前川クンへの死球は本当に申し訳なかったと思ってます。合わせて、この試合でサトテル君の肩口をかすめあと数センチで死球になっていたあの一球についても同じように謝罪したいと思います。島内のボールも、ハーンのボールも、プロ野球の投手が投げるべき種類の球ではなく、技術としても精神としても未熟なもの。ただ、それだけの話であり非難されるのは当然。もちろん前川クンが前の打席で意図的に肘を出し死球を取りにいったように見えたことは映像を見ればわかるし、サトテル君のように手のつけられない打者を相手にするなら、内角を攻めなければ勝負にならないという現実もございます。しかしながらそれとこの二つの危険球は別の話かと。原因はもっと単純で、もっと情けないモノです。コントロールが甘い。技術が足りない。精神的にも脆い。捕手の構えた位置と試合の流れを見れば、それ以外の説明は必要ないかと思うくらいの情けない話。他方で、八回裏二死走者なし、小園への初球の死球だけは、違うものに見えました。捕手のミットの位置。ぶつけたあと、誰も急がない時間。前の打席で当てられそうになった選手の代わりにお返しを済ませたというような投手との無言のやり取り。そして、二死走者なしの初球という状況。前日に死球で骨折した選手と同じ肩口へ向かう軌道。偶然というには、材料が揃いすぎてます。さらに印象的だったのは、当てたあとの両軍監督の表情。怒りでもなく、驚きでもない。冷めていて、どこか納得しているように見えましたわ。まるで儀式のように。任侠映画の手打ち式のように「これで終わりだ」という空気だけが静かに流れてました。小生も昭和の野球を見てきた人間ですので、こういう場面はいくらでも知ってますし全然珍しいことではないですわな。むしろ、昔なら美談にさえされたかも。ですが、もうそういう時代ではない。こんな古い論理を繰り返している限り、野球という競技は少しずつ人を失っていく。技術でも戦術でもなく、古びた感情だけがグラウンドを支配する。その光景を見ていると、どうしようもなく腹が立ったのでございます。今シーズン、この広島カープには野球以外の最悪な話題がいつまでもまとわりついてます。その閉塞感も含めて、自分が腹を立てている相手は一球や一人の投手ではなくて「古い野球」そのものなのだと思います。改めて、阪神ファンの皆様には心よりお詫び申し上げます。そのうえで、どうしてもこの違和感だけは書き残しておきたかったのでございます。ご容赦いただければ幸いです。本当に申し訳ありませんでした。