意味不明なタイトルで、あいスイマセン。

ようは、地味な男になりたいということです(笑)

というのも、僕の周りは個性はぞろいで、もはや僕自身の個性なんて主張する気にすらならないww

世の中には、おもしろい人というものはたくさんいるものですね。

前々から気付いてはいたことですが、

本日ただいま、「地味な男」路線を貫いていこうと心に決めました。

それは自らの個性を捨てるという意味ではないので、あしからず。

あくまでも「地味な男」というのを貫く方が、個性的な状態になってしまっているというわけです(笑)

たぶん僕のことをよく知らない人がこの日記を読むと???でしょうが、僕の周りはガラパゴス諸島並みに多種多様な人間で埋め尽くされているのです。

なので、そうした環境で自分というものを出していくには、あえて「自分殺し」をするしかありません。

個性を殺すことで、個性を活かす。

なんか昔と比べて、一回り成長したような気がします。

ぜったい5年前なら、「おれが、おれが」って何にでも首を突っ込みたがっていたと思います。

かしこくなったなオレ(笑)



「地味」って言葉、意外と僕は好きなんです。

なんかこう、素材そのものの持ち味が生かされているみたいで、華やかさはないけど安心感があるような気がしますね。

華やかな男と言われるよりも、地味な男だと呼ばれたいですね。

「フツ―」っていうのは、今の僕には最高の褒め言葉なのかもしれませんwww

僕の隣に誰かが経つことで、その人が華やかに見えるような男になりたい。

花があったら、僕は花瓶になりたい心境です。

花瓶というものは個性的である必要はありません。絵柄や模様もいりません。

花瓶の役目は、たくさんの花に満たされることにあると思います。

褒められもせず、苦にもされず、けれども無いと困るような存在(笑)

地味な男を貫くというのも、男の生き方としては悪くないと思います。
吉田松陰は言わずと知れた、幕末を代表する思想家である。

彼の興した松下村塾からは、幕末そして明治を支えた多くの門下生が輩出されている。

有名どころでは、高杉晋作、久坂玄瑞、山県有朋、伊藤博文などである。

為したことの大きさに比べて、

なかなか吉田の功績が大きく称えられることは少ない。

実際に、僕自身も彼の著作はこれまであまり読んだことがなかった。

なので読んでみました、『留魂録』(りゅうこんろく)を。

これは吉田の遺書をまとめたものだが、全体としては5,000字におよぶ小冊子である。

『留魂録』を読むと、吉田の人となりがよく分かる。

僕の読後の感想をムダにのっけるよりも、みなさんもぜひ原文の意味を味わってほしいと思う。

以下、抜粋。

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身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留置まし 大和魂
(みはたとい むさしののべに くちぬとも とどめおかまし やまとだましい)


親思ふ こころにまさる 親ごころ けふの音づれ 何ときくらん
(おやおもう こころにまさる おやごころ きょうのおとづれ なんときくらん)


死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし
生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし


立志尚特異 (志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない)
俗流與議難 (世俗の意見に惑わされてもいけない)
不思身後業 (死んだ後の業苦を思い煩うな)
且偸目前安 (目先の安楽は一時しのぎと知れ)
百年一瞬耳 (百年の時は一瞬にすぎない)
君子勿素餐 (君たちはどうかいたずらに時を過ごすことなかれ)


大器をつくるには、いそぐべからずこと。


平凡で実直な人間などいくらでもいる。
しかし、事に臨んで大事を断ずる人物は容易に求めがたい。
人のわずかな欠陥をあげつらうようでは、
大才の士は、もとめることが出来ない。


学問ばかりやっているのは、腐れ儒者であり、
もしくは専門馬鹿、または役立たずの物知りに過ぎず、
おのれを天下に役立てようとする者は、よろしく風の荒い世間に出て、
なまの現実を見なければならない。


人間には精気というものがあり、
人それぞれに精気の量は決まっている。
この精気なるものは抑制すべきである。
抑制すればやがて溢出する力が大きく、ついに人間、狂にいたる。
しかし、おのれの欲望を解放することによって、固有の気が衰え、
ついに惰になり、物事を常識で考える人間になってしまう。


至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり。


人を信ずることは、もちろん、遥かに人を疑うことに勝っている。
わたくしは、人を信じ過ぎる欠点があったとしても、
絶対に人を疑い過ぎる欠点はないようにしたいと思う。


悔いるよりも今日直ちに決意して、仕事を始め技術をためすべきである。
何も着手に年齢の早い晩いは問題にならない。



末の世において道義を実践したならば、
必ずその時の人々から、極端だといわれるであろう。
もしまた、世人から極端だと いわれるくらいでなければ、
決して道義ではないのであって、すなわち世俗に同調し、
濁った世に迎合したものにすぎない。



