近々、雑誌の取材で再度、東北の方に行くことになりそうだ。

震災から3カ月といっても、被災地の状況は全体から見れば悪化しているように思う。

これから夏を迎えるが、暑さや台風などの影響が心配だ。

なんかネットの中では今日地震が来るとか騒いでいるけど、相変わらずね(笑)

復興に向けてできることを一人一人がやっていく。

ちょうど3カ月前に不謹慎という言葉が流行ったが、

おちまさと氏の言葉を借りれば、この不謹慎という言葉も変な融解をたどっているように思う。

ギャーギャー騒いで何も行動しない人は、3.11以前の日本に戻りたいという気持ちが少なからずあるのかもしれない。

被災地の復興とは直接関係ない人は僕も含めて、経済活動に精を出しましょう。

個人個人が、自分の仕事を一生懸命にやることがひいては復興後の日本を引っ張っていく原動力になるのです。

東電や政治の批判をしている時間があったら、自分の仕事やプライベートの時間を思いっきり過ごしたいと思います。

ちなみに今月28日の東京電力株主総会に株主として出席しまーす。

僕は単純に原発を廃止しろ!という人間ではありません。

むしろ、僕個人としては東電株主みずからが法的整理を提案し、株主責任を負うべきかなと思っています。

そのへんは長くなるので、また今度書きますね。
僕は完全に「左脳型」です。

どうしても、あらゆるものごとに筋道を見つけようとするクセが昔からあります。

原因や結果にこだわるタイプなのかもしれません。

理屈っぽいので煙たがられるところもありますが、組織型の人間ですね。

それと意外とフリーランス向きです。どんな時でも、自分というものをしっかりと保っていられますからね。

そしてもちろん、右脳型の人間が考えていることはまったく理解不能です(笑)

いや僕だって物書きですから、感覚的なところはあります。

まぁ、なんというか感覚:理屈が1:9ぐらいの割合なのです、僕は。

人や物事を好きになるはさすがに感覚ですが、それ以外のことはおそらく理屈で考えているような気がします。

そして池袋の会社は、右脳型人間の巣窟となっております(笑)

毎日、エイリアンを相手にしているようなものです。ほんとに理解不能なことが多いwww

まぁ、それがとっても楽しいんですけどね。昔から僕が好きになる人って、僕と正反対の人が多かったですし。

ただ断言できるのは、けっして影響されることはないでしょう。もちろん、良い意味で。

あえて僕と対照的な人がそばにいることで、自分の長所や短所を痛いくらいに見せつけられます。

ほんと痛いほどに。

だから、池袋の会社やオーズにいるメンバーは僕にとっては、かけがえのない人たちですね。

一人も余すことなく、全員が。

みんなの成長がなければ、僕自身の成長もそこにはありません。

今年はみんなにとっての正念場。全員そろって、何が何でもやりきりましょう!

