私は車の運転が苦手で、常にペーパードライバーの一歩手前をウロウロしています。
免許を取ったのは子育てが始まって、必要に迫られて。
当時2歳の娘を教習所の託児所に預けながら、がんばって取得しました。
最初の頃は、翌日運転すると思っただけで胃が痛むレベル。
さすがにだんだんそういうことはなくなりましたが、苦手意識が消えるということはなかったです。
娘のために取った免許ですが、どちらかと言うと母の通院や、父のお見舞いに活躍したなぁ。
娘の子育てに関しては、案外運転が必須という場面が少なくて、夫が運転を苦にしないのをいいことに、任せることがほとんどでした。
しかーし、先日ついに私が運転するしかない日が訪れました。
娘がバイト先に朝6時に行かなければならないというのです。
夫は早朝なのに出かけていて不在(ジムです)。
普段はバスで15分なのに、その時間帯だと電車を乗り継いで小一時間かけて行かなければならず、これは車で送る以外の選択肢はありますまい(←言葉遣い😂)。
私の場合、みるからに危険運転というのではなく(それは怖いわ)一見普通に運転、でも本人は内心ガチガチに緊張、みたいな感じです。
ちなみに車内では音楽も気が散るのでかけず、(操作がわからないので音量をゼロにする)、シーンとした中で
「大丈夫、人いない、人いない」
と呟きながら運転するので、娘はコワイそうです。
さて、娘を無事に送り届け、手を振って見送り、問題はこの後です。
元の道に戻るためにどうするか。
どこかで右折または左折を2回すればいいのですが、私はいつもかなり離れた交差点まで行ってから右折していました。
ところが先日はちょうど私のすぐ前に、同じくお子さんを送ってきた車がいて、私より先に発進していきました。
…私より後から来たのに。
そうなんです。
いつもモタモタしていて出遅れるんです私。
しかもその車、目の前の道を右折して、すぐにまた右折して行きました。
あれっあんなところに道あったんだ。
いやよく考えたら知ってた。
なのに私ってば、かなり先の信号のある交差点まで行かなければならないと思い込んでいました。
だったら自分もその車について行けばいいものを、咄嗟にそんなことできないんです。
曲がるなら曲がるって早めに心の準備をしておかないと。
しかも右折だし。
結局いつもの交差点まで仕方なく車を走らせる私。
あの人すごいなー!(たぶんそこまですごくない)と心の中で褒めたたえながら。
そして後で夫に、その人がどの道をどんなふうに曲がって行ったか、自分がどの道を通って帰ってきたのかなどなど詳しーく報告しひとしきり盛り上がったのでした。
でも私思ったんです。
もし私が運転苦手じゃなかったら、こんな出来事はサラッと流して終わりでしょう。
わざわざ離れた交差点まで行かず、前の車を真似して右折しようと思ったらすぐにできてしまって、それでおしまい。
ところが苦手なばかりに、心の中は、
「こんな道があったのか‼️」という驚き
↓
「ここで曲がればよかったのか‼️」という深い気づき
↓
スラスラ右折していった前の車に対する尊敬
↓
「できることなら自分も曲がりたい‼️」という焦り
↓
「でも自信がないし、運転時に無理は禁物だし…」という葛藤
↓
「やっぱり自分には真似できない」という諦め
↓
結局いつもの交差点まで来てしまった…という絶望
こんなにいろんな感情を持つことができて。
なんかすごいですよね。
むしろお得なのでは?とまで思ったのでした。
感情はネガティブなものであっても、味わってナンボ。
それが経験になるし、心を耕してくれるんですよね。
得意なことは、場合にもよりますが、半ば自動的にできてしまってそれ以上深まらないことも多いかも。
苦手なことって苦しいけれど、中にはいろんな豊かな種が眠っているんだなと改めて気づいたのでした。
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