知らせを待っている。

去年は自らたずねた。
しかし、今年はただただ知らせを待っている。


初めての電話からまだ1ヶ月も経たない。

あの電話が僕はとてもうれしくて、
だから、知らせを待っている。


あの人は「美しさ」を知っている。
だから、僕はあの人を尊敬している。
そして、僕もその「美しさ」に答えるべく待つことにする。


いい知らせもきっとあれば、
悪い知らせもきっとあるだろう。


その結末を知りたいと思っていることが僕にとっては重要なのだ。


今はまだ戦いの最中。
明日もそう。
ただ成功だけを祈っている。
心の中でずっとずっと応援している。


ただただ知らせを待っている。
とある保護者から電話があった。
5年前に僕が学年主任として送り出した生徒の保護者だ。


その生徒が大学に合格した、ということだった。
その子は二浪していたのだ。


僕も一浪したが、二浪はちょっと根性の入り方が違う。


教え子たちが僕の手を離れた後も、
自分の目標に向けて妥協せず向き合ってきたこと、
そして、その結果、目標を達成したこと、
そんな話を聞くと、僕は思わずにやけてしまう。


この子の場合、
高校入試は結構「順風満帆」だった。

そういう子の多くは大学入試で「妥協」してしまうことが多いものだが。
この子は違った。

それがすごいなあ、と心から思った。
残念な「妥協」をいくつも見聞し、自分たちの「教育」の未達成を何度も痛感してきたから。
この子がすごいのだ。


こと、勉強に関しては「人生最大の挫折」だったと想像する。
しかも、「二浪」だ。
なかなかできることではない。


僕が見ていたのより、
ずっとずっと「芯の強い」子だったんだな。
そして、「やり遂げた」んだな。

そう思うと、教え子ながら、すごい奴やな、と感心してしまった。



どんな人になってほしいのか。

自分の未来を自分で創造できる人になってほしい。

そのためには、何が必要か。
いろんなものが必要だ。
それを身に付けさせるのが僕のしたいことなのだろう。

できているのかはわからないけど。



今、中3生たちが入試の真っただ中だが、
「高校入試」で終わってしまう処世術なら、
教えないほうが彼らのためだと僕は本気で思っている。


その場しのぎのコミュニケーションはうんざりなのだ。


高校行っても
大学行っても
社会に出ても
ずっとずっと持ち続けられるもの。
ずっとずっと大事にしたいもの。

そんなものを授けたいのだ。



だとすれば、
自分自身の時間軸を
深さを、
自分自信の視野を
広さを、
僕自身がかちとらねば始まらない。


結局そういうことなんだな。
人間と人間。
一対一。


「世界中を敵に回しても君は君であれ」

こんな境地に至るまでに手に入れるべきものは数知れない。


生徒たちも。
僕自身も。