2007年10月23日(火)。
術後、食事が摂れなくてヨレヨレで心配だったけど、がんばってご飯食べて、たくさん歩いたおかげで、スケジュール通りに退院の日を迎えることが出来た。
先生からは「食事制限はありません。お酒も飲んで構いません。ただし、お腹に力を入れるような事は当分避けてください。」と言われた。
前の晩、なんだか眠れなくて忘れ物がないようにかなりの荷物を詰めてしまっていたので、朝からあまりやることがない。
6時の起床の音楽と共に目覚め、8時の食事の時間には、デイルームへ行って食べる人たちもいるので、その後はみんなバラバラに活動していて、部屋には私とお向かいさんと、島根のおばさんぐらいしかいなかった。
そういえば前の晩、島根のおばさんが「おばさんも水曜に退院できることになったの。もう、ここに戻ってこないようにしないとね」と言っていたっけ。
他の病室の人には「もしかしたらあなたの一ヵ月後検診の時は、私はまだここにいるかも知れないから、その時はお見舞いに来てね。ほんとうは、そうじゃない方がいいんだけど・・・。」と頼まれたので、「わかりました。きっとお見舞いに来ますね。でも、その時は退院しているといいですね」と、返事をした。
1週間も入院していると、少しずつだけどそれなりに毎日いろいろあって、病院で知合った患者同士という、あまり宜しくない意味の繋がりが出来てくる。
ここを出たら、どこの誰かもわからないし、もうきっと二度と会うこともないだろう。かと言って、お互い住所を交換するのも何だか違う気がするし、「また会いましょう」なんていう事は、相手が例えどんなに親切にしてくれた看護士さんであっても、やっぱり言いたくはないものだ。
なんだか変な気分だけど、優しく親切な人たちとお別れするのは、やっぱり寂しい。
朝食を終えてから、着てきた服に着替え、靴も履き、コップや歯ブラシなど朝使った物を片付けはじめた。
スーツケースはいっぱいで、来るときもビニールバッグをタイヤのチューブで出来たバンドで固定して来ていたので、帰りもそうしようと思ったのだけど、なかなか上手くいかない。このタイヤのチューブを伸ばさないと止まらないのよね。と思って何の気なしに引っ張ってみたら、お腹が裂けるかと思うほど、痛くなって驚いた。
普段どこの筋肉を使っているかなんてこと、ぜんぜん気にしていなかったのだけど、こういう事をする時は腹筋を使っていたんだな。と、身を持って知った瞬間だった。
身の危険を感じたので、バンドで固定するなんていう怖ろしいことはやめて、ちょっと不便だけどビニールバッグは素直に手に持って歩くことにした。
前日の看護士さんの話だと「おそらく退院出来るだろう」との事だったけれど、先生の確認をとらないと正式な退院はできないので、ひととおりの格闘が終わった後も、私はTVを見たり、他の人とお話したりと、なんとなく過ごしていた。
すると、やっとのことで退院許可がおりた。
同じ日に入院と手術を経験したお向かいさんの所には、まだ退院許可が下りていなかったので、お迎えに来ていた彼女のお母さんと、お向かいさんに
「お世話になりました。お元気でお過ごし下さいね。」などと互いに挨拶を交わし、私は看護士さんに連れられて、部屋を出ることにした。
本当なら、不安でいっぱいだった私に(そしてお向かいさんにも)たくさん声をかけて、励ましてくれた島根のおばさんにも挨拶したかったのだけど、おばさんはやっと歩けるようになったので、看護士さんと一緒に部屋を出てしまっていて、挨拶ができなかったのだ。
残念に思いながら歩いていると、廊下で部屋に戻ろうとしていたおばさんに、ばったり会った。
看護士さんが「Kateさん、退院されますよ」と、おばさんに声をかけたので、おばさんは、「それじゃ、お見送りしましょうかね」と言って、看護士さんと一緒にわざわざエレベーターホールまで来てくれた。
エレベーターを待つ間、看護士さんに「Kateさんは、1人で帰るの?」と聞かれたので、「父が下まで車で迎えに来てくれるんです」と答えると、あっという間にエレベータが来てしまったので、お礼の言葉とお別れの言葉を交わし、そっとエレベーターのドアを閉めた。
ドアが閉まったその瞬間、私はもう病人ではなく、入院患者でもない、自由な身になったのだと、心から思った。