全力でやって駄目なら、それはそれで道は開けてくるもの。

ただ今年がんばらなければ、全員沈没だと思います。

仲間がいるということは、馴れ合いとは違います。傷のなめ合いは他のところで気の済むまでやりましょう。

ほんとにスゴイ仲間や友だちというものは、自分も成長していかなければ、いつまでも仲間や友だちではいられないもの。

それは何も実績の大きさのことを言っているわけではありません。

成長のポイントというものは人それぞれなので、自分の中で成長があればいいのです。

ただ、それは単なる自己満足であってはいけませんが。

全員が一つになって同じ方向を向いている時って、すごいエネルギーがわき起こってくるもの。

2011年ももうすぐ後半戦ですが、今年はホントに忘れられない年になるでしょうね。

来年も、そして再来年も。

まだまだ、人生はここからが本番です!てなわけで、今日も全力でがんばりまーす
瞬間最大風速的に強気な気持ちが起こっても、もう次の日には弱気になっていたりするもの。

興味深い本を読んだ、スゴイ人に出会った、ライブに行ってテンションが上がった等々。

気持ちというものは持続しないものである。

これは誰にでも経験のあることだろう。

自分を変えるためには、高まった気持ちを早い段階で行動に変えていく必要がある。

当たり前のことだけど、気持ちが変わったくらいで人生は何も変わらない。

自分の将来というものは、自らの行動でしか変わらないのだ。

行動をためらってしまう人が共通していうセリフ、「自分に自信がない」

でも、よく考えてほしい。初めから自信がある人なんていないものだ。

いや、いるって?そう、いますね。

そうした人は、『ハッタリ』の自信を持ち続けているにすぎないんです。

それは何でもないことのように思いがちですが、両者には決定的な差があります。

現実と理想とのギャップに苦しんでいるくらいならば、

ハッタリでも自信を持つことが大事です。

ハッタリの良いところは、それが全部ウソだということにあります。

けれども、ウソはウソであるために現実との矛盾がないのです。

たとえば僕が「年商1兆円の会社をおこす!」と豪語したところで、いったい誰に迷惑をかけるでしょうか?

「一番売れる作家になる!」「日本一、生徒のあふれる塾を作る!」誰にも迷惑をかけるものではありません。

ハッタリのような自信は、どうせ最初からウソなんだから、今の自分を取り巻く現実がどうであろうが堂々としていればいい。

物事の始まりというものは、演技だと僕は思いますね。

刑事を演じている役者が、演技の最中に「おれって、本当は刑事じゃなくて役者なのになぁ」なんて、ためらったりしないものです。

本当の自分が刑事じゃないのは分かっています。

そして別にこれは、お客さんをだましているわけではありません。

それと一緒で、「年商1兆円の会社を作る」と豪語し、自分が自分の理想を演じてみる。

それによって、次第にオーラというか雰囲気というものが出てくるものです。

自分が変わることで、会社も繁盛してくることでしょう。

そうなれば、最初はハッタリだったことが本物になっていく―――

『Fake it until you make it !』

訳をするとすれば、「最初は誰でもニセモノ。けれども、ハッタリが本物になるまでは、いつまでもずっと演じていればいいんだよ!」といった感じです。

どんなにスゴイ人に、親友に、恋人に、家族に相談に乗ってもらったとしても、最終的に自分の生き方を決めるのは自分自身。

何か目標があるのであれば堂々とフェイクし、自分のあるべき姿(理想)を追い求めるべきではないでしょうか。

人生というものは、ハッタリ野郎が最後に笑うものです。

あくまでそれは人に対してではなく、自分に対してハッタリをつくということです。

自信がないなら、自信をつければいい。

自信がない人は、なぜ自信がないのか?―――それは、自信がないからです。

自信がないという自分を「現状維持」しようとしている。

それでは何も変わらない。

貧乏な人がなぜ貧乏なのか?それもまた、貧乏な状態の自分に甘んじているからに過ぎません。

どんなに綺麗事を並べ立てたとしても、成功したければ努力するしかありません。

気持ちも大事ですが、あくまでも行動でしか自分の未来も過去も変えることはできないもの。

しばらくは僕も、そうした生き方をしていくと心に決めています。

もうすでに、かなりのハッタリ野郎かもしれませんが(笑)

Fake it until you make it !
今日は半日OFFという感じだったので、久しぶりに買い物行ったりしました。

というのも、駅に向かうはずのバスを乗りちがえてしまったため、成り行きでプチ旅行といったことになったのです。

単に駅前の郵便局に用事があっただけなのですが。

途中でバスを降りてもよかったんですが、何か気分的にそのまま乗っていたい気分でして(笑)

