バレエ感想を書くことについて | WITH HOPE!!

WITH HOPE!!

在英14年目、イギリスの生活を愛し、楽しんでいるMiyukiです。
イギリスで細々と演奏活動をしているので、クラシック音楽の話題、日常、イギリスの姿をお伝えしたいと思います。
バレエが好きで、ロイヤルバレエの公演を主に観ているので、その感想も。

 2月に一度、これからバレエ公演鑑賞の感想はここに書かない、というブログを書きました。


 が、思わぬ反響もあり、そして、私自身、やはり、このバレエ鑑賞の感想によって、どれだけ素敵な方々に出会ってきたのか、ということを考えた時、迷いが起きました。

 このブログを読んでくださって、なおかつ、実際に知ってる方々とお話をし、色々と迷いました。

 


 私自身に置き換えて、ロイヤルバレエが日本公演を行う際など、その感想を知りたくて、ブログ検索をします。

 そういう時、ただ、素敵でした、かわいかった、格好良かった、というブログは私自身はあまり読みません。

 もう少し具体的に知りたいな、と思います。

 

 私はうわべだけの世界が大嫌いです。

 良いことは良い、悪いことは悪い、という人です。

 批判と意見は違う、という考えでいます。

 

 このブログは、公にしているものの、私が個人的に書いているものです。

 これを、一つの意見としてとっていただくことはできないでしょうか?

 これを読んで、観ていない人が決めるのではなくて、加藤みゆきは、こう思った、ととって頂けないでしょうか?

 人それぞれ、感じ方は違います。

 

 私は、一人のバレエ愛好家です。

 ですが、一度、ここで私のバレエとの関係を書かせてください。

 たまにブログ内で書いてもいましたが、ただ舞台を観るのが好きで観ているだけではない、ということを少々長いのですが、一読していただけたら、と思います。


 小学校1年生から自分の意思でバレエをはじめ、小学校4年生の時から、それなりの先生方のもとでバレエを勉強しました。

 コンクールにどんどん出すような先生ではありませんが、バレエの基礎、それはそれは多くの知識を叩き込んで下さいました。

 中学、高校、勉強そっちのけで週3回お稽古に通い、それプラス、ヴァリアシオンのクラスを受けたりもしていました。 私は、下手でしたが、イギリスに来てクラスを受けにいくと、一体どこで、誰に習ったらそんなに基礎がきちんと身に着くのか?と聞かれたことが度々ありました。

 このブログでは、なるべく、バレエ用語を出さないで書くようにしていますが、それは知らないからではありません。


 とにかく厳しい先生でしたから、怒鳴られ、何度も何度もやり直しをさせられ、それでも踊ったものです。 それが、この世界では当たり前のものだと思うので。


 

 バレエが大好きだったものの、ダンサーになるのは無理なことくらいわかっていたので、バレエと関われる仕事、ということで、バレエ衣装の仕事をしたくて、その知識をきちんと身につけるために場所探しを行い、高校1年生の時にロイヤルバレエの衣装に魅了され、ロイヤルオペラハウスの衣装部に手紙を書いたことが私の渡英に繋がりました。


 結局、色々とあって、ピアノの道に人生を変えることにしました。

 誰もがだめだと思っていた道です。

 この道に入ってから、バレエのことは自分の前から消し去って、ピアノに打ち込みました。

 ですが、6年ほどたって、バレエをちょっと観てしまったら、この世界にどっぷり浸かりました。

 ピアノを始める前に比べ、私のバレエの観方もずいぶんと変わりました。

 これは、イギリスの大学、院での勉強が影響しています。


 

 私は、大学での授業で、表現方法、というものに興味を持ち、そのような授業を取り、違う方面からのエッセイを何本も書きました。

 特に最後の英国王立音楽大学の修士号課程では、途中からバレエを観に行くようになったこともあり、音楽だけではなくて、バレエダンサーの考えを新聞その他で探し、含めていくようになりました。

 表現方法の授業、エッセイの書き方はいくつもありますが、例えば、一曲につき、5人のピアニストの録音を探し、その違いを突き詰めていくようなものです。 大抵は、その5人は偉大な、有名ピアニストです。 それらを比べて意見を書くのです。



 これから、最後の修士論文へ繋がりました。

 それが、『音楽とバレエの結びつき』

 

 私にとって、バレエを観る際、音楽が重要です。

 ダンサーが音と遊ぶのはそれは観ていて興味深いです。

 でも、完全に1拍、それもその1回の公演だけではなくて、毎回毎回ずれる場合、私はその人が音楽性がある、とは書くことができません。

 特に、アシュトン、バランシンのような音楽性豊かな振付で音にはまっていないのはどうなのか?と思います。

 なるべく、リハーサルなども観に行くようにしているので、そこで、指導者の方々が、度々音のことをおっしゃっているので、私だけの意見では無いと思います。

 何度も同じダンサーを観れば、その人が音楽を感じて踊っているのか、そうでないのかがわかるようになります。

 

  

 私は、回るのがすごい、ジャンプが高い、可愛らしい、かっこいい、足が高く上がる、ということでバレエを観ていません。

 たとえ失敗することがあっても、毎回の舞台で何かを伝えようとしている、違った表情をみせてくれるようなダンサーが好きです。

 

 ロイヤルバレエのダンサーたちとは規模が違いますが、私自身も表現芸術の世界に身をおいています。

 1曲を舞台にあげる為には、何時間もの練習、同じところを何度も繰り返す(その昔、Dr.Sに1小節を1時間、無言でニュアンスを捕らえられるまで、やり直しさせられたことがありました・・・ 最後は何がだめなのか、よいのかわからなくなって途方に暮れましたが)

ダンサーたちが、毎日何時間ものリハーサルをします。

 特にロイヤルバレエは公演数も多いですし、昼間違う作品のリハーサルをして、夜は舞台、というのも知っています。 大変だな、とは思います。

 

 ですが、音楽もバレエも、もちろん他のことも、何度も繰り返す、リハーサルを繰り返すのは当たり前のこと、だと私は思っています。

 それが、この世界なのです。


 ですから、私はそれを取り立てて、凄い、と書くようなことはありません。

 


 バレエ・アソシエイション、バレエ・サークルなどで、バレエダンサーのお話を伺う機会がありますが、たまに、新聞などの評論をどう思うか、というような質問が出ます。 

 とりあえずは読むけれど、それは一人の意見なのだから、そんなに気にしない、とおっしゃるダンサーがほとんどでした。

 本当に同じ公演を観ていたのかしら?と思うほど、違う意見の評論家もいらっしゃいます。

 私は、それはそれで、良いことも悪いことも自分とは違っておもしろい、という見方をしています。


 長くなりましたが、日本で人気があるダンサーのことをほめてあるブログなどは、数多く存在します。

 別に、私がそのダンサーが苦手だから、よく書かない、というわけではありません。 

 ロイヤルバレエの後半も始まったわけですし、また、感想を書こう、と思います。

 一人の意見として、お読みいただけるのであれば、このブログのバレエ感想を引き続きお読み頂けたら、と思います。


 加藤みゆき 3月14日