2007年10月18日。よく晴れた日の午後。ついに私の順番がやってきた。


麻酔科の説明会のときに、手術の間好きな音楽をかけるので、希望する人は持ってきてくださいと言っていたので、私はふだんから聞いていたイギリスのボーイズ・エアー・クワイアのアルバムをMDに入れたものだけを持って、家族と看護士さんと一緒に病室から出た。


エレベーターと廊下を渡って手術室がある部屋まで行くと、小児科かと思うような可愛らしい色合いのウエアに身をまとった麻酔科の人たちが4人ぐらい、立っていた。

彼らのウエアの色と柄は、1人として同じものはなく、母はそれを見て「明るくて、いいわねぇ」とスタッフの人たちに話しかけていた。


私も心が和んで、少しだけリラックスできた。


手術の直前になって、なんだかトイレに行きたいような気がしたので、みんなに待ってもらって、最後のトイレに行った。トイレに入ったものの、やっぱりそれは気のせいで、大して用も足さず出て行くと、先生と家族が談笑していた。


そして母と妹は「先生、ちゃんとお昼食べたって!」と教えてくれた。


先生に改めて「よろしくお願いします」と頭を下げて、家族といくつか言葉を交わした後、手術室の前で看護士さんにメガネを預けたら、辺りの景色がボンヤリしてしまって、よく見えなくなった。


足元がおぼつかないままついて行くと、自動ドアが開き、キレイな明るい部屋に入った。


手術台に上がるよう指示されて、手探りで上がると、体温が下がらないようになのか、身体の下に暖かい電気が通った薄いマットか何かがしいてあるようだった。それでも、パジャマ(前開きの寝巻きタイプ)だけだと少し肌寒くって、しかも部屋の中にはPOPミュージックみたいなのがかかっていて、いつになったらボーイズ・エアー・クワイアが聞けるのだろう?なんて思っていると、指先に脈をはかるための装置をつけられた。


頭の上の方に何人かいて、何か準備をしているようなのだけど、振り向くことができないので、いったい何人にて、何をしているのかわからなかった。


いくつか装置をつけられて、先生がいつ登場するのか緊張しながら、私はその時を待っていた。




入院当日の夜は、なんと、とんかつ定食だった。

病院の食事といえば、味付けの薄い、素気ないものだと思っていたので、これからの入院生活で食事だけは楽しめそうだと思った。


「病に勝つ!」かあ・・・。と、ひとりニヤニヤしながら、持ち込んでいた携帯で記念写真を撮って家族に送った。


まだまだ歩けるので、待合室とか、いろいろな場所を確認する意味でフロアを探検していたら、病院内で行われるクラッシックコンサートの掲示物が目に飛び込んできた。


こんな所でクラッシックコンサートが、ただで見られるなんて最高だなあ。と思ったが、日付を見たら手術の当日だったので、見られないと思ったらちょっとガッカリした。



翌朝の10月18日、手術の日がやってきた。


担当の看護士さんに「Kateさんの手術は3番目で、14:20頃の予定です」と告げられた。


母は働いていて、いつも夜遅いので無理しなくて良いと言ってあったのだが、妹も仕事を休んでくれ、13時には二人で駆けつけてくれる事になっていた。


手術の前にはやっておかなければならないことがあった。

白い変なタイツをはかなければならない。

なんでもそれは、術中ずっと同じ姿勢でいなければならないので、血栓を防ぐために履く医療用タイツなのだそうだ。

なんだか難しそうな、日本語と英語で書かれた説明書がついていて、看護士さんからも履くコツを教わった。


私の手術の順番はまだだったので、後で履こうと思っていたら、2番目の手術予定の向かいの若い女性とお母さんがタイツを履きながら、はしゃいでいた。


私は術前で水分は前の晩遅くから取れず、朝から食事も出なかったので、体力を温存しようとカーテンを閉めたまま、ベッドに横になったり、トイレに行ったりしていた。


気がつくと、向かいの女性まで順番が来ていて、ベッドごと誰もいなくなっていた。

もしかして、手術室までベッドで向かうのかな?と考えたら、ちょっと恥ずかしかった。

13時頃になって、母と妹がやって来て、今度は私がタイツを履くことになった。

だけどそれは、圧着させるためか繊維がのびず、履くのがなかなか大変なタイツで、それでいて、足の指のあたりに理由はわからないが、楕円の穴があいていた。


母と笑いながらそれをやっと履き終えて、足を見たら、ハッと気がついた。


その年の5月に亡くなった叔父がベッドから起き上がれなくなってきた時に、妙なものを足につけられていて、これは一体何のために履かされているんだろう?と、ずっと不思議で、だけど聞けずにいたのだった。


その叔父と同じタイツを私もいま、履いていた。

今考えると、あれは横になることが多くなった叔父の血栓を防ぐためのものだったのだ。



そんなことを考えながら、いつ自分が呼ばれるかとドキドキして待っていたが、予定の時間を過ぎても向かいの女性は帰ってくる様子がない。


お昼の時間も過ぎ、先生はいつお昼ごはんを食べるんだろう?