賞誉されて忠孝に励む人は珍しくない。
責罰されてもなお忠孝を尽す人物こそ、真の忠臣孝子である。
武士たるものが覚悟すべきこと、実にこの一点にある。


成功するせぬは、もとより問うところではない。
それによって世から謗(せんぼう)されようと褒められようと、
自分に関することではない。
自分は志を持つ。
志士の尊ぶところは何であろう。
心を高く清らかにそびえさせて、
自ら成すことではないか。


人間たる者、
自分への約束をやぶる者がもっともくだらぬ。


今日の読書こそ、
真の学問である。


思想を維持する精神は、
狂気でなければならない。

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「兵は拙速を貴(たっと)ぶ」

有名な孫子の中の言葉であるが、この言葉自体は8世紀に桓武天皇の勅書の中で述べられている言葉だ。

今の意味で当てはめるならば、「物事を進めるときは、あれこれこだわって遅くなるよりも、多少駄目な部分はあってもスピードを優先させる方が良い」ということになる。

巧遅拙速という四字熟語もここからきている。

戦争において巧遅よりも、拙速が尊ばれるのは戦争は短期決戦の方がいいからである。

戦争がだらだら長引けば、兵士の士気も下がり、食料も無駄に消費してしまう。

たとえそれで戦争に勝ったとしても、国力が低下しているため、最悪の場合は国が亡びる原因となってしまうだろう。

ことビジネスの世界でも、スピードが優先されることは言うまでもない。

「後で、後で」と言っていては無能だと見られかねないだろう。

まぁ、僕は超アナログ人間なのでもっぱら「巧遅型」の人間なのだけど(笑)、やっぱりビジネスの場においてはそんな甘いことを言ってはいられないので、スピード感を重視しています。

よく考えて行動する必要はありますが、攻めることで生まれてくる勢いというものはあるものです。

攻撃は最大の防御というのは、そうした意味のことだと感じます。

「勝って、流れを作る。そのためにはまず、勝たなければならない。電光石火の勢いで」

ちなみに電光石火という言葉は、石と石を打ちつけたときに出る火花の様子を表した言葉です。

石どうしを打ちつける前は何も生まれないものですが、絶妙なタイミングで打ちつけたときに火花が飛びます。

そうした一瞬の火花をどう見るかで、人生というものはあんがい決まってくるものなのかもしれません。

働けるときはとにかく働くことです。

素直な気持ちとして、僕は働くことが好きですね。

それは仕事人間とかそういうことではなく、僕が何か事をなすことで誰かの暮らし向きが良くなるということに例えようのない喜びを感じるからです。

世の中の大半の人はお金を稼ぎ、それをどう使うかということに重きを置いているような気がします。

お金というものは使うことよりも、もらうことの方が本来的には面白いものです。

「働く喜びを知っている」人はそれだけで、人生をいきいきと過ごすことができるような気がします。

学校や塾の教育のざんねんなところは、こうした働く喜びを体験できる場が少ないということですね。

職業体験というものがありますが、あれに関しても働きに応じて給料を子どもたちに渡したらいいと思います。

自分の行いが誰かのために役立ち、そのお礼としてお金をいただく・・・一連の流れの中でしか、お金の価値、そして働くことの意義というものは見つかってこないと思います。

働く意味を知ることで、広い意味での勉強にも身が入るというものです。

働くということは、とても自然な行為です。

人間が有史以来、ずっと行なってきた行為です。

ニートの問題を解決させるためには、「働くことの喜びを見い出させる」ことにあると感じます。

それは今すぐでなくても、いいのです。

親の財産を食いつぶすまで、ニートの人は働かなくてもいいと思います。

けれども、もったいないなー。

働くことはこんなに楽しいのだと、もっと僕たち大人は子どもたちに対して、声を大にして伝えていかなければならないと感じます。

いや、言葉で語る必要はないかもしれません。生き生きとした表情で仕事をしていれば、自然と子どもたちも将来に対する希望を持つことができるでしょう。

「早く大人になりたい」、そう思える子どもが多いことが本来的な国の強さだと思います。

僕はただの塾の先生にすぎませんが、それでもこの生涯を通じてできることは無限にあると感じています。

そうした可能性は何も、バカみたいな夢想をしていた10代の頃とはあきらかに違うもの。

僕の身の回りから変えられることは、あんがい多いものだと最近とくに感じます。

子どもたちから尊敬される大人になりたいですねー。

だからこそ、働くことが喜びなのかもしれません。

今はとてもじゃないが立ち止まっている時ではない。

電光石火の勢いで、ばりばり働き、事を成したい。

そして、その先に見えてくるものを自分の目で確かめたいと思っています。
何をかって?朝のバイトをです(笑)

