じつは、それから更に遡ること1年前、高校時代からの大親友が私の病気を知って1枚の新聞記事のコピーを送ってくれていました。


彼女はとても筆まめで、家もそんなに遠くないのに、そうやって手紙をくれたりするのです。


私はその記事に、子宮内膜症の治療の症例をたくさん持つ、ある医師の話を見ていました。その記事は、腫瘍を内視鏡手術で摘出するというものでした。


しかし、私はそれまでに医者不信になっていたことや、内視鏡手術の医療事故ニュースを何度か見ていたこと、果たして新聞に載るような医師に見てもらえるのか?ということも考えて、悩んでいました。


それに何よりいちばん問題だったのは、その病院が私の家から電車で片道1時間半かかるほど、遠くにあったことで、仕事をしながら通うことが出来るのかという問題でした。



私は東京の都心に住んでいて、病院も選びきれないほどたくさんあるのに、ほんとうに片道1時間半もかけて通う必要があるのか、1年間も悩みに悩んでいたのです。


しかし病気は一向によくなる様子を見せませんでした。そこで私は一大決心をしました。

「さんざん病院を回ってきて、いままでの方法でやってきた所で、何にも変わってないじゃないか。どうせこのまま放っておいたところで何にもならないなら、この1枚の新聞記事にかけてみよう!」



そうして、親友がくれた新聞記事のコピーをもとに、私はとある病院に通い始めたのでした。

新しい主治医のところには全国から患者が訪れ、診察を待つ時間以上に診察時間が短かく、それはカリスマ美容師なんて比べものにはならない程でした。

薬で痛みをコントロールする生活をはじめて、すぐにそれは訪れました。


あれは忘れもしない、はじめて東京マラソンが開催された日の夜の出来事です。


遠くアメリカから来た大切なお客様と会食の帰りで、私は国道沿いの信号を渡ろうとしていました。

するとその時、とつぜん腹部の激痛に襲われました。たった数メートルの横断歩道なのに、痛みで一歩も前に進むことができず、私は道路の真ん中でうずくまってしまったのです。


目の前では、緑の信号が点滅をはじめています。そして信号待ちの車がすぐ目の前に迫っていました。

私は一瞬にして、いままでに感じたことがない恐怖と不安に襲われました。


このままここにいたら、キケンだ。

そう感じた私は、腹部を押さえ、うずくまりながらも道路の向こう側に必死で辿り着きました。



そして、やっとのことでタクシーをつかまえ家に戻ると、医師からもらっていた鎮痛剤を飲み、ベッドにもぐりこみました。


それまでは自宅で体調が悪くなることがほとんどだったのですが、この日を境に、いつとつぜん襲ってくるかわからない激痛を思い出し、ごくふつうの女性にある月経が、恐怖で仕方なくなっていきました。



それ程ひどい激痛は毎回おこるわけではありませんでしたが、ひどい時には、腹部の激痛と共に頭痛と発熱、激しい吐き気を引き起こすようになって行き、それはまるで、つわりが何日もつづくようなもので、こんな事が一年に何度も起こるぐらいなら、よっぽど10月10日頑張って一人産んだ方がよっぽどマシだと思う程でした。


そして耐え切れない激痛の時には、タクシーでかかりつけの病院へ行き、1泊入院したこともありました。

私はもうその病院に定期的に通うように決めていましたが、前の病院の若い医師からは治療方法があるように聞いていたことを思い出しました。

それから、町の病院で紹介状をもらった時に医師の紹介もしてもらっていたことを思い出したので、受付に言って、医師を変えてもらうことにしました。


今度の医師は全摘出の話はせず、薬で病巣を小さくして痛みを抑える治療法をすすめてくれました。

この病気のいちばんの特徴は、月経が止まると腫瘍が小さくなることです。ですからそれを応用して、閉経までの間に、ピルで痛みをコントロールしようというものでした。


ただし、その薬は副作用が強いので、長期間つづけることは出来ないと言われました。医師から説明があったスケジュールは次のようなものでした。




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また、薬の副作用としては次のような注意がありました。

・体毛が濃くなる

・声がれかれ、ひどい場合にはその声が戻らなくなる

・ニキビがひどくでる

・食欲の増進と体重の増加

・体のむくみ


治療をはじめて、最初は何ともなかったのですが、あっという間にニキビが出てくるようになり、声もかすれはじめました。


それでも治療をつづけ、あるとき9時間飛行機に乗り成田に着いた時には、足が太ももから足の先まで2倍にむくんで膨れ上がっていたので、血栓ができて脳にでも入ったらどうしようと想像したら怖くて怖くて、家に着くまでずっと足踏みをしていました。


家に着く頃には少しは足のサイズも小さくなっていましたが、まだまだ完全ではなかったので、しばらく足踏みしていたのを覚えています。


私は声が変わってしまうことと、長時間同じ姿勢で座っているとエコノミークラス症候群になる事が怖くなり、医師に相談しました。


すると医師は、顔のひどいニキビを見て「女性でそのニキビは気の毒だから、治療を止めましょう。」と言って下さいましたが、私に残された道は、経過を見ながら痛み止めで抑える事しかありませんでした。


余談ですが、薬の副作用か年齢的なものか、昔は痩せの大食いだったのに、あれから太りやすい体質になった気がします。