もしかして、ご飯抜きで3人つづけて手術するの?

ご飯食べた後って、眠くなるよねぇ?先生、大丈夫だよね???などと、かなり不安になったけれど、ここまで来たので「そんなことあるはずない」と、なるべく良いことだけを考えるように頑張った。



母にも「心配することないわよ。1時間なんて、すぐじゃない」などと言われ、気を紛らわしながら会話していると、廊下の方からガラガラガラガラガラ と、ベッドごと大急ぎで人が運び込まれてくる音が聞こえてきた。



ER系のドラマによくあるような音で、一瞬不安がよみがえってきた。

PRプランナーの2次試験はまだ先だったけれど、3次試験の受験資格を得るまでの間に、少しでも実務経験を積んでおきたいと思っていた。


当時、私の周りで広報について熟知していて、そして頼れる人と言えば、それはスズセンさんしかいなくて、困ったときのスズセンさん頼みで、プレスリリースの書き方を教えていただいた。


教えてもらったら、即実践に移した方が良いので、教えていただいたことや、山見さんの本を再確認しながら、私ははじめてのプレスリリースを書いて、そして社長に配ってよいかと直に訊ねた。


社長はプレスリリースなんていうものの存在を知らなかったけれど、どんどんやりなさいということだったので、自社主催のセミナーのリリースを作って、業界専門誌数社に流した。


セミナーの準備やら、リリースの配信、DMの手配も終えて、2007年10月17日、私は、入院した。



前の週まで仕事でバタバタしていて、それでもって土曜にPRプランナー補面接を受けたばかりだったので、1週間の荷造りや、部屋の片付け。ルームメイトの白黒猫のみーちゃん のお泊りセットの支度もあって、前の日はかなりの寝不足だった。


家族はみんな働いているので、入院するときはいつものように1人で病院に行った。

退院の時はお腹が楽なように、それでも10月で寒いので風邪をひかないようにと気をつけて、ウールのワンピースにダウンをはおって、スーツケースをガラガラと転がしながら電車とバスを乗り継いだ。


一見してみると、それは旅行者に見えなくもないのだが、自分は入院患者なのだと考えたら、なんだか不思議だなと思った。


最初は静かに眠れる個室が良いかなと思ったのだけど、懐具合もあって、6人入れる大部屋にした。

眠い目をこすりながら、なんとか午前中に病院に着き、入院手続きを済ませて病棟に行くと、看護士さんに自分のベッドを案内された。


大部屋の真ん中のベッドが2台空いていて、向かいに同じ日に入院した若い女性が、お母さんと一緒に来ていた。


入院してベッドのある部屋に通されたわけだが、私は今のところ何も不都合はないし、まだ午前中で眠れる訳もなく、でも看護士さんに着替えるように言われていたので、布団に入れるようにパジャマに着替え、自分の私物をロッカーやら、引き出しやらにしまったりして、なんとなく過ごした。


入院初日のお昼は、確かコッペパンにウインナーのものと、卵サンドのものと2つ出て、それにデザートとフルーツジュースもついていた。


それを食べて、更にぼんやりと時間を過ごして数時間たった頃、ベッドの足元のカーテン越しに白衣の男性がひょいと顔を出して、「ようこそ、いらっしゃいました(^-^)」と、私を歓迎してくれた。


それは紛れもなく、1年以上通い続けた私の主治医で、いつも診察室で会うから、「ほんとうに病室にも来るんだ~」と思って、なんかすごく新鮮な感じだった。


いらっしゃいました。って笑っちゃうけど、心配性で、怖がりの私の性格を見抜いてか、ちょっとユーモアも交えて話しかけてくれたのだった。


それから先生は、「私の助手を紹介します。○○です。」と言ったけど、緊張していて名前は聞き逃してしまった。


つづけて先生に、「Kateさん、昨日はよく眠れましたか?」と聞かれたので、「先生、忙しくてあんまり眠れませんでした・・・」と言うと、相変わらず冗談か本気かよくわからない感じで


「大丈夫ですよ、これから好きなだけ眠れますから」と言ってくれた。



そ、そうなんだあ・・・。(^_^;)


と思っているうちに歓迎の挨拶は終わり、先生は向かいのベッドの女性の所へ行って簡単に挨拶をして、病室を後にした。