本書から】
第二章 ヨーロッパ500年遡及史
「ブルコス法」によってインディオが「人間」であると認められたことは画期的であったとは言えなくはない。これによってスペイン人の加虐行為が止むという保証はなかったし、国民の偏見が改まる可能性もほとんどなかった。けれども何はともあれ、ここからすべてが始まったのだ(1512年)。
アステカ王国やインカ帝国の攻略によってスペインは16世紀以来、悪の帝国の烙印を捺されて顰蹙を買ってきただけに、原住民の人権に関する苦しい国内討議、哲学的煩悶の姿はむしろ意外であり、発見であるとさえいえるだろう。なぜなら17-18世紀以降のイギリス、オランダ、フランスによるアジア・アフリカの全域における植民地帝国主義の進出において、16世紀のスペインほどの激しい論争も、苦悩に満ちた内省も全く認められなかったからである。
インディオによる神父殺害事件が起こると、スペイン人による奴隷狩りが再び始まり~。
(ローマ)教皇は内部の異端に激しく対処し、精神の純化を図り、そしてその上で外部に激しく戦闘し、ヨーロッパ世界を拡大した。
原爆投下に対しトルーマン大統領(在任1945-53)は「獣の接するときには獣として扱わねばならない」と言った。アメリカは日本を何とかしてキリスト教化しようとして失敗した。日本人の天皇信仰はキリスト教徒の目からすれば「偶像崇拝」であって、まさしく「自然法」に反するのである。
近代はキリスト教的西洋世界が決してすべてではない。私たち日本人はそのことを150年間体験しつづけてきたのである。そしてインディオには自ら表現する言葉がないけれども、私たちには言葉があるのである。