退院した日は、実家に泊まった。だけど自分の部屋がないから、なんだか落ち着かない。

次の日には猫と一緒に、自分の家に戻った。


金曜日は、10月にしては暖かく天気も良かったので、お腹を締め付けないワンピースを着てちょっと外出。

駅前のスーパーで食材などを買い込んだ。


その後はノートPCが繋がらなくて、半日それに費やしてしまった。


2007年10月27日(土)。

そろそろ自宅での試験勉強を再開する。

勉強方法は入院してた時と変わらず、本を読んで必要なところをノートに書き出すという、ひたすら地味な作業を繰り返すだけ。


お臍にはってあった絆創膏が取れてしまった。お臍の奥もまだ痛くて、不安が残る・・・。


ゴロゴロしたり、途中でラジオを聴いたりしながら、10月末まではそんな風に過ごした。

2007年10月23日(火)。

術後、食事が摂れなくてヨレヨレで心配だったけど、がんばってご飯食べて、たくさん歩いたおかげで、スケジュール通りに退院の日を迎えることが出来た。


先生からは「食事制限はありません。お酒も飲んで構いません。ただし、お腹に力を入れるような事は当分避けてください。」と言われた。


前の晩、なんだか眠れなくて忘れ物がないようにかなりの荷物を詰めてしまっていたので、朝からあまりやることがない。


6時の起床の音楽と共に目覚め、8時の食事の時間には、デイルームへ行って食べる人たちもいるので、その後はみんなバラバラに活動していて、部屋には私とお向かいさんと、島根のおばさんぐらいしかいなかった。


そういえば前の晩、島根のおばさんが「おばさんも水曜に退院できることになったの。もう、ここに戻ってこないようにしないとね」と言っていたっけ。


他の病室の人には「もしかしたらあなたの一ヵ月後検診の時は、私はまだここにいるかも知れないから、その時はお見舞いに来てね。ほんとうは、そうじゃない方がいいんだけど・・・。」と頼まれたので、「わかりました。きっとお見舞いに来ますね。でも、その時は退院しているといいですね」と、返事をした。


1週間も入院していると、少しずつだけどそれなりに毎日いろいろあって、病院で知合った患者同士という、あまり宜しくない意味の繋がりが出来てくる。

ここを出たら、どこの誰かもわからないし、もうきっと二度と会うこともないだろう。かと言って、お互い住所を交換するのも何だか違う気がするし、「また会いましょう」なんていう事は、相手が例えどんなに親切にしてくれた看護士さんであっても、やっぱり言いたくはないものだ。


なんだか変な気分だけど、優しく親切な人たちとお別れするのは、やっぱり寂しい。



朝食を終えてから、着てきた服に着替え、靴も履き、コップや歯ブラシなど朝使った物を片付けはじめた。


スーツケースはいっぱいで、来るときもビニールバッグをタイヤのチューブで出来たバンドで固定して来ていたので、帰りもそうしようと思ったのだけど、なかなか上手くいかない。このタイヤのチューブを伸ばさないと止まらないのよね。と思って何の気なしに引っ張ってみたら、お腹が裂けるかと思うほど、痛くなって驚いた。


普段どこの筋肉を使っているかなんてこと、ぜんぜん気にしていなかったのだけど、こういう事をする時は腹筋を使っていたんだな。と、身を持って知った瞬間だった。



身の危険を感じたので、バンドで固定するなんていう怖ろしいことはやめて、ちょっと不便だけどビニールバッグは素直に手に持って歩くことにした。



前日の看護士さんの話だと「おそらく退院出来るだろう」との事だったけれど、先生の確認をとらないと正式な退院はできないので、ひととおりの格闘が終わった後も、私はTVを見たり、他の人とお話したりと、なんとなく過ごしていた。


すると、やっとのことで退院許可がおりた。


同じ日に入院と手術を経験したお向かいさんの所には、まだ退院許可が下りていなかったので、お迎えに来ていた彼女のお母さんと、お向かいさんに

「お世話になりました。お元気でお過ごし下さいね。」などと互いに挨拶を交わし、私は看護士さんに連れられて、部屋を出ることにした。


本当なら、不安でいっぱいだった私に(そしてお向かいさんにも)たくさん声をかけて、励ましてくれた島根のおばさんにも挨拶したかったのだけど、おばさんはやっと歩けるようになったので、看護士さんと一緒に部屋を出てしまっていて、挨拶ができなかったのだ。