昔から、ちょっとした放浪癖があるのは今も変わらないといった感じです。

てなわけで、今日は大宮と川越を散策していました。

大宮は1年ぶりくらいですねー、以前教え子に会って以来でした。

日大の法学部は1年次は大宮のキャンパスだったので、やはり懐かしい街です。

大宮ではブックオフに行ったり、ジュンク堂に寄ったり、スタバでコーヒーを飲んで、大宮駅前の大道芸を見て、ひさしぶりにCDをバカ買いしました。

あと、川平慈英の兄を見かけましたね。慈英と似ていて区別がつかない(笑)

大宮での用事を済ませて、埼京線で川越に。

基本的にこういったときの移動時間は、僕は何もしません。

ぼけぼけと考えるのが好きなんです。

なんとなく、これまであったことやこれからのことを考えたりしていました。

そして川越到着。ここでもCDをまず探しました。同じくバカ買い。

それから、まだ食べたことない埼玉銘菓「十万石まんじゅう」を探しに川越のまるひろへ。

いやー、普通のまんじゅうだということは分かっているのですが、一度食べないと気が済まないものってあるじゃないですか。

そして探した結果、見つからずに断念。なんか僕の中では幻の銘菓になりつつありますねwww

次こそは必ず食べたいと思います。

それから帰宅して、夕飯の買い物にいったり、相方とあれやこれやと話したり、買ってきたCDを聞いたりしてこの時間です。

今日は脳内アドレナリンが出まくりなので、これから作品づくりいそしみます。

最近は文章表現について考える機会が多いので、そのあたりのことを踏まえつつ書き散らしていきたいと思います。

いちおう応募作品なので、僕の近くにいる人にしか見せられないのが残念。

影響のないものはここにもアップしたいと思いますので、がんばりまーす。

意外と作品作りって力技なのです。

一気に書き上げるぞ!
たぶん5年前だと、想像つかなかっただろう。

僕の今の収入の中で一番を占めているのは、「原稿料」と「印税」です。

なので、世間的には別に作家と名乗っても問題はない。

がむしゃらにやってきましたが、いつの間にかペンでメシが食えるようになっていたのですね。

5年前にいきなり、某小説家の先生に弟子入りしてから僕の表現者としての人生は始まりました。

でも、まだ作家とは名乗らないですね。

だって、まだ自分が納得する作品を書き上げていないのですから。

そういう意味では、僕が職業・作家だと名乗る日は来ないかもしれません。

あくまでもそれは、自分の生み出す作品に対してですが(笑)

さてさて、今月はとうとう方山敏彦文芸事務所は法人成りをします。

個人事業主の廃止届をしにいかんと。

今月末にはイラストレーターとライターの制作集団を取り込んで、オーズ株式会社を発足させます。

仕事の幅が格段に広がりますねー。

文章に関しては、川上から川下まで対応できるのがウチの強みですね。

制作→編集→印刷→流通・販売まで一貫して取り組んでいきたいと思います。

従来の出版社やプロダクションの形にとらわれない事業展開をしていきます。

とりあえずやりたいのは、「出版」「電紙新聞」「フォント・デザイン」ですね。

出版というよりも、形としてはIT企業と言った方が適切かもしれません。

幸い多くの仲間にも恵まれて、日本経済の末端にオーズは産声をあげられそうです。

これからは一人の表現者として、もっと成長していかないと。

たくさんの仕事を生み出す会社に育てていければと思っています。

何事も初めが肝心。ようやく会社の方針も固まりましたので、あとは全力で突っ走るのみです!

