Mick Jagger/ Primitive Cool (1987) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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(1988年、出来たばかりの東京ドームでのミック初来日公演。
こんなに上手い「ホンキー・トンク・ウィメン」って・・・ヘンだ。)
 

 

 1988年はなんとなくボヤーッと明け暮れた印象がある。なんでだろうと考えたら、単純なことだった。自分が大学の3回生だったのだ。どんなに向学の念があっても、3回生にもなると自堕落になる。とくに88年の大学3回生でそれを免れた者はいない。私も、脳みそがツルッツルだった。
 そこに、ミック・ジャガーがソロで来日し大阪城ホールでもライヴをやるというニュースが飛び込んできた。
 
 ミックは前年に2枚目のソロ・アルバム『プリミティヴ・クール』をリリースしたばかり。いや、それ以前に、ローリング・ストーンズはこのときまだ日本の地を踏んだことがなかった。
 大学の談話室で「どうしたものか」と算段していると、友人の友人、食堂で会えば軽い挨拶をかわすくらいの知り合いが輪に加わってきた。「あ、それやったらなんとかなるで」と彼は言う。マスコミ研究会かなにか、その種のサークルに入っていて、大阪のラジオ局の人たちに「顔が利く」男だった。映画『横道世之介』で柄本佑が絶妙に演じた「ギョーカイくん」大学生、あんなのがホントにいたのだ。
 私は彼を虫の好かないヤツだと思っていたが、背に腹は代えられない。チケットは6000円か7000円だったと思う。それも「後でいい」と言うので、男前やなぁボストン眼鏡が似合うなぁなどとさんざんおだてて、丁重にお見送りして別れた。
 
 ところがチケット発売日が近づいても、いっこうに彼と連絡がとれない。ついにチケットが発売されたが、念のために自分で押さえる余裕もなく、私は身動きがとれずに途方にくれるばかりだった。
 同じように金のない誰かの「ま、ストーンズで来ないんやったら見てもしゃあない」との負け惜しみにそうだそうだと肯いたり、「ジョー・サトリアーニとジミー・リップみたいなバカテク・ギタリストにミックのバンドが務まるかい」「どうせストーンズも解散したようなもんやし」、などと愚痴っているうちに、このコンサート行かなくてもいいかも、などと思うようになってきた。
 そんなわけで、大教室前の廊下で件のボストン眼鏡のギョーカイ君にようやく出くわし、「ごめんなぁ、ホンマごめんやでぇ」と腕をつかまれたときには、なんかもうどうでもよくなっていて、「あのコンサート、すごい人気なんやなぁ。ラジオ局の人でも無理やってん。ギリギリまで頑張ってくれはったんやけどなぁ」との言い訳も聞き流せる気分だった。
 だいたい、たかだか京都のギョーカイ君の大学生の「なんとかなるで」を真に受けるほうが悪いのだ。
 
 ミックの初来日が盛り上がったこととセカンド・ソロの『プリミティヴ・クール』とは、あんまり関係がない。誰もがストーンズは日本に来れないのだと思っていたし、そのアルバムが出たころには、来ないまま解散するのか、とあきらめていた。映画『太陽を盗んだ男』(原爆を個人で製造した教師が国家を脅迫してストーンズ来日を実現させるストーリー)から10年もたっていなかった。
 
 85年に最初のソロ・アルバム『シーズ・ザ・ボス』を発表してから、ミックは同年の『ライヴ・エイド』にも、ソロとしてデヴィッド・ボウイやティナ・ターナーらとのデュエットで「ロック・スター」としての華を見せつけた。よく比較されることだけど、キース・リチャーズはトリの「ウィー・アー・ザ・ワールド」大合唱の文字通り幕前で、ボブ・ディラン、ロン・ウッドと3人で風に吹きっさらしの「出たとこ勝負」みたいな演奏を披露した。私はどっちもそれぞれの流儀でカッコいいと思った。
(1986年、ポール、ボウイとミックの「ダンシング・イン・ザ・ストリート」)
 
 86年に入るとストーンズはアルバム『ダーティ・ワーク』をリリース。これが完全なキース主導のアルバムで、ギター・バンドとしてのハードなストーンズをこれでもかとアピールする内容であった。リズムのコクやしなやかさが足りないように思えるが、腹もちのいいアルバムだった。
 これを引っさげてのツアーに出るかと思っていたら、ミックは自分のソロ活動を優先してしまい、キースを激怒させることになった。そりゃ怒るだろう。
 
 ストーンズのツアーがあるのかないのか、じつのところ、どうせ日本は蚊帳の外なのだから、私にはそんなに大きな問題ではなかった。ただ、このころのストーンズには、ミックとキースの間に子供のケンカではすまない一触即発のあやうさが漂っていた。そんな折にミックは2作目のソロ・アルバムを作りツアーにまで出たのだから、ストーンズは終わったと9割くらいそう思っていた。
 
 残りの1割はなんだったのか。ファンとしての希望?それももちろんある。しかし、もっと大きな根拠がこの『プリミティヴ・クール』の出来ばえだった。
 
 私のおおまかな感想としては、すごくいいアルバム、充実の一枚だと思う。ミックのソロ作では93年のサード『ワンダリング・スピリット』もいいけれど、『プリミティヴ・クール』がいちばん好きだ。
 
