チアリーダー盗撮 vs 全てを失いし男かとぅ、最期の矜持 | katoo the world

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夏の全国高校野球選手権大会が86日、甲子園球場(兵庫県西宮市)で開幕する。

声援や歓声が響く華やかな球場の陰で問題となっているのが、チアリーダーたちの盗撮被害だ。


近年、応援席のチア部員たちを狙う隠し撮りや、不適切なアングルでの撮影行為が相次いで報告されている。

盗撮された画像や映像がネット上でひとたび拡散されれば完全に削除することは難しく、残り続ける恐れがある。


チア部員たちがアルプススタンドで応援中、保護者席に座っていた男が一人の部員のスカート内にスマートフォンを差し込んでいたという。

試合終了後、目撃者から報告を受けた学校関係者が大会本部に通報し被害届を出したが、男の行方は分からず身元も特定できなかった。


チアリーダーにせよ、アイドルにせよ、ミスコンにせよ、人前に立つ女性の多くは性的な目に晒されている。


2020年には女子陸上選手が競技会場で性的な意図で写真を撮影されたり、会員制交流サイト(SNS)にみだらな文章や画像を拡散されたりする被害拡大を受け、日本オリンピック委員会(JOC)が選手の環境を守るため競技横断的な対策に乗り出す事態になった。


当時、実に女子アスリートのきわど過ぎる腹出しユニフォームに仰天した記憶が有る。


アスリートとして、真剣に競技に取り組んでいる女性選手からすれば、その身体を見ず知らずのハゲ散らかした中年男性から、バズーカ砲かの望遠レンズで執拗に撮影されたり、性的な目で見られるのは我慢ならない事であろう。


しかし、その姿に性的興奮を得るのは観戦する男性側の自由でもある。

確かに心無いコメントや、みだらな文章や画像を拡散される事は許された事では無いが、そう思ってしまう事自体を否定するのは、私は違うと感じる。


だが問題の本質は、「一体誰が、何の目的の為に、この馬鹿げたユニフォームを導入したのか?」にあり、「腹出しユニフォームを、嫌がる女子アスリートに着せ続ける陸上競技連盟」こそが彼女らの真の敵であると私は考える。


そもそも腹出しユニフォームに、一体何の意味があるのだろうか?

百歩譲って、2008年の北京オリンピックにて禁止となった高速水着「レーザーレーサー」の様に、着用する事によって成果が上がると言うのであれば、未だ分からなくも無いが、男性アスリートが腹出しユニフォームを着用していない事からその可能性は極めて低い。


「何も着ないのが速い」と言う事であれば、女性の腹出しユニフォームの前に、男性が少なくとも上半身は裸となっている事であろう。


アスリート、チアリーダー、サンバダンサー vs 金で解決したいエロ目

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毎年問題定義されるチアリーダーの盗撮被害も同様で、直接的には彼女らを盗撮する男性の犯罪行為ではあるが、露出度の高いチアユニフォームを着せているのは学校側なのだ。


複数の女子部員から相談を受け、「何!?性的な意図で写真を撮影する、そんなイヤらしい男、絶対に許してなど、おけないー!」などと言いながら、貴様ら自身がゴリンゴリンに勃起しているのだから、学校やチアリーディング部こそが、絶対に許してなど、おけないー!


以前より私は、「ダサい服を着る者では無く、ダサい服を作り、売る者が悪い」と公言して来た。


内心嫌がりながらもチアユニフォームを着用し続けるチアリーダー自身も愚かだし、チアリーダーのエロい姿を撮影し、性的に拡散する者も愚かだが、そんな恰好で応援をさせる学校やチアリーディング部運営こそが大愚であり、悪の元凶だ。


同じ男として、チアユニフォームに興奮する気持ちは分からんでも無いが、ヤリたいならプライベートでやりたまえ。


ソレを現役女子高生に強要するのはやめろ馬鹿!


まあ正直な所、元々私は露出度の高さや「元気ハツラツ」と言ったタイプの女性が好みでは無いので、好きにヤッて頂いても構わんが、少なくとも盗撮や際どいユニフォームを着せると言った、女性が嫌がる行為は止めるべきだ。


相手が嫌がる行為をして、自らの欲望を満たそうと言うのは、男として、人として実に情けない行為である。


DTかつEDであり、尚且つAGAたる三重苦男として、少なくともこれ以上女性に迷惑をかける訳には行かない。


DT=童貞、ED=不能、AGA=薄毛

Wikipediaより引用。


ソレは全てを失った男としての、最期の矜持とも言える人間性の欠片である。


かとぅ