photoAC YUTO@PHOTOGRAPHERさん撮影

 

 

1 万博の土下座事件

 万博の警備員が来場者に土下座をしたところ、それを他の来場者に撮影され、ネットに上がり、問題となりました。

 

 もっとも、報道によれば、警備員は強要されたわけではなく、自分の意思で土下座をしたというのです。男性が場所を聞いてきたところ、案内できず、男性が立腹し、詰め寄って来たので、「身の危険を感じて、自ら土下座」をしたというのです(1)。

 

 

2 経 緯

 より詳しくは、来場者男性がバイクの駐輪場の場所を警備員に尋ねると、駐輪場の場所を詳しく知らない警備員は、地図などが載っている「デジタルサイネージ」の場所を案内。

男性は「なぜわからないのか?」と詰問するも、警備員の謝罪と、デジタルサイネージへの再度の案内により、いったんそちらに向かうも、再び戻ってきたため、警備員は身の危険を感じて土下座をしたとされます。その際、見送ったことが「睨んでいると思われた」らしいというのです(1)(2)。

 

 報道では当初、男性が「土下座をしろ!」と発言している旨がありましたが、後の報道では懐疑的(2)ないし否定的です(4)。筆者も報道されたものを聞きましたが、「土下座なんか」と聞こえました。「…なんか」ですから、否定する文脈です。「しろ!」ではなく、「しろとは言っていない」の文脈でしょう。

 

 とすると、土下座は、警備員当人が述べるように自主的なもの。ところが、ここに違和感がなくもありません。2つあるので、以下に記していきます。

 

 

3 疑 問

➀ 本当に身の危険を感じたのか

 警備員の主張では、「身の危険を感じた」から土下座したといいます。しかし、動画を見る限り、警備員の体格は男性に劣っているよう見えません。むしろ優越するようにさえ見えます。それでも危険はなくもありませんし、心理的威圧感はあり得ます。しかし、多くのスタッフのいる会場での出来事です。数の優勢も警備員側にあったはず。男性はラフな格好ですし、凶器になりそうなものを持っているようにも見えません。「土下座をするほど身の危険を感じた」のでしょうか。

 

② 他のスタッフは何をしていたのか

 動画を見ると、通行人のほか、他の警備スタッフも映っています。その警備スタッフはなにをしていたのでしょうか。顔の向き的に状況は視認できていたはずです。また、報じられた動画は、少し離れたところからの撮影と思われますが、怒鳴り声はちゃんと録音されています。警備スタッフにも聞こえたはずで、なぜ介入しなかったのでしょうか。

 

 筆者は警備員をしたことがありますが、威圧的なクレームのあったとき、人数を繰り出して対処したことを同僚から聞きました。威圧的クレームがあったときは人数を増やすこと、また、トラブルが大きくなりそうなら人を替えて応じることは、基本的な対応ではないでしょうか。このあたりはマニュアルの不備かもしれませんが、疑問のある対応だったように思えます。

 

 

4 土下座という行動の適否

 さて、次に、「土下座」という行動自体について検討します。

 

 2000年から少し経ち、土下座は社会問題として考えられるようになった気がします。90年代も、土下座のイメージはそうそう軽いものではなかった気はしますが、重大な社会問題とは考えられていなかったかもしれません。筆者自身、土下座を現認したことはありますが、周囲が止めるところも確認しています。

 

 90年代には、土下座を謝罪表現の重いものくらいの意識でみて、人格侵害の文脈でみなかったとしても、2000年代は違います。労働者の人格を毀損する重大な表現形態という認識が社会に拡がってきました。

 

 ただ、人格侵害の文脈は、優越的地位にある誰かがそれを求めた場合であって、自ら望んで土下座をする場合には当りません。しかし、それでもしてはならない理由があります。次に示します。

 

 

5 土下座をしてはいけない理由

➀ 土下座風土の排除

 働く者の安全のため、土下座が求められない風土の形成は重要です。ですから、誰も「求めてはいけない」ほか、求められてもしてはいけませんし、求められてもいないのに、自らするようなこともすべきではありません。「身の危険」のあるときに「やむを得ず」は仕方ありませんが、原則してはいけません。風土が続けば、職場の同僚が被害にあるかもしれませんから。

 

② 事業者のイメージの毀損

 企業には、それを象徴するさまざまな資源があります。たとえば、企業の名称、ロゴ、カラーなど、社屋のデザインも同様です。また、従業員も企業を象徴します。

 

 従業員が企業を象徴する場合、制服などで静的に象徴しますし、動的に従業員の振る舞いのこともあります。後者の場合、従業員の振る舞いこそ企業の価値観を体現するものです。そこで、従業員が「土下座」という行動をするのなら、そのような社内文化があるのか、少なくともそれを許容しそうな企業であることを示唆します。ですから、従業員が職務上あるときは、企業を象徴する存在である自覚が必要になるわけです(5)。

 

6 おわりに

 以上のとおり考えてくれば、今回の事件も、警備員ご自身、その振る舞いが適切だったか、筆者には非常に疑問です。仮に「身の危険を感じる」ほどの威圧があったなら、今度は他のスタッフが適切に行動したのか、疑問が生じます。28日21時現在、万博協会でマニュアルが作られたよし報じられていますが、マニュアルで形式的に統制するのではなく、「土下座」をしてはなぜいけないのか、その理解を共有したほうがよいように思えてなりません。

 

 

⑴    https://www.news-postseven.com/archives/20250424_2036839.html/2

⑵    https://www.bengo4.com/c_5/n_18742/

⑶    https://toyokeizai.net/articles/-/873423?page=2

⑷    https://president.jp/articles/-/95014

⑸    過度な自律を意味しません。企業風土の自覚ですから、自由な振る舞いを認める企業との自覚も、自覚です。