Alexander O'Neal/ Hearsay (1987) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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ロックを中心とした昔話、新しいアフロ・ポップ、クラシックやジャズやアイドルのことなどを書きます。

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 レジ・カウンターというのは中で動ける範囲も限られていて、向こうからやってくるお客さんからは逃げられない場所でもある。
 その日、CDショップでレジを打っていた19歳の私は、こちらへ歩いてくる自分と同じ年恰好の男を見て戸惑った。
 まちがいない。中学2年、3年と同じクラスにいたヤツだ。目つきが鋭く素行もよろしくない、反抗的で粗暴で先生の手におえなかった、当時でいうところの「ツッパリ」だった。
 
 中学生だった80年代初頭、私の学校も「校内暴力」で荒れていた。「腐ったミカンの方程式」の頃だ。
 授業は私語でつねに成立せず、先生はしょっちゅう殴られるわ、公共物は当たり前のように壊されるわ、購買部は万引きか良くてもツケ払いだわ、トイレはモクモクだわで、毎日暗澹たる思いで登校していた。
 私は学校が嫌いだったが「ツッパリ」とやらはもっと嫌いだった。もちろん例外的にいいヤツもいた。でも、自分の意のままにならないとすぐに手をあげたり恫喝する短絡的で身勝手な連中
とはソリが合わなかった。
 合わないといえば音楽の趣味などもそう。ロックなんか聴かずに歌謡曲やニューミュージックにしか興味を持たない人たちが大半だった。
こいつらの薄っぺらい反抗はロックンロールと無縁なのだな、とバカにしていた。
 今にして思えば、狭量な物の見かた、人間観に音楽観だったと反省するけれど、当時は私もしょせん中学生だったのだ
 
 そんな大嫌いな一派だったヤツがレジにやってきた。中学時代にはほとんどしゃべったこともない。階段の踊り場などで、思いつきの適当なからかいを何度か浴びせられたことがあるくらいだ。
 卒業してなにをしているのか知らなかったが、光り物で飾った出で立ちと全身で放つ雰囲気から、彼はどうやらその筋の道を極めていってるようだった。派手な女も侍らかしている。キャリアも順調なのだろう。
 あぁ、やなヤツに出くわしたなと、なるべく顔を合わさないよう、うつむき加減に「いらっしゃいませ」と言った。
 
 CDをカウンターの上に差しだしながら、彼は私に言った。「なぁ、〇〇中学におらんかったけ?」
 そこまで言われて目を見ないわけにはいかない。「え?あっ…!」などと、わざとらしく今気づいたふりをした。向こうは薄ら笑いを浮かべる。しょうがないので、「おぉ」そして「久しぶりやな」と愛想笑いを顔に貼りつけた。向こうはそんな私の内心をすべて見透かしているかのようにニヤニヤしている。
 早くやりすごそうと、値段を打つためにCDを拾い上げた。アレクサンダー・オニールの『ヒアセイ(噂)』だった。
 
 1987年にリリースされた、80年代ブラック・コンテンポラリーの名盤だ。
 ミネアポリスの街で無名時代のジャム&ルイスとバンドを組み、プリンスの肝いりでデビューまでこぎつけるも、プリンスとケンカして脱退したシンガーである。彼が抜けたあとのバンドはモリス・デイを迎えてザ・タイムと名乗り成功を手に入れた。
 そんなアレクサンダー・オニールのセカンド・アルバムが『ヒアセイ』。ジャネット・ジャクソンの『コントロール』を大ヒットさせ、まさに飛ぶ鳥落とす勢いのジャム&ルイスがプロ
デューサー。ここからニュージャックスウィングの隆盛を経て、ジャム&ルイスはアメリカのポップ・ミュージック界に君臨する存在になる。
 アレクサンダーのヴォーカルはとくにバラードで本領発揮、ディープかつしなやかな節まわしはソロでも女性とのデュエットでもとろける甘さと濃厚さをあわせ持つ。『ヒアセイ』ではそれに加えてミネアポリス・ファンクのタイトなリズムに支えられたダンス・ナンバーが出色。このアルバムではむしろアップテンポの曲で自在に泳ぐような彼の歌に酔わされる。
 
