面倒くさいから、年賀状を書き続ける | B&Fab「本」と「ものづくり」と「珈琲」

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本(Book)とモノづくり(Fabrication)を中心に、人が集まり会話が生まれる憩いの場、そんな場所を作りたく、ただいま奮闘中!(または迷走中)


いま頃年賀状を書いている。

現在1月7日午前10時……。

むかし、母親に、

「年賀状は松の内の1月7日までに届くように出しなさい」

と言われたことを覚えている。

アマゾンの当日お急ぎ便でも使わなければ届かない。


2年続けて喪中だったため、しばらく年賀状を書いていなかった。

それ以前の数年は妻の手作りスタンプを使っていたが、どうも妻はこれを機に年賀状を出すことを止めてしまったようだ。

僕も同じスタンスで構えていたのだが、年が明けて年賀状を受け取ってしまうと、やはりそのままにするということもできず、いただいた人限定であるが、いまさら書いているというわけだ。


年賀状をいただけるのは、ありがたいことだ。

特に何年も会っていない人からもらうと「あぁ、覚えていてくれたんだ」とうれしくなったりする。

ただ、最近は宛名はすべてPCソフトで印刷されていて、手書きのものはほとんどない。

裏面も印刷で、子供の写真が圧倒的に多い。

PCの普及が年賀状の形をすっかりと変えてしまった。


決して悪いことではない。

何十枚も出すのに費やす時間は、以前より大幅に短縮されている。

けどやはり、手作り感がない年賀状に、何か味気なさを感じてしまう。


この感覚……

何かに似ている。

つい最近感じた何かに。


そうだ、アニメ映画だ。

CG全盛期、ほとんどの作品にCGが満載。

中でもキャラクターをすべてCGで描いたものに違和感を感じる。

作者の個性というか思いというか、そういうものが伝わってこないのだ。

古い人間だと、言われてしまうかもしれないが、やっぱり手書きで描いた昔の作品の方が、僕にはしっくりくる。

いまのCGをふんだんに使った作品は、すべて同じに見えてしまうのだ。


もらった年賀状の宛名が手書きだったりすると、うれしくなる。

個性ある書体で書かれていると、すぐにその人のことを思い出せる。

たとえ印刷であっても、余白にちょっとした「手書きの一言」が添えてあると、ほっこりした気持ちになる。

その一言を書いたとき、自分のことを思って書いてくれているのだと思うと、離れていても繋がっていることが実感できる。


だから、僕はいまでも宛名は手書きで書く。

PCソフトは使わずに、スタンプと手書きメッセージだ。

多少、時間はかかるけれど、1年のうちのわずかな時間。

これまでに出会った大切な人たちと、繋がることができる貴重な時間。


いつまでも、大切にしたいから。


「おっと、早く仕上げなければ……」


(了)