術後はじめての食事は、フルーツジュースだけだった。
私は痛み止めで胃が荒れてしまっていたので、何も吐くものがないのに自分で指をつっこんで嘔吐していた。当直の先生の許可を得て、持ち込んでいた吐き気止めを飲んだけれどムカムカが収まらず、薬を飲んでは吐き、飲んでは吐きを、何回もやっていたら、看護士さんに「もうそれ以上、薬は飲まないで、吐くのも我慢してください」と叱られてしまった。
お昼になり、今度はジュースとバナナが出た。
私は気持ちが悪くて、ジュースも飲みたくなかった。
こんなことは生まれてはじめての出来事で、点滴に頼らず、自分の口から食べないと元気にならないことは十分にわかっていたけれど、とにかく食べたくなかった。
それに手術のあいだお腹に入っていた空気が上に上がってきたらしく、肩がとにかく痛い。
数時間置きに様子を見に来てくれる看護士さんも、その様子には流石に気の毒がってくれて「手術の後は、なかなかご飯が食べられないものですけど、これがずっと続くわけじゃないですからね。だいたい1日か2日で食べられるようになりますからね。」と言ってくれた。
「はい、ありがとうございます」と答えたけれど、とにかくその日一日は、気持ちが悪くて仕方なかった。
翌朝は、重湯と煮魚が少し出た。
同じ日に手術した向かいの女性は、すべて残さず完食しているらしいことは、カーテン越しに聞こえてくる会話でわかった。
私も負けるもんか。入院日数増やして余分にお金払うのなんて、ぜったいにイヤ!と思って食べようとするのだけど、食器の蓋をあけたときの、重湯の炊き上がった湯気の匂いが、こんなにも気持ちが悪いものだとは、生まれて初めて知った。食べ物の匂いを嗅いだだけで「ウッ」となってしまって、トレーごと早くさげてもらいたくなった。
なんとか、2口か3口食べただけで蓋をして、フルーツジュースだけ置いといてもらって、後は全部さげてもらった。
5月に亡くなった叔父は、入院してすぐから食べ物を受け付けなくなった。「もう食べたくない」と言っていたのに、それなのに私は「叔父ちゃん、食べないと元気でないよ。ご飯しっかり食べて!」と、言っていた。
身体が食べ物を受け付けなくなることがあるんだと思ったら、ショックだったし、本当に元気に歩くことなんて出来るのだろうかと、悲しくなった。
すると、病室の入り口近くの叔母さんがカーテン越しに私とお向かいの女性に声をかけてくれ「おばさんも、やっとご飯が食べられるようになったの。あんたたちも、がんばりなさいよ」と、中国地方の方言まじりにいろいろと言葉をかけ、励ましてくれた。
身体は思うように言うことを聞かなかったけど、大部屋に入院して良かったなと思った瞬間だった。