明日は3月11日
 
毎年思い出す
 
今年も思い出す
 
 
当時はmixiというSNSが流行っていて
仙台の妹家族の安否はmixiのつぶやきで知ることができた
 
それまでは個人のブログとか携帯パソコンのメールくらいしかなかったから
「このつぶやき見たらみんなに無事って伝えて!」
という「拡散」でしることができた
 
14年経ったので、当時1歳の癒しの存在だったJ君は大変活発で
今年中学卒業となりました。
 

 

 

 

こんにちは

今日は緊急で動画をまわしています

 

 

いえ、まわしていません

 

 

3月と言えばわたくし例年は沖縄小浜島で過ごしておりますが、今年は諸々の都合で現在札幌の自宅から動画をまわしています

 

 

いえ、まわしていません

 

 

タイトルにありますように、3月13日石垣島でのライブが決まりました!

いやいや急すぎだろと、、、

急な決定ですが、石垣島美崎町ライブバーBbで

かとうなほ「通りすがりライブ」を開催することになりました。

 

是非是非、石垣島の皆様、八重山地方にいらっしゃる皆様、沖縄県民の皆様、全国各地の沖縄ファンの皆様、お越しください!

北海道の皆様も、新千歳からピーチで格安に那覇まで飛んで、石垣行きに乗り換えて頂ければ、丸1日で石垣まで行けます!(滝汗)

 

なぜこんな緊急企画になったかと申しますと、、、、

 

 

ここから長文になりますので、ライブの詳細を先に記します

 

🔸Bb再生記念「かとうなほ通りすがりライブ」🔸

▪️2025年3月13日(木)

▪️だいたい21:30頃から

▪️料金は1drink+投げ銭

▪️bar Bb石垣市美崎町9-10-2(中華大門向かい2F)

 

よろしくお願いします!

 

さて、なぜこんな緊急企画になったかと申しますと、、、、

 

遡ること10年前の7月、石垣島での初のソロライブを行ったのがライブバーBb

倶知安でパン職人をやっていた大阪出身のキンさんが

 

「大阪時代の仕事仲間だった友達が石垣島でライブハウスやり始めたんだよ」と、

チカヲさんと繋げてくれたのがきっかけ。

 

CDリリースのレコ発ライブをやらせてもらったのが初めてで、

その時はBLACK RAINのマサさんがPAをやってくれたのでした

 

それ以来何度かライブをさせてもらったり、来島した際には普通にチカヲさんに会いに飲みに行ったり

地元のミュージシャンとの共演もたくさんやらせていただいた

 

最後にライブをした時はBLACK RAINのヤスさんがゲストで歌ってくれたりもした

とてもお世話になった場所で思い出もたくさんあるBb

 

しかし昨年末突然のお知らせが、、、、、

3月の初めに閉店するというのだ

ビルのオーナーの都合ということらしい

 

この知らせを聞いた時、この3月は島に行けるか微妙な状況だったので、とても残念な気持ちだった

結果的に3月の中旬に1週間ほど行くことになったのだけど、Bbの営業の灯りには間に合わないタイミングだった

 

2月末になってBbのラストを名残惜しんで来島するミュージシャンの投稿やBb主催のラストライブフェスのお知らせをSNSで見るたびに、最後に顔出すことができない不義理が申し訳なく、せめてお花だけでも送らせて頂こうと思い、花キューピット的なサイトを検索してみた

 

すると、「離島あるある」

 

<配送対象地域外>

 

とな

 

うん、でもこれは想定内

 

そうなると地元のお花屋さんに直接問い合わせた方が早い

検索すると

 

 

「お届けの1週間前までのお申し込み」

 

なるほどぉ〜

Bbのラストは3月2日........あ!しまった!2月は28日までしかないじゃないか、しかも土日挟んでるわ!!!

 

これは想定外!!!

いや、こういうすっとこどっこいなことをするのはある意味想定内

 

本当はお花よりシマの一升瓶とかバーボンの方が良いかもと思っていたので別の機会に直接ご挨拶させてもらおうと思っていたところ、、、

 

 

ふと目に入ったFBの記事

簡単に言うとBbの営業継続決定の記事だ

 

ラストのライブフェスもしっかり盛況の写真が掲載されていて、

えっと、、、、これは、、、、、、、

 

 

「閉店詐欺か?」

 

という言葉が頭をよぎった瞬間、記事にも

「閉店詐欺!」と揶揄してみんなで盛り上がった様子が記されていた笑

 

そっこーチカヲさんに連絡!

