもしろい本でした。
 彼女がこれだけ具体例に当てはめて語れるのは、体験したことを「なぜ?」「それって、こうだからだよね」「でも、ほんとにそうか?」「いや、そうだけど、この角度から見るとそれだけじゃない」などと自問自答し、つねにその言葉を論として持ち歩いているからにほかならないと考えます。だから彼女は自身の性格を「疑り深い」「ネガティヴ」と形容するのでしょう。
 
 コンサートのMC、コメンテーター、バラエティでの「ガヤ」、彼女の言葉をよく聞くと、その「批評眼」から導きだされるものが多いです。そして、昨秋から今春まで放送された『指原の乱』は、指原さんの「批評眼」が反映された返答やツッコミから毒だけを抽出して見せる試みで、抱腹絶倒の神番組となりました。
 私はこうした「批評眼」を感じさせる指原さんのファンなのですが、「いくらなんでも、それはゲスすぎ!」と顔をしかめたり(まぁ、それでも喜んでるんですけど)、「言いかたを変えたほうがいいのに」と心配することも多々あります。
 
 今年は、指原さんがアンチの人を2ちゃんで培った呼吸でやりこめる場面も見られました。それは痛快な点もありました。ただ、この一年、彼女の目つきが急激に険しくなっていってるのが気になります。
 無双ということは、裏を返せば危険でもあります。自分が快調に飛ばしていても、運命が急ブレーキをかけることはよくあります。
 それに、世の中、指原さんのことを嫌っている人ばかりではありません。どんなキャラ付けがあろうと、純粋に可愛いと思っている人だってたくさんいます。私も、可愛くない女性のことに時間を割くほど暇人ではありません。
 
 『逆転力』には、彼女が「モー娘。」板の常連であったことも書かれてあります。同板に出入りしていたあの中学生がデビュー前の自分だったと暗に認めたようなものです。指原さんにとって、それは隠すべき過去ではないのでしょう。
 もしかすると、彼女はそれを自分の歴史の一部として大切にしたいのかな、と思います(私の願望かなぁ)。「アイドル」「ファン」という、やっかいでもある事柄に向ける彼女のまなざしには、「批評眼」とはまたべつの、淡くあたたかい、しかし確固たる信念を感じずにおれないからです。
 
(年内の更新はこれで終了です。)