オーズ(OTH)の名前の由来は、「over the hill」(丘の向こうに)という言葉からきています。

僕の相方がつけてくれました。

あの丘を越えた向こうに何があるのか・・・・・・それが荒野だろうが、大海原だろうが、宝の山だろうが何でもいいのです。

オーズの目的は、丘の向こうを越えた先を見てみたいという衝動のような欲求だけなのですから。

「果てしなく先を求めていく探究心」、それがオーズの心臓だと言えます。

知りたいという気持ちがあれば、人間というものは放っておいても前に進むものです。

たとえ先にあるものが絶望であったとしても、それを知ることは喜びなのです。

一人では耐え切れない苦しみかもしれません。だからこそ、仲間と共に会社を築く意義があると思っています。

探究心という、人間としてのむき出しなまでの本能を大事にする会社の出産予定日が迫っています。

会社というものは、わが子のようなもの。

たくさんの人に見守られながら、親の愛情を一身に注いで次代に残る会社として自立させたいと思います。

僕にとって、オーズは理想であり、希望そのもの。

だからこそ、あらゆる困難を受けとめる覚悟ができるのでしょう。

子育てと一緒ですね。夫婦になるのに覚悟はいりませんが、親になるのに覚悟はいるものです。

オーズはこれから生まれる赤ちゃん会社ですが、全力で育てていこうと決意を新たにしています。

みなさん、温かく見守ってください。

完全に親バカですね(笑)
自分で行かなければならない。

何が言いたいかというと、人間にはどうしても代わりにやってあげることができないものもあるということだ。

他人の代わりにトイレに行ってあげることはできない。

これは絶対的な真理である。

僕が教えている小学生で、すぐに答えを聞きたがる子がいる。

自分で解かずにあまりにしつこく僕に答えを聞きたがるので、

あるとき逆に尋ねてみた、「何でそんなに答えを聞こうとするの?」と。

その子は答える、「だって先生答えを知ってるじゃん」

ようはその子の言い分からすれば、答えを知っている人がいるなら、その人に聞けばいいというものだ。

たしかにそれは一理あるし、とても正直な子だと思う。

「でもね、○○くん。総理大臣でも自分でおしっこに行かなければならないんだよ。人間には必ず、自分でやらないといけないことがある。別にテストで100点をとることが大事なわけじゃない。キミががんばって勉強して、満足のいく結果が出なかったとしてもそれはとても価値のあることなんだよ。人から与えられた100点と、自分でがんばった50点どっちがいい?」

その子は即答した。

「100点!」

・・・・・・・・・いや、そういうことじゃないんだよね(笑)まぁ、いいや。教育とは時間をかけて教えていくもの。無理に子どもを導こうとしてはいけない。

この子もいつかは、僕の意図するところをくみ取ってくれることでしょう。

教育の目的は昔からただ一つ、子どもたちの自力をつけることにあると思う。

大人になれば、当然のことながら教科書通りにはいかない。

言ってしまえば、学校や塾でやっていることは茶番劇なのかもしれない。

だからこそ、思いっきり失敗もできるのである。

今自分の目の前にある課題を子どもたちには乗り越えていってもらいたいですね。

物事というものは後回しにできるものではない。

一年生の勉強は一年生の時にやらなければ意味がないもの。二年生の時にやっても仕方がない。

たとえ満足のいく結果が出なかったとしても、目の前の課題に全力で取り組むことに教育の価値があるのだろう。

子どもたちが考えて行動して、考えて行動して・・・どうしようもなくなった時に、教師がそっと手を差し伸べる。

そうすることで、子どもというものはやる気を失わずにがんばれるものである。

教育者に適性があるとすれば、それは忍耐強いことであろう。最初から子どもに手を差し伸べてはいけない。

最初から何でも大人がやってしまうと、子どもたちは自分でやる意味を見失ってしまう。

大人というものは、たとえ子どもが泣き出したとしてもぎりぎりのところまで、子どもを見守ってあげなければならない。

だって僕は、教えている子どもたちの人生を変わってあげることはできない。

家が貧乏な子もいる。学校でいじめられている子がいる。親に理解されていない子がいる。

僕がすべきことは、その子らに同情することではない。

教育の目的は、その子らの自力を引き出してあげること。子どもたちの困難を変わってあげることのできない僕にできることは、そこから抜け出すための知力・体力・精神力を最大限に引き出すことにある。