「お店継続ですか?」

「9回裏2アウト満塁ホームラン!」

とのことだ

 

多くのBbのお客さんファンの方々に背中を押される気持ちで、ラストライブの前日、最後の最後オーナーの方との直談判

なんと、それでお店存続を掴み取ったそうです

 

驚きと感動と嬉しさと

ついでに個人的な事情とも結びついて希望の光が一つ繋がった

 

元々13日が石垣泊の予定だったので、お店に伺う旨お伝えしたところ、

「じゃぁライブやっちゃう?!」

という流れで、今回の緊急企画となったわけです。

 

ただ、この日に札幌を出発、石垣着が夜

翌日の朝一で小浜島に渡るので

 

「リハーサルも何もできず、ただの通りすがりの人みたいになっちゃいますが、、、」

 

と言うことで、今回のライブタイトル「かとうなほ通りすがりライブ」になりました

準備や告知期間も近々なので「投げ銭」のスタイル

投げ銭ライブ、、、初体験だな、どういう流れでやるの?

 

ググれば出てくる?

chat GPTに聞けばいいか?

 

どういう形であれ、Bbで再びライブができることが嬉しい

マサさんヤスさんとも会える気がする

 

 

そんなわけで、急遽決まったライブですが、石垣島周辺の方、もしくはその時期ちょうど旅行でいるよ!という方、

このライブを口実に石垣島まで行ってみるか!という方

是非お待ちしております

今年も北海道にも夏が来ました
明日から連日30度近い予報

夏の熱気が去年の辛い記憶を運んできたのか、最近よくそうたのことを思い出す



8月末でも連日の猛暑の30度超え、駐車場のアスファルトの灼熱を渡り少しでも日陰になる場所を探しながらマスクを着用して入り口へ

ロビー奥、タリーズコーヒーの脇のベンチに姉の姿を見つける
「しっかりしなきゃ」と深呼吸してから、あえてカラッと「おつかれ。大丈夫?」と声をかける
大丈夫なわけない
不自然に黒目がちになっている瞳
ぱっちり開いているけど焦点があっていないような
人形のガラス玉のような
見ただけで精神状態な尋常ではないことがわかる

「これ、どうぞ」
と、少し氷も溶け気味の汗だくになっているアイスカフェラテを買って待っていてくれた
「気を使わなくていいのにー」
「いや、自分も飲みたかったから」
この人、何時からここにいたんだろう?


数日前まで.......
「少しでも近くにいようと思って」
面会許可が出ていなかった時からこうしてタリーズの横のベンチに座り、看護師さんや医師からの日々の電話連絡をメモしたノートを手に
「これってどういうことかな?脳が腫れてる、低酸素脳症の疑いって.... もう意識は戻らないってこと.....かな......でも肝臓の数値は少しよくなったって言ってた」

聞き慣れない医学用語をスマホで検索して、「こういうことじゃないかな?」と、少しでも何か理解したい気持ちを手伝ったりしていた

「スマホの通話録音できないかな?次先生から電話かかって来たとき録音しなきゃ。メモが上手く書けなくて....」

外来の受付が終わる時間、ロビーがだんだんと静かになる頃まで、2人でベンチに座り、通話録音の仕方検索したり、高齢の両親にどう伝えるか相談したり、わずかな可能性を語ったり、泥のように重たい時間を過ごした
少しだけ日が傾いて熱気が和らいだかなという時間になって

「そろそろ帰ろうか」

会えるわけでもない、何ができるわけでもない、ただ少しでも近くにいたくて、という気持ち

「病室ってあっちの方かな?」
と、後ろ髪を引かれる姉を自宅に送る
夕方なのに外はまだ昼間の熱気を蓄えて蒸し暑かった

その数日後、電話がなった
動揺して取り乱して上擦っている姉の声
「今、病院から電話来て、さっきそうた呼吸が止まって、瞳孔も開いてきちゃったって、電話来て、来てくださいって、どうしよう、どうしたらいい....」

『相手が取り乱している時は、必要以上に落ち着いたフリをする』というのが私の習性なんだということにはじめて気がついた

「なるほど。わかったよー。今からそこに迎えに行くから、ちょっと待ってて。お姉ちゃん今どこにいるの?」

「えっと....ここ.....どこ?」

姉はバスに乗っている時に電話が鳴り、次のバス停で降りたらしい

「住所わかる?信号機に書いてあるやつとか、知っている建物とかある?」

「いやぁ.....住所.....どこ?.......どうしよう.....どうしよう..」

「わかったよ、今すぐ行くからそこにいてね」

何もわからないが、わたしもこの電話をしながら、タクシーを探して頭をフル回転させていた。
自分が姉を見つけて一緒に病院いくより、1人で先に行かせた方が早かったかもしれない
自分もだいぶ混乱している
運良くタクシーがすぐ見つかり大体の姉の居場所もわかり合流して病院へ
タクシーの中での会話は覚えていない

