アイドルグループAKB48で総監督を務める向井地美音が、自身のツイッターを更新。「恋愛禁止」についての考えをつづった。それとともに「本当に申し訳ありませんでした」と謝罪した。
向井地は「アイドルとして皆さんから頂いた愛や信用を裏切ることが起きてしまい、本当に申し訳ありませんでした」と謝罪。
「そして、今まで曖昧になっていた『恋愛禁止』というルールについて改めて考え直す時代が来たのだと思います。運営と相談し、どのような形であれ必ず結論を報告させて頂きます」と記した。
本当に久々にAKBについて書く。
これまでAKBについては”秋元康アンチ”の立場で何十本も記事にして来た。
日本と言う国の凋落の一端がAKBにあるとして、かなり辛辣な事を書いて来た。
秋元康、そしてAKBについてならば、筆は軽く、何処まででも書けた。
その意味で当ブログはAKBのファンブログと言っても過言では無いし、記事ネタとさせて頂き大いに感謝もしている。
私にとって秋元康とAKBファンは、トイザらスである。
クリスマスシーズンに流れるトイザらスCMに子供の頃から不快感を感じていた。
「子供でいた~い
ずっと、トイザらズキッズ
大好きなおもちゃに囲まれて~
大人になんか~なりたくない
僕らはトイザらズキッズ」
子供にとってトイザらスは夢の国だ。
大好きなおもちゃに囲まれていたい気持ちも十分理解出来る。
しかし、「大人になんか~なりたくない」と言っていても、時が来れば大人にならなければならないし、大人になり子供が出来れば、自然とかつての自分の様に大好きなおもちゃに囲まれる我が子を愛しく感じる時が来る。
しかし先述の「僕らはトイザらズキッズ」を良い大人になっても歌い続けているのが秋元康とAKBファンだと、私自身は感じているのだ。
いい大人が自分の娘と言っても過言でも無い子供に対して、握手をする為だけに何十万~何百万円と注ぎ込む。
そんな異様な現象がビジネスとして認められる事で、AKBグループは急拡大し、その反面で日本音楽業界の力は失われて行った。
要するに真っ当な音楽ファンからすれば、売上ランキングを席巻するAKBの全く知らない曲群を拝見すると、音楽に金を支払う事が馬鹿らしくもなるのだ。
現に私は20代まで年間100枚以上購入していたCDを、今や一切購入していない。
そしてAKBファンは、”大好きなおもちゃ”を前にした熱狂の中で無尽蔵に金を支払ってはいるが、その金で得られた筈の”普通の未来”を永遠に喪っているのだ。
仕事を通じて成長し、恋愛して、結婚して、家庭を育み、家を持ち、命を次世代に繋ぐ。
多様性の現代に随分と旧世代的な価値観である事を承知で、敢えて書かせて頂くが、この様な”普通の未来”を獲得するのは、混迷の現代に於いて非常に難易度の高い事だ。
身を削って働き、愛する女性から愛され、子宝に恵まれ、子育てにも成功しなければならない。
要するに、自らの喜びなど棄てて、全てを掛けてチャレンジしなければ、”普通の未来”など得る事は不可能である。
私自身が正直悍ましさを感じずにいられない”普通の未来”ではあるが、こんな無理ゲーに挑戦するくらいならば、”大好きなおもちゃ”に熱中し、「子供でいた~い!大人になんか~なりたくない!」と歌いながら、自分だけの幸せの中で死んでいく方が余程マシとすら思える。
ソレを肯定する仲間が集い、”大好きなおもちゃ”を前にして、「子供でいた~い!大人になんか~なりたくない!」と大合唱するいい歳した大人達の集まりが秋元康とAKBファンであり、ソレを”ライフスタイルの多様性”などと言う都合良い言葉で、自らの努力の先に有ったかも知れない”普通の未来”から逃げ続ける姿は見るに堪えない。
