1000回記念、この11年半を振り返る~ 第3回2013→2014 びわ湖青春編~ | カツランナー もうひと花PROJECT

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38歳2児の父、京都府宇治市の市民ランナーです!
仕事や家庭と調和しながら、愛するランニングで花咲かせたい!そんな日々を綴っています。

こんにちは!
勝手に「もうひと花PROJECT」やっています。


1000回記念ということで、この約11年半を振り返っております。
今回はその3回目。

1回目と2回目はこちら↓↓

 


 



この作業を行うにあたっての最大の敵は、「誰が興味あんねん!」という内なる声なんですが(笑)
そこは開き直っていきます。

そして、この作業はなかなか激しく自分の感情を揺さぶります。少し情緒がグラグラです(笑)
なかなか貴重な体験なので、たまには(10年に1度くらいは)やってみる価値があるかもしれません。

さて、2012年度まで振り返ってきました。

2011年11月の福知山マラソンでベストを大きく更新できたのをきっかけに、びわ湖毎日マラソンへの出場を目指しております。


【2013年度(30歳)~4年目~】

この年に30歳になりました。
30歳になった日に思ったことは、「今の自分はかつて思い描いていた30歳とは程遠い。こんな自分でいてはいけない。」というものだったと覚えています。

とても焦っていました。

それを象徴する記事が...
 


いやぁ、焦っていますねあせる

「自分には色々なものが足りていない」という漠然とした焦り。
それゆえにたくさんの分野に手を出してみようと思っていた時期だったと思います。

とはいえ、独身だったし、不安を源にしていたとはいえエネルギーに満ちていたし、仕事も落ち着いていたし...

とても楽しい時期でもありましたニコニコ

人としての成熟がかなり遅めの僕にとっては、良くも悪くも第二の青春時代と言ってもよいかもしれないですね。

そして、ランニングの分野ですが、こちらの方も一喜一憂しながら練習に取り組んでいたようです。
今でも付き合いのあるランニング仲間とも巡りあえて、「目指せびわ湖プロジェクト」なんて言いながら練習を重ねていたようです!

そしてついに...
 


2013年12月の西脇子午線マラソン(ハーフ)で、70分を切ることができ、初めてびわ湖毎日マラソンへの出場権を獲得しました!

いやはや嬉しかった爆笑
市民ランナーになって多くのレースに出場しましたが、これほど嬉しかったことはなかったのではないかと思います。

そして、そのまま同シーズンのびわ湖毎日マラソンに出場したわけですが...
 



やはり上手くいきませんでした!
典型的な「場に飲まれた」というやつですね。
まぁ、出場することを目標としていたわけですから仕方ないですね。

次のステージに進めたのはとてもよかったのですが、当然ながら新たな壁が立ちはだかりました。

フルマラソンでも2時間30分をしっかり切ることを目標に、挑戦は続きます。



【2014年度(31歳)~5年目~】

ブログを読み返してハッキリと思い出すのですが、このシーズンは、なんというか「青春度」が最も濃厚だった1年だったと思います。

感情がブルンブルンと揺れ動き、舞い上がったり落ち込んだりの幅がとても大きかった。
結果的に独身最後の年になるわけですが、それにふさわしく自由に動き回った年でした。

ランニングの方は、この年は「自分は筋力が弱いから筋トレしなきゃ」と短絡的に思ってしまい、ジムに通ったんですが、結果的に裏目に出ました。
ジムの日々は結構楽しかったんですけどね。

あと、こんなことも言っています。


太陽が丘ジョギングクラブで副会長になっていましたね。
まぁそれから長いこと同じような立場におるんですが、年に2回の合宿開催(それも今はコロナ禍でできませんが)は続けているんですが、日々の活動にはいまいち貢献できていないですね。

毎年「今年こそは太陽が丘JCの通常練習を充実させよう」と思うわけですが、他のレースや家庭との兼ね合いでなかなか上手くいきません。まぁ、細く長く関わっていきたいと思っています❗️

話を戻しまして...
2時間30分切りを目指して練習に取り組むのですが、なかなか上手くいかず...
 


うーん。
なかなか上手くいきませんね。

その後、大阪ハーフマラソンではコンディションに恵まれて幸運にもベストを更新できたのですが...

「今回のびわ湖マラソンを最後に、本気で記録を目指すのはやめる」
と、それまでには言わなかったことを言っていますね。

どんどん伸びていく時期から停滞期に移行した象徴ですねひらめき電球

で、その結果...


バチが当たったようです(笑)


結果が悪かったレースは多々ありますが、それで悔し泣きしたのは2回だけだったと思います。
その1回がこの唯一途中で収容されたびわ湖毎日マラソン、そしてもう1回は2019年の舞洲リレーマラソンですね...あれは悔しかった。



というわけで、2013年度から2014年度を振り返ってみました。

恥ずかしくなるような気持ちの不安定さ、しかしそれゆえの推進力を持った、人より遅めの青春時代と言ってもよいと思います。

少しだけ大人になれた私ですが(30代後半で何言ってんだってハナシですが)、この時代を経ることは必要不可欠だったのかと思います。

あともう1つの発見としては...

今回のびわ湖毎日マラソンで参加者多数につき参加標準記録が引き上げられ、切られる形になりました。
悔しくないと言えば嘘になりますが、周りの切られた仲間と比べて傷は浅く立ち直りが早いなと思っていました。
それはびわ湖マラソンへの想いが薄いというよりも、僕の気持ちのピークが標準記録を何とか突破して出場権を得たところにあったからだと思います。(それと、後程語ることになると思いますが、一度ロスしてからの再獲得の時)

なので、割りとあっさり次の目標に移せるのでしょうね。


さて、気持ちは不安定でしたが、ランナーとしては大方右肩上がりだったこれまでの時期ですが、これからはそうも言えなくなってきます。


次回は人生の大イベントを経て、多くのことが変わっていく様子を振り返りたいと思います。