みなさんご承知の通り、クソ忙しいにも関わらず何と3年10ヵ月も朝のスーパーで働いていました。

塾に勤めて正社員になり、東京勤務になってからも辞めませんでした。

会社の経営を手伝うようになってからも、辞めませんでした。

祖父が亡くなり、兄が倒れてからも辞めませんでした。

友人から本気で健康を心配されて罵倒されても辞めませんでした。

ライターのレギュラーが月8本になってからも辞めませんでした。

自分が本当に好きなことを追求するため、2回目の大学に入ってからも辞めませんでした。

竜馬さんじゃないけど、「わが成す道はわれのみぞ知る」ってやつです。

今回辞めるのに関して、直接的な原因はありません。もはや、もういいだろうということです(笑)

もちろん月末にデザイン事務所を立ち上げるのも理由ではあります。

時給がかなり良かったというのも上げられますが、たぶんどこまで自分の限界を突き詰められるか知りたかったんでしょうね。

てなわけで、本日朝のバイトは退職いたします。関係者の皆さん、本当にお世話になりました。この場を借りて、感謝申し上げます。

まぁ、これで付き合いが終わりというわけではないので、引き続きお願いしますね

しかし、バイト辞めたら僕すごいでしょうね(笑)

なんせ週4で入っていたので、それだけの空き時間ができると思うと、もはや無敵です(笑)

ここで楽をすることもできますが、30歳に向けてあと3年は走り切りたいと思います。

もちろん、それで終わりにはしませんが当面は、これまで種まきしてきたことに集中します。

さて、新たな一日が始まります。きっと今日からは、また少し見える世界が違ってくるのでしょうね。

これまで以上に、がんばりますよ!
うちには物置きと化している和室があるのですが、

いい加減、整理しようと決めました。

なので、この機会に書斎にしてしまおうかと思っています。

なかなか腰の重い僕なので、これまで思ってはいたものの、なかなか行動に移すことができませんでした。

この間、なりゆきで整理収納のセミナーにも行ったことだし、少しは実践しなければと感じます。

とは言っても物を捨てて片付ければ、それほど散らかっているというわけでもないので、もくろみ通りにいきそうな気がする。

とにかく仕事部屋と、原稿と読書に集中できる書斎に分けて、時間の効率化を図りたいと思います。

しっかし、おれは一体何千冊の本を持っているのだろう。

これを整理するのが容易ではない。

ここで地震にあったら、確実に死ぬわ。

一種の防災対策というやつです(笑)
実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな。

謙虚であることを戒めた格言だが、年長者から言われるとなかなか重みのある言葉である。

個人的に20代での成功なんて、まぐれだと感じている。それはもちろん自分も含めて。

だからこそ、人は謙虚でなければならない。

身近な人である芸能プロダクションの社長さんは、この言葉を大事にしているそうだ。

社会的に成功を収めている人から言われると、なんだか背筋がピリっとなってしまう不思議。

人間、おごり高ぶってしまったら終わりだと思う。坂道を転げ落ちるように、運にも見放される気がする。

20代はすくすくと育つ青い稲のようでありたい。

太陽に向かって、まっすぐと伸びていくような毎日を送りたい。

少し成長が早くて、20代の時に成功を手にしたとしても、

得られた成功は周りに分け与えて、自分は身軽になりたい。

謙虚さとは、人に譲ること。周りを立てること。

パナソニックの松下幸之助氏も言ってたっけ。90歳になった時に。

「実ったら、得られた米はくれてやれ」(笑)

いつまでも謙虚な人間でいたいもの。

周りの人あっての自分だと強く感じる。

だからこそ、僕の能力を周りの人は最大限に使ってもらいたい。

そこに僕自身の成長があるのだから。
僕は人あたりの良い人間らしい。周りの人からは、よくそう言われる。

けれども、僕も27だし誰にでも良い顔をしているというわけではない。

それは表と裏の顔があるというわけではなく(笑)、やはり嫌いな人間がいるということである。

僕が毛嫌いする人のタイプは、

1.「中途半端な優しさを見せる人」

2.「頭が悪いがゆえに、嘘をつく人」

3.「人の善意につけ込む人」

はっきり言おう、人間として最悪である。僕はそういう人とは絶対に関わりたくないというのが本音。

そりゃまぁ、社会人ですし組織にいれば、そういった人間は少なからずいます。

苦手な人と会話するのが、本当のコミュニケーション能力だということも分かってます。

けれども、上にあげた3つのタイプの人とは関わり合いになりたくない。ましてや、友達は絶対に無理だし、異性だとしたら「最悪の女」だと唯一ののしるタイプである。

2,3番はどちらかというと女性に対してかな。こういうタイプの人とは絶対に付き合えまへん。

1番は男性に対して。中途半端な優しさを見せて投げ出してきた男どもを何度見てきたことか(笑)

そして、毎度尻拭いをさせられるのはオレ(笑)自分でも相当お人好しだと思うが、それが自分の友人であれば仕方がないだろう。相手もあることだし。

ただ、尻拭いが終わったら、そいつとは確実に友達をやめるけどね。

中途半端な優しさというものは、相手のためにも自分のためにも一番ためにならない。

いったん手を出すのなら、それこそ心中する覚悟がなければ。そいつが死んで骨を拾うまで面倒を見れる覚悟がなければ、うかつに手を出すべきではない。

こう書いていて、実際に骨を拾うまで面倒を見たヤツがいるので笑えないのだが(笑)

成り行きで手伝うことになって、自分の手に負えないのなら、はっきり面倒を見きれないというべきである。

それが男の最低条件ではないだろうか?

