アメ横探訪でお腹も満たされたので、

本来の目的である上野恩賜公園での花見へ。

 

アメ横センタービル地下食品街で、

アジアの市場感に陶酔していた

前回は、こちら。

 

上野恩賜公園は、

言わずとしれた東京の花見のメッカ。

今年が、開園150周年だそうですよ。

 

 

今年の東京の桜は、満開の時期に天候が悪くて

ちょっと残念でしたが、国内外から訪れている

多くの花見客で賑わっていました。

 

 

満開の花びらが、コロナ禍の収束を祝う。

 

 

ソメイヨシノの向こうに見えるのは、

花園稲荷神社かな。

 

 

上野東照宮へお参りに。

鳥居をくぐった参道の両脇に並ぶ

屋台の景色が好きなんですよね。

 

今回は食べなかったけど、

ベンチも多くて、定番の焼きそばなどを

味わいながら一休みするのも良いですよ。

 

 

やはり今年は、生前の東照大権現を演じる

松潤のポスターが、数多く掲示されていました。

 

外様大名ながら大御所様の信頼が厚かった、

藤堂高虎が寛永4(1627)年に創建した上野東照宮。

東照大権現、暴れん坊将軍、

豚肉大好きな最後の将軍が御祭神です。

 

そう言えば、NHKの「大奥」で、

冨永愛が演じた暴れん坊将軍は、カッコ良かった。

 

 

でも創建当初は、東照大権現、

天海僧正(光秀説もある坊さんブレーン)、

藤堂高虎(7回転職)が、御祭神だったんですよね。

 

現在の金色に輝く社殿は、

春日局大好きっ子将軍が改築したもの。

 

幕末の上野戦争で、彰義隊が近くに

本営を築いたにも関わらず難を逃れ、

また関東大震災も無事に乗り越え、

さらに先の大戦で上野など下町が主目標だった、

昭和20(1945)年3月10日の

東京大空襲でも被災しませんでした。

それで、強運の神社としても知られています。

 

世界の恒久平和を願いました。

 

 

徳川御三家が寄進した灯籠。

唐門に近い方から紀伊(頼宣)、水戸(頼房)、

尾張(光義のちの光友)の並びですが、

通常、御三家の格式で言えば、

尾張62万石、紀伊56万石、水戸35万石の順

(藩祖の生まれ順)になります。

 

しかしながらこの時、

尾張家は代替わりしたばかりで、

藩主の光義の官位がまだ低かったため、

この並びになったと考えられているそうです。

 

 

西郷どんとスカイツリー。

このアングルで撮影したのは初めてです。

 

先に述べた1945(昭和20)年3月10日の

東京大空襲による死者数は、10万人以上。

 

多くのご遺体が、上野恩賜公園に集められ、

ここ西郷どんの近くで火葬されました。

そして仮埋葬されたご遺体は、約8,400体。

 

その様な戦争の悲劇による

哀しみに満ち溢れていたこの場所で、

焼け焦げたご遺体が並べられていたその上で、

今は、花見を楽しめる平和の有り難みを

もっと深く考えなければならない。

そう、思います。

 

厭離穢土欣求浄土