今すごく好きなsingerの曲のタイトル。

その中に
「私が好きなものはたった一つだけと思っているならそれは間違いね」
という歌詞がある。

この節がめっちゃ好き。
まあ聴いてください。



それはともかく。
「好き」が生み出すエネルギーが最も健全で、純粋で、最も強い。

ここ2・3年生きてきてはっきりそれを自覚するようになった。
結局、それしかガソリンになりえない。


それ以外のモチベーションから生まれるものは「アヤウイ」。
というか、何かうさんくさい。
それは自分のことでも。他人のことでも。


そして、
何が「好き」なのかを聞けば、たいていのことはわかる。
その人間のすべてを表している。

何が「好き」かを公言することって難しい。
それによって大抵は見透かされるから。

だから、
○○が好きと大声で叫べるってことは、
そういう意味での恐れがないということであり、
純粋なエネルギーにみなぎっている状態なんだなー。



大人はなかなかそれができないゆえに、
そうあれる大人には何か吸い寄せられるわー。
絶対にどんなことがあっても、
裏切らない
崩れない
傷つくことのない

そういう人間関係に憧れを持つことがある。
正確に言うとあった。


そういう人間関係を作り上げることが最終目標というか、到達地点というか。
そういう感覚ってみなさんにもあると思う。

恋愛などは特にそういうかたちが理想なのだろうと思うし、

それに限らず、
仲間どうしでも、師弟関係においても、もちろん、友人どうしでも。

それが最も心地よいものであると思われているはずだ。




最近思うこと。

そういうものって人間を堕落させるだけじゃないかしら。
それが「甘え」以外の何を生み出すというのか。


元来、そういうものは存在しえないし、そう見えるものに依存するのが最も危険だ。
あるとすれば、せいぜい家族くらいなものだ。
(家族がそうであるという人は幸せだと言うべきなのだろうが。)



「最高の信頼関係」は、
「最高の愛情」は、
「最高のパートナーシップ」は、はかないからこそ美しいのだ。
はかないからこそ大切なのだ。


相手が変われば、
自分が変われば、
その関係は変質するし、むしろしてほしい。
無理に守るものでもない。


最も大切なものは、
最も素晴らしい自分だけが手にする。
だから、いつも輝いていなければ。

そういう緊張感。



義理人情と対極にあるお話。
そして
無邪気な絶望とは縁のない世界。


最も信頼する人間との間に、
最も愛する人間との間に、
最も大切な子供たちとの間に、
そういう「ゆらぎ」を感じながら、
「ゆらぐ」からこそ大切にしていける、というような、そういう感覚を大切にしたいわ。


それでこそ、自分も相手も幸せになれる気がするけどねー。
最近、プロとアマの違いをよく考える。


自分なりに達した結論。

プロは「他者からの評価を受け取っている」。

もっとかみくだけば、プロには「値段がつけられる」。


それはもう、望む、望まずに関わらず。



対象となる顧客の一つ一つの選択がすべて「評価」となる。



それは別のいい方をすれば、
「ファン」を作ることであり、「敵」を作ることである。


元来がそういう存在なのだ、プロというやつは。



それが「プロ」だとすれば、
自分の値段くらいは値札を見て確認しておいたほうがいいよな。
とは、つくづく思う。



自分の値段も知らないで、売り方を間違えている人ほど、みっともないものはないからね。



そういう意味では生きている限りプロではないですか。
当たり前に。