表現力というと、俳優やアーティストの専売特許のように思いがちだけど、

どんなものにも「表現」というものは関わってくるものである。

かつて、かなりご高齢の登山家の女性にインタビューしたことがある。「なぜ、いくつになっても山に登ろうとするのですか?」と。

そしたら女性は、「それはね、山に登っている時の自分が、『いちばん自分らしい』からなのよ」

と答えてくださった。ここにも一人、自分を表現している人がいると当時の僕は感じたものだ。

表現をするということは、『いちばん自分らしくあるためだ』という一言に尽きると思う。

楽器をかなでる人にも、表現がある。

スポーツをやる人にも、表現がある。

文章を書く人にも、表現がある。

山に登る人にも、表現がある。

料理を作る人にも、表現がある。

その分野を好きでない人から見れば、「なんであの人は好き好んで、ああいうことをやっているのだろう」と思うかもしれない。

けれどもそれは、別に義務があるからしているわけではない。

第一、義務でしていて楽しいものなんてない。

勉強が楽しいですか?税金を納めるのが楽しいですか?

誰にも強制されていないから、楽しいし面白いのである。

やっている本人がとても生き生きとしているから、そこに感動が生まれる。

松岡修造もそうした表現者の一人として、僕は尊敬してますね。もちろん、ああなりたいとは思いませんが(笑)

自分にできないことをやっている人がいるからこそ、その人のことが好きだし、思わず応援したくなる。

だからこそ試合に負けたり、作品が認められなかったら一緒になって悔しがるのだと思う。

僕は自分を表現する人が好きだ。大好きだ。

たくさんのクリエーターやアーティストに囲まれている現状をとても貴重なものだと思っている。

その分、大変なことも理解できないことも多いけど(笑)、それでもやめないのはやっぱり表現する人が好きだからだと思う。

人を好きになるのに理由はいらない。恋愛と一緒。

僕はそうした表現者を支える表現者になりたいと思う。

表現者というものは総じて不器用なもので、誰かが力になってやらんと、ほっといたら世捨て人になってしまう(笑)

表現者を支える表現者、その一つに経営者というものがあるのかな。

経営というものも、一つの自己表現だと最近感じる。

同じようにやっていても、経営者の手腕で差は歴然とするもの。

まじめにやればやるほど、自分がゴミのように感じてしまうときもある。

けれどもね、そこで腐ってしまっては負けなのです。

高い表現力とは、すなわちメンタルの強さが生み出すもの。

苦しい時ほど笑っているられる自分でありたいと思う。

ある友人が教えてくれた、「笑顔は努力だと」

努力しなければ笑えない。大人になれば、みんなね。

周りからバカだと思われるくらいゲラゲラ笑う、変で心のたくましい大人でありたい。

生きるということは、自分を表現すること。

その意味を深く問いながら、日常の中に埋没していきたいですね。