2007年10月21日(日)。

母がお婆ちゃんと二人で、片道1時間半かけてお見舞いに来てくれた。

お見舞いに来ているのに、母が現実的な私の家の支払いの話なんかをし出したので、何だか頭に来て文句を言って、怒ってしまった。(怒れるだけ、元気になった証拠なのだろう。)


その後で、何だか少し申し話なかったなという気になって、少し病院案内がてら、病棟の他の階へ連れて行ったりもした。


母に「もう寒いし、部屋に戻って寝なさいよ」と言われる程、人が来るとやっぱり嬉しいのか、はしゃいでしまうのは私の悪い癖だった。


夜、テレビカードで映画が見られるので、その日は遅くまで宮崎アニメか何かを見た。



まだ疲れやすいので、食事を終えてからウトウトする事も多かったし、お隣の人が夜型らしく、1時過ぎに明かりをつけてデイルームに行くので、私も気になってなかなか眠れなくなっていた。


看護士さんの見回りに来る回数も、数時間おきから、1日に数回にまで減っていて、食事も食べられるようになったし、空いた時間にテレビばかり見ているのもなんだか、もったいない気がしてきた。


それで、月曜日からぼちぼちとPRプランナーの2次試験の勉強をはじめることにした。



勉強の仕方は簡単

入院前に『戦略広報 パブリックリレーションズ実務事典』を、荷物に入れてあったので、ベッドの上で、試験の出題範囲の部分を真新しいノートに書き写していった。


本をまるごと覚えるなんて本当に大変なので、重要と思った部分を書き出す。その際、本の内容をさらに噛み砕いて書いたり、線をひいたり、丸で囲んだりして、自分で理解しながら書く。

自分で書いていながら理解が不十分だと思うところや、大事なポイントには更にマーカーで線を引いて囲むこともした。


私は本を汚すのが出来ないタイプなので、とにかくノートに写すことで覚えて行った。


とは言っても、集中力は30分も持てばいい方なので、疲れたらまたデイルームに歩いて行ってジュースを飲んだり、他に読みたかった本を読んだりしながら、「勉強しようとしている自分」というのを大切にして、1日1日を過ごした。

2007年10月20日(土)。

お向かいさんに負けたくない。私も同じ日に退院するんだ!という思いで、頑張って朝ごはんに手をつける。

完食とまではなかなか行かないけれど、胃が受け付けそうなものは口にした。

どんなに具合が悪くても、点滴に頼らず口から物を摂ることが大切だ。

食事を摂ることで、とうぜん腸も動き始める。


術後は腸閉塞も心配されるので、物は食べられなくても、できるだけ足をバタバタさせたりするように心がけていた。

食事を食べたことを知ったその日の担当看護士さんが10:30ごろやってきて、「この階を1周したらもう安心ですよ。点滴を抜きましょう。無理しないで、途中で休んでいいですからね。」と言ってくれた。

1周歩くなんて、簡単じゃない!

と、思ったのだけど・・・。たった3日寝たきりだっただけなのに、情けない事に身体を起こして座ることが出来ない。すでに、腹筋が衰えてしまっていたのだ。

看護士さんの言っていたことがやっとわかった。

腹筋が落ちているので、腰が曲がりながら、ゆーっくり、ゆーっくりと。まだ点滴もついているので、管が外れないように、転ばないように、一歩一歩を踏みしめながら歩いた。

途中、1度だけトイレ休憩を挟んで、それで必死で1周回った。

部屋に戻り看護士さんに「1周まわりました!」と報告すると、やっと点滴と、つづいて尿管を抜いてくれた。

そう、それまでまったく気になっていなかったのだけれど、術後は動けないのでお小水を排出するための管がつけられていたのだった。術後ずっとの事だったので、寝返りをうつときに足に管がひっかかって邪魔になるぐらいで、他は何の違和感もなかった。

食事はもともと摂れていなかったので、おまるの必要もなく、尿管のおかげで特に恥ずかしい思いもせずに助かった。


これでやっと、すべての装置や管から解放された!

1周歩いたからか、お昼ご飯は完食した。なんという回復力なのだろう。人間って、素晴らしい。


夕方になってお父さんが、叔父が亡くなって以来のお見舞いに来てくれた。


看護士さんからは、たくさん歩いた方が回復が早いと言われていたので、「無理するな」という父に「へいき、へいき!」と言って、一緒にデイルームに行った。すると窓にはキレイな夕焼けと富士山が見えていて、そこにいたみんなも感動していた。


夜には長年の付き合いになる親友も来てくれた。「何か欲しいものはある?」と聞いてくれたので、ヨーグルトを2つ買ってきてもらった。


まだ肩が痛かったけど、随分と喋れるし、もちろん夕食も完食。同室のおばさんがいろいろお話してくれるので、孤独感もなく、とても居心地が良かった。



2007年10月19日(金)。向かいの女性は食事を完食し、もう歩きはじめていた。


私はぜんぜん食欲がわかないというのに、食事だけは決められたままのメニューで出てくる。

手付かずのご馳走が手付かずで片付けられていくのは、とてももったいない気がしたけれど、「見たくもない」と

いうのが正直なところだった。


食事のうちのバナナ1本とフルーツジュースだけを残してもらい、夜になって、ずいぶんと時間をかけてバナナ1本をやっと完食した。


その晩、妹が仕事が終わってから遅い時間に来てくれたけど、話だけしてその夜はまた眠った。