モウリーニョがいつかこんなことを言っていた。

「美しく勝つのが一番すばらしいのは間違いない。
 ただ、美しく戦い負けるのと、美しくなく戦い勝つのと、
 どちらかを選べと言われれば、私は後者を選ぶ。」

モウリーニョらしい言葉だね。



今年は勝負の一年と決めている。
というより、
我慢の一年。
忍耐の一年。



モウリーニョの言葉が何度も何度も頭をループする。



美しくなくとも、
つまり、
理想とはかけ離れたプロセスを経てでも
「勝利」にこだわる一年だ。



その一年も折り返し。
一年-半年=半年。
あと半年だ。

今年はプロセスは問わない。
「勝利」にこだわる。



でもねえ、
それは僕個人の「手ざわり」ではしっくりこないというのが本音。
そんなわけで心が肩凝り気味だ。



「勝利」はすべてを隠してしまいませんか。


「勝てば官軍」という言葉は真理だ。



「勝利」は思考を停止させる。
「勝利」は平坦でのっぺりしている。
「勝利」はコンビニで売っている無味乾燥な既製品だ。



真実は「敗北」だけが知っている。



その「味」が僕は大嫌いだけども、
大切で大切で仕方がないものになる。



自分自身を等身大にさらけだして、「負ける」のが素晴らしい。


そこに「自分」がいるよ。


「敗北」は何も隠さず、すべてを教えてくれるよ。
「敗北」には自分の匂いがしみついている。
「敗北」は他のだれでもない、自分だけのモノなんだな。


そして、自分らしくまた歩き出せる。



負けてなお誇らしく前を向いて歩く。
負けてなお語れる想いだけが真実だ。
誰かにきっと伝わる。



結局、「勝敗」は自分の心が決めるということでもある。
うちの職場はとにかくせまい。

とにかくせまいので、
人の席の後ろを通るのに、いつも「すんません、すんません」の繰り返し。
そのうえ、とにかく「モノ」が多い。
「モノ」であふれかえっている。

そこで、少し前に新たに机をおいてみた。

そこに、「モノ」が置ける!
当時は、その快適さに驚愕した。


しかし、今日思った、「じゃまだ」と。
当たり前の話だ。せまいんだから。


机があることの幸福があるところには、
必ず机があることのわすらわしさがある。
不思議なものだなー。


昔、何かTVで見た。
「収納の達人」が言ってた。

「モノを捨てるのがもったいないと言う人は、
そのモノのせいで死んでしまっているスペースをもったいないと思うべきなのです!」
的なこと。


ぜいたくとは、何かが「ある」ことを指すことが多い気がする。
しかし、何かが「ない」ことによるぜいたくもあるんだ。

デザインなんかもそうだよな。
「空白」が一番のスパイスのはずだよ。

音楽でもそう。
「すき間」を活かした音楽が一番のれる。


ほしいものをむさぼって生きて、詰め込みすぎた人生はいかがなものか。

モノとモノのすき間には、もっと濃密な幸福が満ちている。


「ない」ことを喜ぶ。
そんな気持ちが大事なんだな。

それでもなお、「ほしい」と思う気持ちは抑えなくてもいい。
と僕は強く思う。


回帰するのではなく、
新しい方向へ行こう。

それだからこそ、気づく価値があるんだよ、きっと。



のし。
自分ができることをする。
これが大事。


結構、あるんですよ。
自分ができることっていうのは。



言い換えれば、
ジャンプしようとはしない。
ほふく前進がいい。


人生はほふく前進にかぎる。


ほふく前進していても、
ジャングルを抜ければ、景色は一気に見違えるぜ。


重心は低く。
上ばかり見て、足元を見失うな。



ふと、周りを見わたして、
うらやましくなって、
ねたんでいるようじゃ三流だ。


誰かのことをうらやましがって、ねたんでいるとき、
自分って弱い人間だなーと一番痛感する。


「うらやむ」の「やむ」はやっぱり「病む」なんじゃないかな。
あれは一種の「病」だと思う。


僕もそういうことが時折あります。
こう見えて。
というか、よくある。



そういうときに、ほふく前進のこころを思い出したいものだ。
というか、そうしてる。
それが一番の「薬」になる。