 私はその半年前くらいから徐々にソウルやファンクを聴くようになっていた。最初はギターの音などが地味で物足りなさを感じていたのが、その物足りなさに味わいをおぼえるようになり、やがてリズム・ギターのカッティングにスリルを見出し、音楽がわかってゆく嬉しさが日増しにふくらむ真っ最中だった。
 ずいぶんウブではあったが、あの楽しさはあの頃ならではのもの。ライナー・ノーツや本を読み、次は誰のどのアルバムを聴こうか、毎日ワクワクしながら過ごしていた。『ヒアセイ』もジャム&ルイスへの興味の糸をたぐるうちに出会ったアルバムだ。
 
 そんなふうに音楽をコツコツ「お勉強」している自分の前にあらわれたのが、大嫌いだったアイツと、私も好きだった『ヒアセイ』。
 なんでだ、なんであの「ツッパリ」が俺と同じ地点にいるのだ。こいつは外車でユーロビートでも爆音で鳴らしてるのが堰の山ではなかったのか?私はおそるおそる聞いてみた。「ソウル、好きなん?」
 すると彼はニヤニヤ笑いを少しだけ収めて、こんなことをのたまうのだった。「おう。マーヴィンとかな。モータウンとかな」
 マーヴィン!モータウン!まさかこいつの口からそんな神聖な言葉が出てこようとは。さらに彼はアレクサンダーのCDを顎で指し
て言う。「前のアルバムも良かったしな」
 私は「前のアルバム」を聴いていなかった。
 次のお客さんが彼と連れの女の後ろに遠慮がちに並んだので、そこで話を止めて会計を進めた。私はお金を受け取って釣り銭を渡しながら、グラつく気持ちと闘っていた。
 CDと釣り銭を受け取り、彼は私の顔を見て「ありがとう」と言って、連れの女とレジを後にした。
 
 負けた、と思った。なにに負けたのか。
 私が聴いてないアレクサンダー・オニールのファーストをあの「ツッパリ」が聴いていたからか?私の好みではないが女を侍られせていたからか?それとも、最後に「ありがとう」と言われたからか?
 どれも当たっている。でも、それだけではなかった。私は、かつて嫌っていたアイツが、おそらくそのままの道を進み、私とはかけ離れたその道程でソウル・ミュージックに出会い
それを好んでいることに驚いたのだ。私は、あんな連中のいる世界には、本当に素晴らしい音楽はないのだと、どこかで見くびっていた。
 
 レジ・カウンターひとつ隔てた彼の手にあるアレクサンダー・オニールには、私が「お勉強」して出会いレコード棚におとなしく収まっている同じアレクサンダー・オニールには欠けているなにかがあった。
 ギラつくなにか。飛び出してくるなにか。匂い立つなにか。それは女の匂いだったのか、ディスコのフロアの振動だったのか。あるいは、もっとほかの、私がソウル・ミュージックを聴いているときに感じる、あの切なくなるほどに憧れるなにかだったのか。
 俺は、ニセモノだ…私は、どうしようもなく自分が情けなくなってしまった。
 そして、なぜもうひとこと言わなかったのだろう、と悔やんだ。「俺もソウル好きやねん」、と。
 それだけでいい。それだけでよかったのだ。そうすれば、ほんの一瞬でも、私たちはお互いにいちばん素直な微笑みを交換しあうことだってできたかもしれない。
 その後、あいつとは一度もすれ違ってさえいない。
 
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(アレクサンダー・オニールとの因縁深く、またジャム&ルイスも在籍していたザ・タイム、90年の再結成盤。ミネアポリス・サウンドの集大成的な魅惑のアルバム!)
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(ジャム&ルイスについては私のごとき門外漢の出る幕ではないのを承知で、90年前後の大ヒット・アルバムをいくつか。
なんといってもサントラの『mo' money』!自分たちのレーベルの第一弾にしていきなりの金字塔。「アイスクリーム・ドリーム」でMC LYTEを知った!
ジャネット・ジャクソンは『リズム・ネイション1814』も強烈だったけれど、私は『コントロール』のほうが好み。
ニュー・エディションの看板、ジョニー・ギルとラルフ・トレスヴァントのソロはこの時期ホントに輸入盤店でよく流れていた。)