戸惑う子どもたち
母の愛はどこへ その1
中学生の娘に向かって、「あんたなんか産まなければよかった」と言う母親がいる。必ずしも特殊で稀な例ではないらしい。私がスクールサポーターとして中学校現場のお手伝いに出向いていたとき、2年生の女の子3人が、授業を抜け出して階段の踊り場に座り込んで、何をするでもなくしゃべり合っている。授業エスケープの共同行動には、「あんたなんか生まなければよかった。」と母親から言われた心の傷が、3人とも共通の基盤としてあることが分かった。
だからと言って授業エスケープを許すわけではないが、彼女らの気持ちは受け止めてやらなければならないだろう。受け止める大人がいなければ、問題行動は止まらないばかりか、さらに拡大する恐れがある。「どうせあたしなんて……」と投げやりになったり、自棄的になったりする要素は十分にあるわけだ。
この10年の間に、スクールカウンセラーの配置が進んだ。週に1日だけの勤務のため、火急に相談したいときにはカウンセラーが学校にいないというような事態はあるが、それでもいないよりはよほどいい。中学校の不登校生徒の数が、わずかながらでも減少しているのは、スクールカウンセラー配置による効果の表れである。授業エスケープの3人も、カウンセラーに不満を訴え話を聞いてもらうことによって、かなり救われた側面はある。
看護師を務める20年来の友人は、児童養護施設から子どもを預かって育てている。養育家庭いわゆる「里親」である。ただし、これも世の中の誤解があるので付け加えておくと、養育家庭(里親)とは、子どもを養子として迎えるのではない。家庭側にも子ども側にも、いわば拒否権があって、お互いの関係がうまくいかない場合には、どちらかの意志表示によって「親子」を解消できる仕組みになっている。また、親の入院などで一定期間子どもを養育できなくなったときなど、1週間なり1ヶ月なり子どもを預かる「短期里親」のケースもある。(我が家はその短期里親の一員である。)
看護師の友人は、男の子が5歳のころに自分の家に引き取り、2年ごとの更新を重ねながら、もう10年以上経つ。その子は、生まれてすぐに乳児院に預けられ、後に児童養護施設に移ったという生育歴を持つ。従って、実の父母については、顔も名前も知らない。
里親の家に来たばかりのころは、「両親」が共働きなので保育園にかよった。すぐに新しいお友達にも馴染み、新たな家庭にもすっかり溶け込んだ。自分が他所の家で生活しているという自覚はあるが、見た目には、何の屈託もない普通の男の子だった。
しかし5歳なのに、彼はお乳を求める。「赤ちゃん返り」なのだと、里親である「母親」は言う。本能なのだろうか。幼い時期に本物の母親と充分に接していなかった体験は、大切な何かを、忘れ物を探すかのように探し求めるのかもしれない。哺乳瓶で牛乳を飲むことを好んだのも、乳児体験を補うための行動と思われる。だが、それさえできない境遇にある子は、どんな成長をし、どんな大人になっていくのだろう。彼はまだ、恵まれていると言ってよい。
その子が小学校2年生になるころ、「母親」である看護師の友人が我が家にやってきて、「弟ができちゃったのよ~。」と頭を抱えて訴える。彼女が出産なのではない。預かって育てている男の子の実の母が、また子どもを産んだというのだ。そして、またまた子どもを乳児院に預けたと言うのである。しかも「父親が違うのよねぇ。」と付け加える。
悩みに悩んだ末に友人は、弟も引き取って育てることにしたのである。その友人および家族の行動には頭が下がるし実に尊敬に値するけれど、私たちはこうした現実をどう考えたらいいのだろう。「河川敷に落ちていたバッグの中に嬰児の遺体」「ベランダのプランターに乳児の遺体発見」「トイレで出産そのまま死なす」等々、いわゆる「嬰児殺し」よりまだいいと考えるのか、あるいは虐待などのひどい目にあうより、まだマシと考えるべきなのか?「海よりも深い」と言われた母の愛は、もはや死語となって来ているのかもしれない。
これまで私は、母性愛というものは女性が生まれながらにして持っているものと思い込んでいた。だから、生まれてすぐに子どもを乳児院に預けてしまうなどという行為は、理解できなかった。しかしどうやらその考えは「旧主派」の古い思想のようだ。
「女性は子どもを産み育て、愛する本能を持っている、といういわゆる『母性愛』が、近代家族制度を維持するために捏造された神話であることは、今では広く知られている。」と精神科医香山リカ氏は、生まれながらにして持っているとされてきた母性愛を「捏造された神話」と断言する。(『親子という病』講談社)
