私はついに手術を決心しました。
手術の決心をした時、私はひとりではなくなりました。
入院するには保証人がいなくては出来ないし、病めるときも健やかなるときも共に寄り添ってくれていた可愛い猫を実家に預けなくてはなりません。
先生のことを信頼してはいるけれど、万が一の時のことを考えたら、いろいろと家族に伝えておくことがあります。
2007年5月12日、家族にお願いして病院に付き添ってもらいました。そして、先生に「よろしくお願いします」と、改めてお願いしました。
原因不明の痛みから、病院ジプシー、そして手術を決意するまで、本当に長いながい道のりでした。迷いに迷った結果です。もう後戻りは出来ません。
その日から、私の手術へのカウントダウンがはじまりました。
手術までの間には、以外にもやる事がたくさんありました。まず閉経状態にして腫瘍を小さくして手術をした方が、患者にとっても医師にとっても楽なので、そのために半年かけて薬を使って閉経状態にすることになりました。
この薬は、点鼻薬と、内服と、注射の3種類あるのですが、医師からは注射をすすめられ、打つことになりました。
ただ、この注射は後に大変な苦痛を伴う強い副作用があったのです。
先生は、「この注射は強い更年期障害の症状が起きる事があります。だけど、私は細かく説明しません。人間って弱いものでね、言うとみんな本当にそうなっちゃうんです。だから言いません。」と言って、その日の診察は終わりました。
処置室で看護士さんに注射を打ってもらってから、その足で急いで叔父の病室へ行くと、病室も変わっていて叔父はもう自立歩行できないぐらいになっていました。入院してやっと病名がわかった頃には日を追うごとに体力が落ちて行くような状態で、食事もふつうにとれなくなっていました。
私はせめてもの励ましのつもりで、「おじちゃん、手術することに決めたの。私が入院するのは秋だから、おじちゃんは夏までには退院して、私にこの病院の中のこといろいろ教えてね」と報告しました。
叔父に前回会ったときは、やっと話せる風でしたが「先生が、『肺癌だけど治せるよう努力します。一緒にがんばりましょう』といってくれたから、俺は先生に『お願いします』って頭下げてお願いしてあるんだ」と言っていたのですが、巷でよく聞く化学療法がはじめられている気配がまったくないので、不思議に思いました。
父が保証人になっていて、父も「先生にお任せしている」と言うので私が出る幕ではなかったのですが、会うたびにやつれていく叔父をただ黙ってみている気にはなれなくて、お時間をいただいて治療方針や他に出来ることはないか訊ねることにしました。
時間をもらい叔父の担当医のうちの一人の先生から直接聞けたことは、化学療法をしようにも高カルシウム結晶の数値が急に上がってしまったため、今はそれすらも出来ないという事でした。
化学療法を行うためには、それに耐えられるだけの体力がなければ、その治療によって命を落としてしまうのだと言うのです。
ですから、高カルシウム結晶の数値も下がって体力が戻らなければ、緩和ケアしか出来ることはないと言われてしまったのです。
叔父がもう長くないのか尋ねると医師は「それは誰にもわからないことです。とにかくご本人は頑張ると仰っていたので、体力が戻ってくれるのを待つだけです」という返事だけが返って来ました。
時期が来たら、叔父を緩和ケアだけのホスピスに転院させてあげることも考えなければいけないのかな。とか、いろいろ考えて、父とも相談しました。
叔父の意識がまだしっかりしている間に、父が本人に尋ねたこともありますが叔父は「ここでいいよ」と言っていたそうです。
私がお見舞いに行った日の夕方、少し元気になったおじから電話がありました。
入院が思っていた以上に長引いてしまっているから、入院代や治療費の支払いは大丈夫か。自分が用意しただけで足りるのかといった心配だったので、「おじちゃんは治療にだけ専念して頑張って!」と答えました。
その次の日、また父のもとに医師から電話が入りました。「容態が急変しましたので、もう長くないと思います。心の準備をしておいてください」という内容の電話でした。
それを聞いた私は「そんな事は信じない!」と言ったものの、叔父はあっけなく次の日の真夜中に息を引き取りました。
最初の入院からわずか2ヶ月足らずのあっけない出来事でした。
叔父は最期まで生きることをあきらめませんでした。最期に会った日、叔父は生きようとして食べたくも無い食事を目の前で頑張って食べてくれました。
もしかしたらすごく辛くて「もう頑張らなくていいよ」という言葉を待っていたかもしれません。だけど、私たちが「がんばれ、がんばれ」というものだから、精一杯頑張って見せてくれたのかもしれません。
私と叔父が同じ病院を選んだこと。妻子のいない叔父を見舞うことになったこと。病と闘いながらも私を勇気付けてくれたことは、もしかしたら誰かがそうさせたのかもしれません。
生きたくても、生きられない人がいる。
そのことを考えたら、後に残された者に出来ることは、精一杯生きることだと思いました。そう考えたら、手術が怖いなんて言っていられないと思いました。