今年も北海道にも夏が来ました
明日から連日30度近い予報

夏の熱気が去年の辛い記憶を運んできたのか、最近よくそうたのことを思い出す



8月末でも連日の猛暑の30度超え、駐車場のアスファルトの灼熱を渡り少しでも日陰になる場所を探しながらマスクを着用して入り口へ

ロビー奥、タリーズコーヒーの脇のベンチに姉の姿を見つける
「しっかりしなきゃ」と深呼吸してから、あえてカラッと「おつかれ。大丈夫?」と声をかける
大丈夫なわけない
不自然に黒目がちになっている瞳
ぱっちり開いているけど焦点があっていないような
人形のガラス玉のような
見ただけで精神状態な尋常ではないことがわかる

「これ、どうぞ」
と、少し氷も溶け気味の汗だくになっているアイスカフェラテを買って待っていてくれた
「気を使わなくていいのにー」
「いや、自分も飲みたかったから」
この人、何時からここにいたんだろう?


数日前まで.......
「少しでも近くにいようと思って」
面会許可が出ていなかった時からこうしてタリーズの横のベンチに座り、看護師さんや医師からの日々の電話連絡をメモしたノートを手に
「これってどういうことかな?脳が腫れてる、低酸素脳症の疑いって.... もう意識は戻らないってこと.....かな......でも肝臓の数値は少しよくなったって言ってた」

聞き慣れない医学用語をスマホで検索して、「こういうことじゃないかな?」と、少しでも何か理解したい気持ちを手伝ったりしていた

「スマホの通話録音できないかな?次先生から電話かかって来たとき録音しなきゃ。メモが上手く書けなくて....」

外来の受付が終わる時間、ロビーがだんだんと静かになる頃まで、2人でベンチに座り、通話録音の仕方検索したり、高齢の両親にどう伝えるか相談したり、わずかな可能性を語ったり、泥のように重たい時間を過ごした
少しだけ日が傾いて熱気が和らいだかなという時間になって

「そろそろ帰ろうか」

会えるわけでもない、何ができるわけでもない、ただ少しでも近くにいたくて、という気持ち

「病室ってあっちの方かな?」
と、後ろ髪を引かれる姉を自宅に送る
夕方なのに外はまだ昼間の熱気を蓄えて蒸し暑かった

その数日後、電話がなった
動揺して取り乱して上擦っている姉の声
「今、病院から電話来て、さっきそうた呼吸が止まって、瞳孔も開いてきちゃったって、電話来て、来てくださいって、どうしよう、どうしたらいい....」

『相手が取り乱している時は、必要以上に落ち着いたフリをする』というのが私の習性なんだということにはじめて気がついた

「なるほど。わかったよー。今からそこに迎えに行くから、ちょっと待ってて。お姉ちゃん今どこにいるの?」

「えっと....ここ.....どこ?」

姉はバスに乗っている時に電話が鳴り、次のバス停で降りたらしい

「住所わかる?信号機に書いてあるやつとか、知っている建物とかある?」

「いやぁ.....住所.....どこ?.......どうしよう.....どうしよう..」

「わかったよ、今すぐ行くからそこにいてね」

何もわからないが、わたしもこの電話をしながら、タクシーを探して頭をフル回転させていた。
自分が姉を見つけて一緒に病院いくより、1人で先に行かせた方が早かったかもしれない
自分もだいぶ混乱している
運良くタクシーがすぐ見つかり大体の姉の居場所もわかり合流して病院へ
タクシーの中での会話は覚えていない

本来面会が許可されていない救急救命センターのICU
面会前に看護師さんから治療の過程で顔に絆創膏が貼ってあるのと、血圧を保つ為の点滴の影響で少しむくみがあるので、いつものお顔と少し違うかもしれませんので、と事前に丁寧な説明をうけた

久々に見るそうたの姿
よく眠っている

想像以上に広々として日当たりの良い病室になんか安心したのを覚えている

面会中にこの日の担当医が来て
「明日、脳波の検査をする予定です」
と言っていた


この日から、特別に面会が許されることになり
亡くなるまで毎日姉に付き添った

面会予約時間の前からタリーズ横のベンチに座り時間を待つ

「そろそろ行ってみようか」と奥の通路へ

ロビーのガヤガヤ感が遠のくと見えてくる
『救急救命センター』

インターホンを鳴らして中に通してもらうと外の蒸し暑い熱気とは真逆の、涼しく無機質な静けさがある

面会が終わって外に出ると照り返される蒸し暑さ

「病室、涼しくてよかったよね」
「うん、そうた暑いの嫌いだしね、居心地良いかもね」


また今年もあの蒸し暑さがやってくるのかな
夏になると毎年思い出されるのかな

そして、去年の今頃にはもう具合が悪かったんだろうなと思うと、戻らない時間を恨めしく思う

2〜3カ月、どこでどうやって生きよう、、、



まず最初に思いついたのが「民宿のヘルパー」

離島での長期滞在の方法としてポピュラーな手段

ほぼ住み込みのような形で民宿の手伝いをして、3食昼寝付きでお小遣い程度はもらえる


石垣島、竹富島、西表島、いろんな求人を探して、「畑で野菜を育てる」「三線や郷土芸能を教えてもらえる」などなど、気になるところに何ヶ所かお電話したりお手紙を送ってみたりもした。



