先日、くれあさんのブログ記事で、息子さんのご成長から「多分最後のキッザニアになるね。成長したね」と書かれた一文があって、それを読んだときに、なんだかすごく「ああ、そうか。そうだよな」と思ったんです。
子どもが成長すれば出来ることも増えますが、反面、やらなくなることもある。
やらなくなることで、いつか迎える「最後の〇〇」というものが確実にあるということを、あまり考えたことがないことに気づきました。
我が家も、今は当たり前のように息子たちにやっていることも、いつかやらなくなる日が来るんですよね。
いや、むしろ、知らないうちに「最後の〇〇」を迎えていたものが、沢山あるものです。
近所の児童館で、家庭で使わなくなったおもちゃを回収してバザーに出す、という企画があって、我が家ですっかり遊ばなくなったおもちゃ達を出すことにしました。
主に、プラレール、レゴブロック、仮面ライダー系の色々等々ですが。
一昨日の夜、息子たちが寝静まった後に、妻とそれらおもちゃを整理し箱詰めしながら、いつの間にか迎えていた「最後の〇〇」を話題にしました。
最後にプラレールの電池交換をしたのはいつだったか。
自転車の前の椅子に息子を乗せたのは、いつが最後だったか。
最後に、公園のブランコで息子を押してあげたのはいつだったか。
最後の肩車はいつだったのだろう。
最後のおむつ交換は、いつだったのか。
それらは、その時は「これが最後」という感傷もなく、何ということもない日常的な行為としてやっていたものです。
だから、いつが最後だったのか、とか覚えていない。
けれど、どの場面も今では愛おしく、「ああ、これが『エモい』というやつだな」と感傷的になり、「もっと目の前のことを大事にしないとね」とも思えました。
で、妻とは「次は孫だな。孫」という話で締めくくったのでした。(気が早い)