残念に思いながら歩いていると、廊下で部屋に戻ろうとしていたおばさんに、ばったり会った。


看護士さんが「Kateさん、退院されますよ」と、おばさんに声をかけたので、おばさんは、「それじゃ、お見送りしましょうかね」と言って、看護士さんと一緒にわざわざエレベーターホールまで来てくれた。


エレベーターを待つ間、看護士さんに「Kateさんは、1人で帰るの?」と聞かれたので、「父が下まで車で迎えに来てくれるんです」と答えると、あっという間にエレベータが来てしまったので、お礼の言葉とお別れの言葉を交わし、そっとエレベーターのドアを閉めた。



ドアが閉まったその瞬間、私はもう病人ではなく、入院患者でもない、自由な身になったのだと、心から思った。



2007年10月22日(月)。

主治医でもあり、執刀医である私の命の恩人U先生から話を聞ける時がやってきた。

先生は、診察も手術もこなしていて、入院中にやっと、先生の忙しさが良くわかった。


カーテンで仕切られた部屋に入ると、手術の時のことを簡単に話してくれた。

術前に予め腫瘍は採取後、万が一のことを考えて癌細胞であるかどうかの病理検査に出してもらえるとの話だったのだが、その結果も「陰性」と聞いて、ひとまずホッとした。


先生の説明が終わり病室に戻ってしばらくゴロゴロしていると、いきなり白衣の教授先生が若い先生達をぞろぞろ連れて病室に入ってきたので、驚いた。その光景はまさに、あの、白い巨塔で見た「財前教授の総回診です」ってやつだ。


私は教授先生の患者じゃないから関係ないだろうな。と思って見ていると、私の所にもやって来て付き添いの女医さんが「こちらはKateさんです」と紹介。教授先生に「気分は良いですか?」か何か言われたので驚いて「はい、おかげさまで」と答えた。


どうやら先生は予め入院患者全員の病名か何かを全てチェックしてから回診に来ていたようだ。

産科・婦人科でいったい何人入院しているのかわからないが、すごいなあと思った。


それに1週間も入院するなんて生まれてはじめてのことで、もし1日でも早く退院していたらこのTVのような光景は見られなかったんだろうなと思ったら、ちょっと徳した気になった。



先生が部屋を出た後、同じ病室の窓際のおばさんが「回診するって放送なかったわよね?」と私に尋ねるので「はい、なかったですよね。びっくりしました」と答えたら、おばさんが「そうよね。いつもは放送があるんだけど。私もびっくりしたわ」と言った。



入院していて気がついたのだけど、元気そうに話していても、窓際の患者さんたちは長期入院の人たちなのだ。それに通路側の患者さんたちも、看護士さんが頻繁に来る必要がある人たちだった。真ん中は長くて1週間前後の患者さん。おそらくどこの病院も、そんな風にしているんじゃないかと思う。



同じ部屋には「聞いて良い?あなたは何の病気で入院したの?おばさんはね・・・。」なんて話してくれる島根出身の優しいおばさんがいて、この人のおかげでずいぶんと気持ちが楽になった。いろいとな人と、話せば話すほど、同じ病院に何度も入退院を繰り返している人が多い事を知った。それに、若いのに癌で手術を受けた人もいた。



他の病室にもやはり癌で子宮摘出手術を受けた人がいたのだけど、その人との初対面の出来事はと言えば、廊下を歩いていた私に彼女の方から優しく話しかけてくれ、そして明るく自分の病気のことを話してくれたので、こちらが驚いてしまった程だった。

私は、手術までの一年間をさも自分ひとりだけ辛いような気になって、孤独なんだとさえ思っていた。術前の閉経用の注射の副作用では、ちょっとした事でイライラして余計疑心暗鬼になったり、それはそれは酷いものだった。


みんな生きるため、今より少しでも元気になるために、決意してここへやってきて手術や治療を受けている。

ありのままを受け入れているからこそ、彼女たちは自分にも、他の人にも優しくなれるのだと気づいた。


私はこの手術で、体の腫瘍だけじゃなく、心にあった悪い塊もすべて取り除いてもらったのだと、身を持って感じていた。