僕は好き嫌いがはっきりとしているタイプなので、恨みを買うことはある。でもだからこそ、無二の親友も得られる。

もう27だし、最近では人から陰口たたかれてナンボかなーって心境である。陰でも噂になっているなんて嬉しいかぎりである(笑)

ただ、そういう人に一言だけ言いたいのは文句があるのなら、面と向かって言うべきである。

隠れてこそこそ誰かに言うのは、卑怯者のすることとは違いますかね。

そんなに自分の価値を落として楽しいのかな(笑)頭悪いなー

人間として大事なことはただ一つ「誠実であること」

僕なら、こう答えます。

人間はいろんな間違いを犯します。いろいろ物事には理由というものもあるでしょう。

でも最終的には人と人の関係。

誠実に接しなければ、愛想を尽かされるのは当然の報いなのですよ。

とまぁ、なんか荒れた内容になってしまったけど、別に何かあったわけではないので身近な人はご心配なく。

なんというか日々の雑感です(笑)

さて、今日もはりきってがんばりましょー
自分と真剣に向き合うことで生まれてくるものを大切にしたい。

誰かに答えを求めるのではなく、自分自身が生み出す答え。

それが僕の生きる道。
あと10才くらいは年をとりたいものです。

早く専務の威厳がほしいのです(笑)

とくに人事の面では、やはり20代の専務というのは、ちょいと風格が足りないなと感じます。

完全に愚痴なんですけどねwww 別に今の立場を投げ出すことはしません。

ただ、他人から自分がどう見えているのかということは意識しておかないといけないものですね。
人からの応援というものは、やはり励みになるものである。

その人が置かれている環境が孤独なものであれば、なおさらだろう。

こういうことを感じたのは、高校時代の応援部・・・ではなく、大学に入ってからだろうか(笑)

僕の周りには、なぜか助けを求める人が多く集まるもので有形・無形の支援って、これまでいったいどれくらいしてきたのだろうーってくらいに、支援してきました。

口先だけで「がんばって!」と言うこともあったり、一緒に暮らして全面的に支援するということもあったり、なりゆきで専務になるということもあったりと、まだまだ先が見えない(笑)

でも結局、誰かを応援するのって大きく分けて2つの理由があると思う。

1つは純粋にイイ奴だから応援したいというもの。

そしてそういうヤツにかぎって、運はないし・評価されていないし・金がない(笑)

けれども、志だけはあるといった感じ。男でも女でも。老いも若きも。

やっぱり、こういう人が一番放っておけないのは今も同じかなー。

もう一つは、そいつと関わることでなにがしか自分に成長するところが見受けられる場合だろう。

一緒にいて堕落していく関係は、恋愛だけでいいような気がするwww

どこか足りなかったり、欠けていたりするところがあるからこそ、人は力を合わせるもの。

たぶん、そうした気持ちの延長が今の事業活動につながっているのでしょうね。

僕だって人間ですから、この両手で支えられる人間にはかぎりがあります。

もちろん、全力は尽くしますがだからこそかぎりがあります。

一人で支えるよりも、多くの人が支え合う仕組み・・・それが組織というものではないだろうか、

と考えたのは大学生活も終わりの頃。ちなみに学部は法学部でしたが、僕の学科は行政学と経営学を足して割ったような学科でして、ようは組織管理を学ぶ学科でした。

組織とは人のためにあります。人が組織のためにあるかは、その組織にもよりますが、仮にそうなれば素晴らしいことなのかもしれません。

多くの人が支え合う仕組み、言ってしまえばそれは国でも、会社でも、NPOでもいいわけです。

けれども、僕は国を建国するわけにはいきませんので(笑)、会社経営を選択しました。

事業を通じて、仕事を作り、人を育てて、地域の役に立つ。

僕の中では「応援する」というのは、一つの人生のテーマになってますね。

応援の極意――それはすなわち、人を信じるということに尽きると思います。ちょっとでも、その人のことを疑えば、心からのエールというものは送れないものです。そして心からのエールでなければ、相手も敏感にそのことを感じとってしまうことでしょう。

さてさて、くだらん日記を書いてないで原稿をやらねば。

締め切り前だというのに、今月もやってしまった(笑)