藤井聡】川辺川ダムが「予定通り」作られていれば、球磨川決壊による死者の多くが「救われていた」疑… リンク【「新」経世済民新聞 2020年7月11日】 記事より】 川辺川ダム事業は、1966年から始められ、2008年時点ではおおよそ7割程度の進捗状況にまで至っていました。 【藤井聡】川辺川ダムが「予定通り」作られていれば、球磨川決壊による死者の多くが「救われていた」疑義が極めて濃厚である。 | 「新」経世済民新聞(1)大きな被害をもたらした球磨川決壊梅雨前線の日本列島での停滞による「令和2年7月豪雨」は、全国に様々な被害をもたらしています。その中でも特に大きな被害を受けたのが熊本。下記記事では熊本県の死者は55人、行方不明が9人と報道されています。38news.jp
【藤井聡】川辺川ダムが「予定通り」作られていれば、球磨川決壊による死者の多くが「救われていた」疑義が極めて濃厚である。 | 「新」経世済民新聞(1)大きな被害をもたらした球磨川決壊梅雨前線の日本列島での停滞による「令和2年7月豪雨」は、全国に様々な被害をもたらしています。その中でも特に大きな被害を受けたのが熊本。下記記事では熊本県の死者は55人、行方不明が9人と報道されています。38news.jp