実はこのとき小浜島はリストに入っていなかったのだ

というのは、小浜島→リゾートというイメージがあって、自分の思い描く離島生活とちょっと違いがある気がして


20代の頃、東南アジアにバックパッカー旅行した事があって、生まれて初めての海外旅行でホテルの予約もせず現地調達の行き当たりばったり20日間の旅という無謀な試みをする感覚も持っているので、その日暮らし的な風来坊な過ごし方がいいな、と思っていた


滞在先探しはなかなかうまくいかず、このまま行くと単なる2〜3カ月の沖縄旅行、お金持ちの人がやるホテル住まいの有閑マダムになってしまうなぁ、と


そこで、ある人に相談してみた


新婚旅行で小浜島に行く際に、はいむるぶしを紹介してくれた、通称やまだのねーさん


当時はいむるぶしと同系列になる北海道のあるリゾートによく仕事で演奏に行っていたのですが、その仕事の担当だったねーさんが小浜島と繋げてくれたのだった


ねーさんを通して、はいむるぶしの当時の社長に石垣島や離島のローカルな情報はないかな、という情報提供の協力をお願いすることにしてみたのだった



「2〜3カ月、沖縄の島にでも行ってきたらー?」


この夫の一言には度肝を抜かれた

「え?いいの??でも2〜3カ月って、仕事辞めることになるけどいいの?」

雇用されているわけではなく、契約上は一個人事業者と取引先という関係でしかなかったのだが、新人の頃海外旅行に行きたくて稼働が入っていない3週間でOFFくださいと契約先に申し出たら、
「それは、前例がない、プライベートを優先(仕事が入っているわけではない、入る確約もないのに)するなら契約を解除してもいいですよ」的な言い方をされるようなパワーバランスだったので、3ヶ月休みます、は実質、辞めます、になる気がしていた。

それにこの頃はなんだか「これは社会の誰かの役にたっているんだろうか?」という気持ちにもなっていたので、スーっと「辞めてもいいのかもな」という気持ちになった

「仕事辞めてもいいの?」の問いに
夫は
「辞めてもいいですよ」と返答

記憶は定かじゃないんだけど、夫としては、2〜3ヶ月島でゆるりとして、また帰ってきて仕事復帰すれば、という感じだったのかもしれない

今のような働き方改革とか、フリーランスの権利とかの概念が薄かった平成中期、自分の立場意識も弱かった

今ならね、違ったかもしれないけど、この時
「じゃあ辞めようかな」と思ったのは正解だったと、今では思う


さぁ、ここからは、2〜3カ月どこでどうやって暮らすのか?
どうしたら、そんなに長く行けるのか?
を模索する日々になるのでした

2008年たぶん冬頃


旅から戻った日常


変わらずカタヒジ張って、虚勢も張って、カッコつけて生きていく私


でも、カタヒジ虚勢を張るということは、本当の自分はそうじゃないという事


頑張っちゃう自分に気付くたびに思い出されるのは、島のゆっくりとした空気とおっとりした笑顔、自然と生きている人達の景色



とはいえ、自分は自分、仕事に対するプライドはあるし手も気も抜けない、働かねば食べていけない、今の生活スタイルも決していやじゃない

けど、人並みに未来への不安もある


総合的にみてまぁまぁ暮らせている笑


でもこの頃から仕事に悩む事が多かった


このままこの世界の中だけで生きていくのかな?

もっと上もっと上と上昇志向が強すぎてかえって現実とのギャップにも苦しんだり、「仲間」と呼べる人が周りにはいない、なかなか孤独な仕事でもあったので、自分の小さな頭の中でしか答えは出せない、それも最適解かどうかもわからぬまま日々過ぎていく


あるとき、そこまで深い意味もなく、ただの戯言レベルで仕事の愚痴を夫に吐き出していたところ

夫がさらりと



「だったら、2〜3カ月沖縄の島にでも行って来たらいいじゃないか!😀」


と言ってきた




この一言が全ての始まり



旅から帰り、再び「次いつ行くー?」ばかりの夫婦の会話


心残りはやっぱり小浜島でつちだきくおさんのライブが見れなかった事だったので、次は見れたらいいねーと話していた


八重山に思いを馳せる半面、「日常の生活」というのももちろんあるわけで

この頃の私は30過ぎたあたり、まあまあ仕事も頑張って、街中にあるタワーマンションに住み、それなりに見栄を張り、それなりに時代に敏感に、他人からカッコよく見られるように生きたいと、思っていた。

(「他人からカッコよく?」自分はどうなんだ?)


そんな私、実はこの島の旅で一番カルチャーショックを受けたのは、青い海、鮮やかな花の色、汗の行き場のない湿度だけではなく、「そこに生きている人」だった


自分が生きて来た環境や文化とは全く違う場所で、便利やカッコ良さを求めて生きて来た自分とは全く違う環境で穏やかに生きている人がいる


誰かが作った一時の流行や好みをはるかに凌駕してしまう、脈々と根付く文化、気候も含めた環境の中での価値、そこで生きている人の中に自分と「同業」の人がいる事も大きな驚きだった


何か心が揺れ動く「何か」が生まれた


その「何か」は事あるごとに、自分のそれまでの価値観のヒビを広げていった気がします