だから最初から答えは教えてあげません。

答えが知りたければ、自分で解くことだ。

そしてキミ自身が解いた答えは、ぜんぶ正解なんだよ。

そう君の答えは、ぜんぶ正解なのです。

だって、自分で解いたんでしょ?だったらそれは、そのぜんぶが正解なのです。たとえ答えの出ない問題であってもね。
おはようございます。

早いもので5月も今日で終わりですね。

「5月病って何ですか?」って言うくらいの年齢になってきましたが、

ほんとに時の経つのは早いものです。

うちの伯母さんも言っていましたが、「10年、20年はあっというま。すぐに年金をもらう年になるよ」と。

最近とても実感がわいてきましたね。とくに5月は10年ぶりに会う友人が多かったせいか、僕だけじゃなく何となく共通認識としてもっているような気がしました。

はてさて、こうして朝から日記を書いているのも、仕事のやり方を6月から全面的に変えることにしました。

誤解がないように言っておきますが、仕事を変えるんではないですからね。

仕事のやり方を変えるんです(笑)

5月の半ばに朝のバイトを辞めて空き時間ができた分、これまでやりきれていなかったことを一気に進めていった感じです。

人に会ったり、本を読んだり、考えをまとめたり、歴史の勉強に没頭したりして今月はいつになく充実した月でした。

さて6月は、その充電した分を「具体的な行動にうつす月」にします。

口先ばかりの人間って、一番信用されませんしね(笑)

で、行動をうつすにあたって考えないといけないことは、やはり戦略的にやるということです。

いいかげん「頑張れば何とかなるさ!」という年齢でもなくなってきているので、ここはしっかり頭を使うようにします。

ほんと普段はくだらんことばかり妄想しているので、頭の切り替えが今月は大変でした。

でも、ようやく結論が出たのでここに記しておきますね。

6月に取り組むことは、「深夜1時に寝て、朝4時に起きて仕事にかかること」です。

これは何もむやみに睡眠時間を削るというわけではありません。

初めのうちは昼寝の時間(15分)もとりたいと思いますし、週末はきちんと寝るようにします。

身体が辛いようであれば、いったん1時に寝て6時に起きるスタイルにしたいと考えています。

無理はしません。健康は大事です。

けれども、精神の健康を保つためには、やはりある程度の規則正しい生活は必要でしょう。

不規則な生活→仕事が後手後手→精神的に不健康→ストレスたまる→無駄な遊びが増える→健康を害する・・・といった悪循環にならないようにするだけです。

僕を知っている人は意外に思われるかもしれませんが、結構僕はテキトーな人間なのです。

たぶんアナタの目にそう見えていないのは、僕が必死で取り繕っているだけだからでしょう(笑)

6月からは、というか今日からはキチンと中身のともなった人間になりたいと思います。

勤めている塾にしても、映像会社にしても僕は管理職です。

管理職の一番の仕事が、「自分を管理すること」であることはいうまでもありません。

この辺の認識がこれまでの僕は甘かったなーと、ここ2週間くらい反省しておりました。

日記の内容もけっこう固い内容になってしまってスミマセンでした

長くなりましたが、僕の一番の仕事が進む時間帯って朝と深夜なのです。

なので1時に寝て4時(もしくは6時)に起きるようにします。

たぶん、こうするだけでこれまでの2倍超は仕事ができるようになるでしょうね。いや、3倍かな(笑)

自分の最大の敵は自分自身です。がんばっている時の自分が、自分に一番甘いもの。

今日からは新入社員のつもりで、張りきりつつも要領よく、スケジュール前倒しでどんどん進めていきたいと思います。

まずは、この1ヶ月でどれだけ自分が変われるかが見ものですね(笑)

ではでは、今月最後の原稿にとりかかりまーす。それが済んだら朝メシだ!

