翌日の診察ではじめて「子宮内膜症の疑いがある」と告げられました。


子宮内膜症というのは、巷では「チョコレート膿腫」と呼ばれるもので、主に卵巣内に血液の塊ができる病気です。その膿腫がチョコレートに似ていることから、そう呼ばれることがあり、未だに原因不明の病と言われています。


子宮筋腫や乳癌など、婦人科の病気や検診は健康診断の項目でもよく見聞きしますが、この病名はそれまで聞いた事がありませんでした。


さっそく家に帰って調べてみたところ、インターネットというのは本当に便利なもので、調べてみるとものすごい数の女性たちがその病気に悩まされていることを知りました。



私はやっとそれらしい病名が告げられ、それなら治療の方法もあるだろうとはじめは思い込んでいました。

医師も若いけれども説明が丁寧で、熱心さがうかがえます。それに、私が何年も悩み続けていたのに、いままで行った病院の医師たちにわからなかったことをこの医師は指摘してくれたのです。私はそれだけで、すこし救われた気がしました。



ですが、帰りがけに婦人科の診察表を見ると、なんと昨日診察した医師は今日の医師よりうえの役職の人間でした。


私はそのときとっさに、多くの組織が縦社会だということを思い出しました。そう考えたら、私はもう二度とその病院で診てもらう気がしなくなり、他のもっと良い病院を探そうと思い立ちました。その時の私はもう必死で、自分の身を守るのは自分でしかないと思ったからです。


それから私は2年ほど病院ジプシーをすることになりました。



母に薦められ、町で評判の腕の良い先生がいる病院へ行ったこともありますが、「ここにはその治療ための施設がないので、申し訳ないけれど大きな病院へ行ってください」と言われてしまうなど、この病気は町の病院ではなかなか治療が難しいようでした。


先生に頼み込んで大きな所を紹介してもらい、そこでエコー検査してもったら、今度は初めから「子宮内膜症のようですね」と言われました。


これでやっと治療ができる!と期待して次の言葉をまっていたら、医師からこんなことを言われました。


「この病気は、痛み止めを使う対処療法か卵巣全摘出しかないんですよ。


これから妊娠の予定はありますか?ないですか・・・。自然に妊娠することで月経が一時的に止まるので、腫瘍も大きくならないし、痛みもなくなっていいんですけどね。


まだ全摘出には年齢的にも早いでしょうから、対処療法をしましょう。」



私は、治療できるとばかり思っていたのに、痛みを抑える鎮痛剤を飲むか、それが耐えられないなら卵巣全摘出という両極端な選択を迫られ、ショックで仕方ありませんでした。

じつはその頃の私は、婦人科の病を患っていました。


月経の前後の腹痛が20代も後半ごろから年々ひどくなっていたのです。

ところが、そんなことは世の女性たちの大半にあることなので、親に相談しても一喝されて終わってしまっていました。婦人科にかかり不調を訴えても、その場しのぎの薬やホルモン注射を出され、それが体に合わず、私が単に弱虫の怠け者なのかと思う日々が、何年も何年もつづいていたのです。



そんなある日、これまでにない激痛と数時間に及ぶ嘔吐を経験しました。飲まず食わずでいたので、脱水症状にもなりかけ、呼吸困難と体の震えもとまらなくなった私は、やっとの思いで電話を取ると救急車を呼び、近くの大学病院へ搬送されました。



救急で行きましたが、命にかかわる様子もないとみた医師は「単なる月経困難症。女性にはよくあること。帰れるなら、入院は必要ないので帰ってください。」と言ったまま、出産のオペに入ったきり、とうとう最後まで戻って来ませんでした。


ただベッドに横になっていただけなので、あいかわらず嘔吐がつづいていた私は少し立腹しながら、なんとか看護師さんを呼んで苦痛を訴えたところ、数時間後にやっと交代の医師がやって来て吐き気止めの点滴をうってくれました。するとほどなく吐き気は収まったものの、それまでに消耗した体力はそう簡単には戻りません。それでも、ただ休むだけで入院するのもしゃくなので、その日はフラフラになりながらタクシーを呼び、家に戻って休みました。


翌日はずいぶんと体調が戻っていましたが、昨日の診断結果はどう考えても納得が行きませんでした。自分の体のことは自分がいちばんよくわかります。あれが単なる月経困難症のハズがありません。翌日、またその大学病院へ行ききちんと診察をし直してもらうことにしました。


すると今回は別の医師にあたり、そこである病名を告げられました。

2007年4月30日、深夜。

私は、やすぞうさんが作ったPRプランナー資格試験 というコミュニティにとまどう事なく入りました。


ですが、PRプランナー資格試験そのものが、まだ良くわかっていなかったので、コミュニティに貼ってあったリンクを辿ってみたり、いろいろと調べることはありました。


調べた結果、このPRプランナー資格試験 というのは、社団法人日本パブリックリレーションズ協会 という広報・PRのプロが加盟している協会が新しく設けた資格で、これから第一回の検定が行われるという事がわかりました。


この資格がいったいどれだけ難しいものなのか検討も付きませんでしたが、学生時代にマーケティングと商業法規を学んでいたこと。就職してからも、テレマーケティング会社で指導する立場で働いたり、市場調査の為のプログラムを作る為にそのシナリオを何度も見ていた経験から、勉強さえすれば合格できる気がしました。


いつも課題を克服する時に自分に言い聞かせることがあって、それは『やればできる。あきらめない限り』『人は誰でもはじめは未経験で、最初から誰にも教わらずに完璧に出来る人なんていないんだ』という事です。


私は、この検定用ページの模擬試験にチャレンジ というページを見つけ、そして寝る時間も惜しんでさっそくチャレンジしてみました。すると、初回からなかなかの回答率でした。


ここには、1次試験、2次試験の参考問題があって、テレマーケティングの現場で厳しい教育を受けた時の考え方がかなり役に立ちました。試験までにはまだ時間もあったので、点数が足りない所から重点的に勉強すれば、1次試験は何とかなると思いました。


ただ、肝心のPRプランナーになる為には、3次試験に合格しなければならないのですが、3次試験を受験する為には、実務経験3年以上という条件があるのです。しかも3次試験は座学だけではクリアできないような問題構成になっていて、実務経験の少ない私には、かなり高いハードルに思えました。


ですから私は、残り1年強のあいだに何としてでも現場で実績を積んで、それで何とかなるだろうと計算しました。


とにかく途中で諦めたら何にもならないので、一生懸命に勉強をして、PRプランナーになるまで絶対に諦めない覚悟を決めたのでした。


※当時は3次試験の参考問題はありませんでした。