本来面会が許可されていない救急救命センターのICU
面会前に看護師さんから治療の過程で顔に絆創膏が貼ってあるのと、血圧を保つ為の点滴の影響で少しむくみがあるので、いつものお顔と少し違うかもしれませんので、と事前に丁寧な説明をうけた

久々に見るそうたの姿
よく眠っている

想像以上に広々として日当たりの良い病室になんか安心したのを覚えている

面会中にこの日の担当医が来て
「明日、脳波の検査をする予定です」
と言っていた


この日から、特別に面会が許されることになり
亡くなるまで毎日姉に付き添った

面会予約時間の前からタリーズ横のベンチに座り時間を待つ

「そろそろ行ってみようか」と奥の通路へ

ロビーのガヤガヤ感が遠のくと見えてくる
『救急救命センター』

インターホンを鳴らして中に通してもらうと外の蒸し暑い熱気とは真逆の、涼しく無機質な静けさがある

面会が終わって外に出ると照り返される蒸し暑さ

「病室、涼しくてよかったよね」
「うん、そうた暑いの嫌いだしね、居心地良いかもね」


また今年もあの蒸し暑さがやってくるのかな
夏になると毎年思い出されるのかな

そして、去年の今頃にはもう具合が悪かったんだろうなと思うと、戻らない時間を恨めしく思う

2〜3カ月、どこでどうやって生きよう、、、



まず最初に思いついたのが「民宿のヘルパー」

離島での長期滞在の方法としてポピュラーな手段

ほぼ住み込みのような形で民宿の手伝いをして、3食昼寝付きでお小遣い程度はもらえる


石垣島、竹富島、西表島、いろんな求人を探して、「畑で野菜を育てる」「三線や郷土芸能を教えてもらえる」などなど、気になるところに何ヶ所かお電話したりお手紙を送ってみたりもした。



実はこのとき小浜島はリストに入っていなかったのだ

というのは、小浜島→リゾートというイメージがあって、自分の思い描く離島生活とちょっと違いがある気がして


20代の頃、東南アジアにバックパッカー旅行した事があって、生まれて初めての海外旅行でホテルの予約もせず現地調達の行き当たりばったり20日間の旅という無謀な試みをする感覚も持っているので、その日暮らし的な風来坊な過ごし方がいいな、と思っていた


滞在先探しはなかなかうまくいかず、このまま行くと単なる2〜3カ月の沖縄旅行、お金持ちの人がやるホテル住まいの有閑マダムになってしまうなぁ、と


そこで、ある人に相談してみた


新婚旅行で小浜島に行く際に、はいむるぶしを紹介してくれた、通称やまだのねーさん


当時はいむるぶしと同系列になる北海道のあるリゾートによく仕事で演奏に行っていたのですが、その仕事の担当だったねーさんが小浜島と繋げてくれたのだった


ねーさんを通して、はいむるぶしの当時の社長に石垣島や離島のローカルな情報はないかな、という情報提供の協力をお願いすることにしてみたのだった



「2〜3カ月、沖縄の島にでも行ってきたらー?」


この夫の一言には度肝を抜かれた

「え?いいの??でも2〜3カ月って、仕事辞めることになるけどいいの?」

雇用されているわけではなく、契約上は一個人事業者と取引先という関係でしかなかったのだが、新人の頃海外旅行に行きたくて稼働が入っていない3週間でOFFくださいと契約先に申し出たら、
「それは、前例がない、プライベートを優先(仕事が入っているわけではない、入る確約もないのに)するなら契約を解除してもいいですよ」的な言い方をされるようなパワーバランスだったので、3ヶ月休みます、は実質、辞めます、になる気がしていた。

それにこの頃はなんだか「これは社会の誰かの役にたっているんだろうか?」という気持ちにもなっていたので、スーっと「辞めてもいいのかもな」という気持ちになった

「仕事辞めてもいいの?」の問いに
夫は
「辞めてもいいですよ」と返答

記憶は定かじゃないんだけど、夫としては、2〜3ヶ月島でゆるりとして、また帰ってきて仕事復帰すれば、という感じだったのかもしれない

今のような働き方改革とか、フリーランスの権利とかの概念が薄かった平成中期、自分の立場意識も弱かった

今ならね、違ったかもしれないけど、この時
「じゃあ辞めようかな」と思ったのは正解だったと、今では思う


さぁ、ここからは、2〜3カ月どこでどうやって暮らすのか?
どうしたら、そんなに長く行けるのか?
を模索する日々になるのでした

2008年たぶん冬頃