朝メシ前の仕事ってやつですね。
表現力というと、俳優やアーティストの専売特許のように思いがちだけど、

どんなものにも「表現」というものは関わってくるものである。

かつて、かなりご高齢の登山家の女性にインタビューしたことがある。「なぜ、いくつになっても山に登ろうとするのですか?」と。

そしたら女性は、「それはね、山に登っている時の自分が、『いちばん自分らしい』からなのよ」

と答えてくださった。ここにも一人、自分を表現している人がいると当時の僕は感じたものだ。

表現をするということは、『いちばん自分らしくあるためだ』という一言に尽きると思う。

楽器をかなでる人にも、表現がある。

スポーツをやる人にも、表現がある。

文章を書く人にも、表現がある。

山に登る人にも、表現がある。

料理を作る人にも、表現がある。

その分野を好きでない人から見れば、「なんであの人は好き好んで、ああいうことをやっているのだろう」と思うかもしれない。

けれどもそれは、別に義務があるからしているわけではない。

第一、義務でしていて楽しいものなんてない。

勉強が楽しいですか?税金を納めるのが楽しいですか?

誰にも強制されていないから、楽しいし面白いのである。

やっている本人がとても生き生きとしているから、そこに感動が生まれる。

松岡修造もそうした表現者の一人として、僕は尊敬してますね。もちろん、ああなりたいとは思いませんが(笑)

自分にできないことをやっている人がいるからこそ、その人のことが好きだし、思わず応援したくなる。

だからこそ試合に負けたり、作品が認められなかったら一緒になって悔しがるのだと思う。

僕は自分を表現する人が好きだ。大好きだ。

たくさんのクリエーターやアーティストに囲まれている現状をとても貴重なものだと思っている。

その分、大変なことも理解できないことも多いけど(笑)、それでもやめないのはやっぱり表現する人が好きだからだと思う。

人を好きになるのに理由はいらない。恋愛と一緒。

僕はそうした表現者を支える表現者になりたいと思う。

表現者というものは総じて不器用なもので、誰かが力になってやらんと、ほっといたら世捨て人になってしまう(笑)

表現者を支える表現者、その一つに経営者というものがあるのかな。

経営というものも、一つの自己表現だと最近感じる。

同じようにやっていても、経営者の手腕で差は歴然とするもの。

まじめにやればやるほど、自分がゴミのように感じてしまうときもある。

けれどもね、そこで腐ってしまっては負けなのです。

高い表現力とは、すなわちメンタルの強さが生み出すもの。

苦しい時ほど笑っているられる自分でありたいと思う。

ある友人が教えてくれた、「笑顔は努力だと」

努力しなければ笑えない。大人になれば、みんなね。

周りからバカだと思われるくらいゲラゲラ笑う、変で心のたくましい大人でありたい。

生きるということは、自分を表現すること。

その意味を深く問いながら、日常の中に埋没していきたいですね。
今日は昼間に上映会を観たり、夜は高校の時の友人らと飲んで語り合ったりしてました。

今後交流が増えそうな感じで、とてもワクワクしています。

今のタイミングで会うからいいんだよねー。

なんというか、良いことも悪いことも色んな話ができて、それが何より今後の僕の人生にどんどん影響していくところが面白い。

とりあえず目下の目標は、「世界に通じる男になりたい」ということですね。

それはもちろんビジネス的な意味でです。

僕個人の生き方としては、好きな歴史の研究さえできれば、いつ死んでも悔いはないので(笑)



