添加物 vs 無添加 | katoo the world

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食品偽装、異物の混入など、外国産のみならず、日本産食品すら信用が置けない危機的な状況である。

食の安全神話が崩れた今、我々は我々の確固たる選択眼で口にする食材を見極めなければならない。

その反動からだろうか。
最近、無添加をうたう健康的な食品を見かける事も逆に多い。
私自身が意識しているだけかもしれないが、コレはコレで良い傾向だと思う。

最近、無農薬のホウレンソウを食べたのだが、エグみが有り、芯も固く食べにくかった。
しかし、コレが中々悪くない、と言うか美味い。
まるで山菜の様な野趣溢れる風味に舌鼓を打った。

知り合いが趣味で農業をしている事も有り、頻繁に無農薬野菜を送ってくれる。
はっきり言って趣味の範囲を大きく超えた収穫量の為、とてもではないが自分だけでは食べ切れないのだが、非常に有り難く頂いている。
どの野菜も歪な形ながらしっかりと育ち、自然の息吹を十分に感じるのだ。

虫食いだらけの白菜を一皮剥くと、しっかりと虫がおり、黒い粒々にまみれている。
言うまでも無く、虫のフンだ。
虫食い野菜は売物にならないと言うが、虫も食わない農薬や漂白剤に浸された野菜を有り難がるとは、日本人は本当の豊かさを見失って久しいのだろう。

...と、偉そうに書いて見たモノの、重度の潔癖症である私は虫食いが無くなる迄、葉を剥き続けるものだから、実食出来るのは元サイズの1/3程度であった。
コレを刻み、胡麻油と塩をまぶすだけで十分なご馳走となる。
ビールにも日本酒にも白ワインにも合う万能のツマミである。

さて先日、久々に日本に帰国し、山間の集落に伺った。
そこは何百年も前から続く人々の営みが今尚残る、自然溢れる土地であり、私を含めた観光客が世界中から訪れていた。

わらびやこごみと言った山菜が並び、丸々と育ったきゅうりやピーマン等の自然食材が水桶で踊っている。
試しに一つトマトを頂いてみたら、果汁が迸り、私のシャツを汚した。

空は何処までも青く、私は何時か来るであろうお別れの時を、この集落で迎えたいと、心穏やかに思ったのだ。

しかし、どうしても気になる事がある。

「無添加だから安全!」と書かれた饅頭が、店先でずっと直射日光を浴びたままなのだ。

天然に越した事が無いのは分かるが、そもそも食品添加物とは食品の腐敗を防ぎ、安全に食べられる様に作られたモノである。

添加物を加える事で売上期間を持たせ、廃棄処分を減らすと言うメーカー側の意図は有ろうが、食の安全性を追求した結果の添加物なのである。

無添加と言う事は「痛みやすく、賞味期限が短い」と言う事でも有り、お土産には適さないだろう。

それが初夏の天日に晒され続ける状況は、「無添加だからこそ危険!」なのである。

自然の素晴らしさを存分に感じられる集落だからこそ、添加物の意味を改めて考えさせられた私だ。

かとぅ