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第二章「親の態度で子どもも変わる」

自分の子どもを「チャン付け」で紹介する親って?-その(2)

 

 非行少女を話題にしたので、ついでながら「非行に至るまでには必ず何らかの要因、または原因がある」ということも付け加えておきたい。もちろん、その要因や原因を十把ひとからげに「これだ!」と断ずることはできない。それぞれの家庭の、それぞれの在りようによって異なる。残念ながら、学校や教師が非行の微妙な因子になった、ということもあり得る。



元校長先生のブログ-自分の子どもを「チャン付け」で紹介する親(2)





だが、市の教育委員会が主導する「心の教育推進委員会」という会議にメンバーとして参加したことがあるが、その中の市民公募委員の一人が「非行なんてたまたまでしょ?」と言ったことがある。教育員会側幹部の中学2年の息子が、校内で喫煙し指導を受けてしまったことがあり、そのことが会議後のお茶の席で話題となったものなので、非公式な発言ではある。しかし「お父さんが仕事熱心で忙し過ぎたんじゃないですか。」と言うに及んでは、単にその幹部職員を擁護しているばかりでなく、世の中は非行というものを、ずいぶん軽く見ているのではないか、と強く感じたものである。


 仕事熱心で忙し過ぎる親なんて、数えきれないほどたくさんいるはずだ。公募委員のその論理でいけば、世の中に非行少年・非行少女が溢れかえってしまうことになる。私自身も「仕事熱心」で「忙し過ぎる」親だったから、我が家の娘も非行に走ってしまうことになるのだろうか。


「ウチの○○ちゃんはねぇ」と他人に紹介することが、すべて非行の種だと言いたいのではない。そこに象徴される「育て方」「接し方」の中に、子どもの行動の要因を探ることは可能だと思うのである。


 

 『告白』(湊かなえ著・双葉社)という小説がある。2009年の本屋大賞をとった作品である。映画にもなった。中学校が舞台である。


 中学校の教員が、自分の幼い娘を毎日のように保健室に預かってもらうなど、ちょっとあり得ない場面も含まれるが、全体としてなかなか面白い。娘を殺したのは誰か?とミステリー仕立てになっている点や、教師・生徒・親のそれぞれの「告白」が語られる仕組みになっているのも、読者を引き込む仕掛けとして優れている。「この小説、学校の先生に読んでもらったほうがいいんじゃないですか?」と私に問いかけてきた友人がいた。教師はどうあるべきか等、参考になる場面も多いので「なるほど、それもいいな」と思う。


 ただし、映画はいただけない。特に、中学校の教室の様子が尋常ではなく、教師が話をしているのにザワザワと落ち着かず勝手なことをしている生徒ばかりという描き方には、違和感を拭えず画面に没入できない。映画の監督は、中学校なんてこんなもんだと考えているのだろうか。それとも、こんな学校だからこんな事件が起きるとでも言いたかったのだろうか。監督の偏見かもしれない。全体の流れや構成も、原作の良さを潰している。


 それはさておき原作では、教師の娘が校内のプールで殺されたという事件に関わってしまう不登校の少年、およびその母親の描き方がなんとも印象的だった。不登校に至る経緯や母親に敵意をむき出しにするようになる描写など、真に迫っていると言うべきだろうか。


 級友がその少年の家を訪ねたときの母親のセリフにこんなのがある。


「おやつは、直くんの大好物のホットケーキよ。タマネギ切って泣いていたのに、直くんが、お母さん泣かないで、って一番お気に入りのハンカチを持ってきてくれたの。直くんは、書道で三等賞をもらったのよ。」

その場に直くんはいないのに「直くん、直くん」の連発である。こんな母親なら、大人に近づいている中学生の息子から反発を受けるようになっても仕方がない。そんな意味でもこの小説はなかなかの出来だと思うのである。


 

 プロ野球の田中将大(まさひろ)投手は、マスコミやファンから「マーくん」と呼ばれている。私は楽天ファンではないが、好きな選手のうちの一人である。もし仮に、この選手の父親か母親がインタビューを受けたとして、「うちのマーくんは・・・」と答えたとしたらどうか。顰蹙ものであろう。




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