はてさて日記のタイトルの「ノブレス・オブリージュ」ですが

フランス語で直訳すると、

「高貴さは(義務を)強制する」の意味。

一般的に財産、権力、社会的地位の保持には責任が伴うことを指す。

たとえば僕が1兆円稼ぐような大会社の社長になったとしても、

それは決して僕自身の力ではない。

職業というものは往々にして、「なりたいからといって、なれるものではない」。

もちろん名乗ることは簡単。社長だろうが、アーティストだろうが、占い師だろうが。

けれどもそれは、本人の能力もさることながら、周りのメンバーやお客さん、取引先の力があってのことである。

いや『白熱教室』のサンデル教授の言葉を借りれば、本人の力さえも偶然の産物でしかないだろう。

ようは人の立場というものは借り物であって、周りの人の力でやらせてもらっているものである。

何らかの権力を持っている人(たとえば人事権、予算決定権)は、その力の使い方をよくよく考えなければならない。

そうした謙虚さがあれば、おのずと周りに対して頭が下がってくるものだ。

「実るほど、頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」

生徒がいなければ先生はやれないし、読者がいなければライターはやれない。部下がいなければ社長はやれない。

気持ちで感謝することはそうなのだけど、自分が動くことで周りの人に良い循環を与えるきっかけを作るのが上に立つものの務めだと思う。

僕は日本人で武士道精神だけど、騎士道や貴族の矜持に学ぶ点も多いと感じる。

とまぁ、それっぽっく書いてはみたけど、ようは自分がばりばり動くことで多くの人のための仕事を作りたいなということ。

仕事があるということは、人にとって欠かせないことである。

よく経営者の人が「天命」という言葉を使ったりするが、僕は面白いから仕事をする。

それが、その時代を生きる多くの人の考えと重なっているなら最終的には成功するだろう。

もっと大きな大人にならんと。世界のどこに行っても通じるような大きな大人に。

「ノブレス・オブリージュ」、僕にとっての責務が何かを常に自分に問いながら生きたいと思う。
なんやかんやと忙しい毎日が続きますが、

そんな忙しさの中でも確実に進めていかないといけないことってあると思います。

とくに頑張っている時の自分が、一番自分に甘い(笑)

自分の敵は自分自身だというのは昔から言われていることですが、

客観的に自分を評価することって必要だと感じます。

満足は自信につながりますが、行き過ぎれば単なるうぬぼれというもの。

いったん自分をリセットしなければ、前に踏み込めない時というものはあるものです。

僕自身、成長しないといけない時期に差しかかっています。

それはこれまでの日常の延長線上にあるものですが、

目標地点を考えれば、これまでのスピードでちんたらやっていては駄目です。

時に行動の遅さというものは罪だと感じます。

てなわけで、これまでの自分のやり方を白紙に戻して、フルモデルチェンジしたいと思います。

これまで人に言われていることを素直に実践します。

僕はまだまだ成長する必要があります。こんなところで留まっている場合ではない。

自分に厳しくというか、いったん自分を捨て去ることも必要でしょう。

いったん捨てなければ、新たなものはつかめないものです。

僕も27才になってある程度の経験は積んできたつもりですが、同時に変なプライドまでしょい込んでしまっています。

昔のような素直さが、最近少し薄れているように感じていました。

僕は成長したい。

だから、いったん自分を否定します。全否定。

10代の頃じゃあるまいし、結構これは勇気いることですね(笑)

けれども、僕は成長したいのです。

そのためには自分の価値観だけに縛られていては、もはや限界があります。

今年に入って色んな人に会っていますが、ようやくそれらを実践する時だと思います。

自分を生かすも殺すも、最終的には自分次第です。

悔しかったら這い上がる、駄目なところがあったら徹底的に直していく、成功したらその成功を捨て去る、そして新たな環境に自分の身を放り込む。

人生とは自分と向き合うことの繰り返しだと思います。いくつになっても。

というわけで、僕は一歩踏み出します。

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「今こそ出発点」

人生とは毎日が訓練である

わたくし自身の訓練の場である

失敗もできる訓練の場である

生きていることを喜ぶ訓練の場である

今この幸せを喜ぶこともなく

いつどこで幸せになれるか

この喜びをもとに全力で進めよう

わたくし自身の将来は

今この瞬間ここにある

今ここで頑張らずにいつ頑張る


京都大仙院 尾関宗園
『だからあなたも生き抜いて』
(著者 大平光代 講談社)(p247)の引用