世界中に広がる”ライフスタイルの多様性”は、様々なノイズが生み出した”自分だけの都合の良い世界”だが、コレがマイノリティーでは無く、今や正論とすら感じられる。
そんな現代日本における闇の深層を、秋元康とAKBファンが担っている様に感じてならない。
そして”大好きなおもちゃ”を奪われない為に、秋元康とAKBファンのエゴが具現化したのが、「恋愛禁止ルール」だと私は見ている。
今回AKBメンバー自身から発せられた「恋愛禁止ルールの再考」には、秋元康やAKBファンに対して、非常に強烈な意思表示と抵抗を感じる。
「私達は其々に感情を持つ生きた人間であり、あなた方の”大好きなおもちゃ”ではありません。アイドル(偶像)とは言え、あなた方の身勝手な束縛に縛られる謂れはありません。感情も有れば、恋愛も、セックスもしますし、食事も排泄もするあなた方と変わらない人間なのです。いい加減目覚めなさい」
まあ其処迄、天海祐希の様に言っているかは知らんが、AKB人気も凋落し、その役目を終えた今だからこそ、”大好きなおもちゃ”に捕らわれ、自らのエゴに縛られた、秋元康やAKBファンの呪縛を解き放つ「恋愛禁止ルールの再考」と、非常にポジティヴに受け取った次第だ。
恋愛禁止ルールに関する私個人の見解として、「恋愛しない(出来ない)我々に愛されるアイドルなのだから、当然恋愛してはならない」と言う歪んだ都合の良さと、「恋愛禁止なのだから我々はアイドルと付き合ってはならない」と言う、アイドルからすれば「誰がキモファンなどと付き合うか!?」とブチ切れたくもなる薄汚れた高潔さを感じる。
好きならばワンチャンに掛けて行動しないのか?
アイドルから恋愛対象と見られる様に、見識を広げ、身体を鍛え、自分を磨く努力をして、是迄以上に応援すれば、何かが生まれるかも知れないし、何も生まれないかも知れないが、ソレでも良いでは無いか。
秋元康の嫁は元おニャン子クラブだぞ?
貴様らはソレで良いのか?
…などと、余計なお世話ながら一念勃起を促したくもなるのだ。
AKBブームは去り、ファンも激減しただろうが、このままヤバいファンを呪縛から解放せずに”全AKBグループ解散”という事になれば、「是迄の課金で、俺は全てを失った…。俺の人生を滅茶苦茶にしておいて、勝手に解散など許されない。おおおまえも殺して、俺も死ぬぬぬ!」などと言う愚かなるAKBファンが出て来るリスクも大いにあるだろう。
そんな悲劇からメンバーを守る為に、”大好きなおもちゃ”の代表であるAKB48総監督自身から「恋愛禁止ルールの再考」が発せられた事が素晴らしい。
映画「トイストーリー3」のラストでは、大学に進学するアンディーが幼少期から共に過ごしたウッディーやバズを、近所に住む女の子にプレゼントする。
大人になりウッディーやバズで遊ぶ事も無くなった自分といるより、”大好きなおもちゃ”だからこそ、彼等と一杯遊んで貰える子供と共にいるべきと、アンディーは決断したのだ。
最初は驚き、何度もアンディーに縋ろうと画策するウッディーやバズではあったが、そんな中で自分達おもちゃの役割を理解し、同時にこれからもアンディーと友達である事は変わらない事に気付くと言う、切ないが共に未来へと成長する力強いラストだ。
私とて子供時代に喰らった”ロックの呪縛”から解けていない、ロックおじさんであり、いい歳して爆音を轟かせ、デス声で叫んではいる。
しかし、私はロックおじさんの前に、世界の大統領かとぅである。
全世界の最高権力者としての職責だけは、「超能力でスプーン曲げろ!」とデス声で叫びながらも片時も忘れた事は無い、精神的貴族、そして正真正銘の紳士たるこの私、かとぅである。
そう、私は目覚めてはいる”真正のロック馬鹿”だ。
秋元康やAKBファンなどとは比較にならない危険人物である事を、此処に記させて頂く。
かとぅ