 ミック・ジャガーという我流の音程で説得力が異常にある不世出のシンガーが、きっちりまとまった「上手い」演奏をバックに、87年のコンテンポラリーな王道のサウンドでどこまで歌を聞かせられるのか、という点ではかなりウェルメイドな仕上がりだ。
 それがストーンズに拮抗するほどスリリングかとなるとべつの話になるけれど、2人のプロデューサー、キース・ダイアモンドとデイヴ・スチュアートはミックのオーダーにちゃんと応えている。ファーストの『シーズ・ザ・ボス』もそういう部分はあったが、あれはあれでもっと最先端を狙って尖がった感触だったし、プロデューサーのビル・ラズウェルの色が濃かった。
 
 おもにサイモン・フィリップス、ダグ・ウィンビッシュ、ジェフ・ベックが全曲でバックをつとめている。そこにG.E.スミス、ジミー・リップ、フィル・アシュリー、リチャード・コットルらが加わり、さらにグレッグ・フィリンゲインズ、デヴィッド・サンボーン、ビル・エヴァンス(サックスのほう。まだ20代だったはずだ)、オマー・ハキムらジャズ~フュージョンの腕利きが脇を固め、ヴァーノン・リードがギターで参加もしている。
 ちなみに、ヴァーノン・リードがリヴィング・カラーでデビューするのはミック・ジャガーのプロデュースしたデモ・テープがきっかけで、このアルバムのセッションが縁となっている
。また、ベースのダグ・ウィンビッシュはのちにリヴィング・カラーに加入する。
 
 とにもかくにも、ジェフ・ベックである。正確にはサイモン・フィリップスとダグ・ウィンビッシュも含めると、当時のジェフ・ベック・バンドがアルバム一枚でミック・ジャガーを支えていたことになる。
 前述のとおり、このアルバムのツアーでギターを弾いていたのはジョー・サトリアーニとジミー・リップ。ジェフは案の定というか、そこには参加しなかった。参加していたら、どうなったんだろう。計算高いミックのこと、ジェフがレコーディングに応じた時点でツアーの青写真も描いて(同時に、断られる可能性も考えて)いたはずだ。
 私はこのアルバムでのジェフ・ベックは調和の取れたとても的確なバッキングで好きなのだけど、それは私がバンド全体で聞かせる音を好むからかもしれない。ジェフのファンはどう受け止めるんだろうか。
 たしかに、大暴れはしてくれない。「シュート・オフ・ユア・マウス」のトレモロ・アームを使ったソロで「来るか!」と身構えても、案外あっさりと終わる。やはり彼が参加したミックのファーストの時とくらべても控えめなバッキングだ。
 このジェフ・ベックの一歩引いたスパーリング度の高くない演奏が、曲の佳さを活かしている面が大きい。じっさい、曲はどれも粒ぞろいで、ストーンズの『ダーティ・ワーク』で出し惜しみしてたんじゃないかと勘繰りたくなる。
 
 「スロウアウェイ」「レディオ・コントロール」「シュート・オフ・ユア・マウス」などは、まんまストーンズだ。それらの曲でのリフをちょっとはみ出したギターのフレーズはストーンズ・ファンの耳にけっこうやさしい。
 チーフタンズのショーン・キーンとパディ・モローニが参加した「パーティ・ドール」のような、ストーンズへの別れを告げたと解釈されてもおかしくないカントリー・バラードの秀作もある。
 タイトル曲の「プリミティヴ・クール」はストーンズの「愚か者の涙」を彷彿とさせる「家族」がらみの歌詞。「愚か者の涙」から10年、「パパ、なんで泣いているの?」と不思議そうに笑っていた子供は、歴史の教科書を読んで「パパ、50年代や60年代ってどうだったの?プリミティヴでカッコよかった?」と聞いてくる。じつは「子供」というのはミックの歌詞で意外に重要な存在だったりする。
 ミックならではのおどけたポップ感(すべってる感も込み)を全面に出したPVの「レッツ・ワーク」は、アレンジを変えれば80年代ストーンズ・ヒットとして面白い試みになっていた可能性がある。
 
 しかし、サイモン・フィリップスの安定したリズムに乗って、ここでのミックは羽をのばして楽しそうであるけれど、これがこの人の最高の姿だとは誰も思わない。ストーンズっぽい曲調で、ストーンズのミック・ジャガー的なシャウトで、バックがやたら上手いことに違和感だけが残ってしまう。
 だから、「だったらストーンズでやれよ」、というのがこのアルバムに対するもっともな意見なのである。 
 まるで離婚を考える男が理想の女の条件を想像しているうちに、結局今のヨメにたどりつくようなものだ。そう考えるとバカらしくもある。その手の愚痴にハイハイと付きあっているちょっとした微笑ましいゆるみがオアシスのようにある、それが『プリミティヴ・クール』の良さだ。
 
 ところで、初来日したミック・ジャガーだが、どうやら京都観光の際に風邪を引いてしまったそうで、大阪公演のひとつが延期になった。その際、京都市内のとある鍼灸院で施術を受けたという話を例のギョーカイ君がなぜか得意げに語るのだった。それを信じたものかどうか、私はいまだに迷っている。
 
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(良くも悪くも85年の音、ファースト・ソロ。いま聴くとベースの音圧が低い!)
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(リック・ルービンがプロデュースした3枚め。タイトなロックやソウル曲が満載の傑作。)
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(2001年の4作め。なかなか渋いヴォーカル・アルバム。しかし時代とずれてるのが気になる。)
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(ソロのベスト盤。貴重な曲も収録され、全体が聞き飽きない構成。じつはかなりの推薦盤。)