叔父は、1カ月と1週間前、とつぜん呼吸が苦しくなり、風邪だと思ったので近くの総合病院にかかり、それでも休まず仕事をつづけていたそうです。


風邪はぜんぜん治らず、1週間たつと、そのうち少し物を持っただけでも息苦しくなり、起き上がれないまでになったので、これはおかしいと思ってまたその病院へ行くと、今度は検査入院が必要と言われ、ほんの数週間のつもりで身支度をして、そこへ検査入院したのだそうです。



ところがそれでも原因はわからず数週間が過ぎ、他へ転院を進められたものの希望の病院のベッドがなかなかあかずに一ヶ月もたってしまい、そしてようやくベッドが空いたので、この病院に入院できたと言うのです。




こちらの病院に入院してからも検査をいろいろ受けたけれど、いまだに原因が特定できていないので、この辺りで唯一検査機器がある所へ近々検査で外出するとのことでした。


今では呼吸するのもきついそうで、「バカだよなあ。あの一ヶ月が無ければな。もっと早く他の病院にかかっていたら良かったんだ」と、悔やんでいました。


私は精一杯励ますつもりで何かを言った気がしますが、何を話したかはよく覚えていません。ただ、なぜ自分が今日ここに来たのかという話をしたのは覚えています。



病名はわからなくても、叔父の肺には水が貯まっていることはわかっていたので、肺に管を入れられ赤い水がそこから痛々しく出ていて、ポールのどこかにその袋がついていました。



私が(従兄弟の)お兄ちゃんが今度お見舞いに来るって言ってたよ。というと、遠くから来るんじゃ大変だからと、『「お盆には行くから、来なくていい」って、いっといて。』なんて言っていました。


1時間ぐらい話をしたところで叔父が「疲れたから(病室に)戻るから、部屋まで来なくていいぞ」と言うので、その日はエレベーター前で別れました。

新しい病院で治療をはじめた翌年の2007年、私はご存知の通り広報・PRの担当にもなっていたので、バリバリ働きながら3ヶ月に一度、薬をもらいに通院していました。


その日も私は病院へ行く予約が入っていたので、いつも通りに行って診察を終え電車に乗ったところで、前の日に従兄弟から電話があり、留守電にメッセージが入っていたのをふと思い出したのです。



それは、父の故郷にいる従兄弟からの電話で、前の日は残業していたので留守電にはただ「○○です。また電話します」とだけ入っていたのでした。



滅多に電話などよこさない従兄弟なので、きっとよっぽどの急用に違いないと思いましたが、電話番号は父に聞かないとわからなかったので、電車を1駅乗ったところで降りて、携帯から父に電話する事にしました。



父に電話が繋がったので「もしもし、私。なんか、お兄ちゃんから電話があったんだけど、何かあったの?」と聞くと、父は、自分のすぐ下の弟が入院したと言いました。


私は驚いて病院を聞くと、それはまさに私がいま後にしたばかりの病院でした。


いまからお見舞いに行くと告げましたが、

「いや、呼吸が苦しくて入院したんだけど、調べても原因不明だから、今日、他の病院に検査に行くかもしれないって言ってたぞ。出かけてていないかもしれないし、何も戻らなくても、○○(従兄弟の名前)が、今度出てくるって言ってたから、そのとき一緒に行けばいいんだから、無理することないぞ」と言われました。



叔父はそれまでずっと独身で通していたので、見舞う家族が他にいませんでした。

一人ぼっちでさぞ寂しいだろうと、私は叔父の見舞いがどうしてもしたくて、電話を切ってすぐ病院に電話をし、叔父がいるか確認しました。


親族であることを告げると、看護士さんは親切に今日は外出は無くなったので、叔父とすれ違わないように病室で待っているように伝えておくと言ってくれました。



私は急いでまた、いま来た道を電車とバスを乗り継いで戻り、途中でお見舞いのお菓子とジュースも買って、通い慣れたけれど、はじめてその病院の病棟を訪れました。



エレベーターを降りたところで病室をどう探そうか一瞬悩んでいると、「Kateだろ?」と、むかしよく聞きなれた声がします。



声の方向を見ると、白髪頭で小さな老人が入院患者の部屋着を着て、ポールを持ってこちらへやって来ます。

それは、びっくりするほど小さく見えたけれど、何十年ぶりで会う叔父に間違いありませんでした。


あっけにとられている私を見て、叔父は「なんだ気づかなかったのか。バカだなあ」と、言いました。

叔父の大好きなジュースと、差し入れのお菓子を出すと「そのジュース、さっき久しぶりに飲んだよ。お菓子は食欲ないから、看護婦さんにあげよう」と、10代でこっちに出てきてもう長いので訛りはほとんどないはずなのに、その時の叔父は、故郷訛りがずいぶんと言葉のはしばしに出ていました。


そして、入院してから今日までのことをたくさん話してくれました。

新しい病院、新しい主治医を見つけた私は、初診でエコー検査をした後にも、MRI検査を受けたりと、電車とバスを乗り継いでの片道1時間半の旅をつづけていました。


この病気でのMRI検査はその病院ではじめて受けたのですが、本来であれば親指の先ほどの大きさの卵巣が、卵巣が片側2cm、もう片方は5~6cmぐらいにまで大きくなっている事が判明しました。


そして医師は「よく、いままで手術を勧められませんでしたね」と、言いました。


それにつづけて、この病気の説明と、治療法の説明がありました。


この子宮内膜症(俗称チョコレート膿腫)のうち、0.7%に癌の可能性があり、この先生の研究結果では抗アレルギー薬を長期間服用することで、腫瘍が剥離しやすいことと、術後妊娠・出産をしている患者さんがいる


この病気は、閉経まで再発の可能性があり、腫瘍摘出後すぐに再発する人も中にはいる。

だけど、このまま放置すれば腫瘍が破裂し、内臓(卵巣、子宮、小腸、大腸などの隣接する臓器)が癒着し、その剥離が大変になる可能性がある。


今までに耐え切れない腹痛に襲われたのは、既に腫瘍が少しずつ漏れ出し、癒着している可能性があり、初潮からこれまで何十年かかけてこれだけ腫瘍が大きくなったワケだから、手術で一度腫瘍をリセットすれば、再発するとしても閉経までまだ何年もあるだろうということ。


ただし手術にはりクスがあって、最善の努力はするが、これは万が一の場合だが、最悪の場合には人工肛門になる可能性もある。



医師は紙にサラサラと書きながら、次々に説明し、とてもわかりやすかったものの、「失敗したら人工肛門」という言葉が耳に残り、怖くて仕方ありませんでした。


すると医師は、いますぐ入院・手術というわけではなく、しばらく抗アレルギー薬を服用して様子を見たらどうかと言ってくれたので、私はそれで腫瘍がなくなってしまえばと過度な期待を抱き、そして手術以外の道を模索しながら、1年間その治療をつづけました。