スイッチ | たかしまりょうのかたりましょう♫

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かたりすと・高島 亮のブログです。

かたりましょうのたかしまりょうです。

 

 

ぼくはダラダラすることが多いです。

 

よだれをダラダラ垂らしているわけじゃありませんよ。

 

あ、でも座ったままウツラウツラしていると、

よだれが垂れちゃうこともあるな(ダラダラではないけどね)。

 

鱈ばっかり鱈鱈と食べているわけでもありませんよ。

 

鰤鰤怒っているわけでもありません(鱒鱒わけわからん)。

 

ちなみに、

明太子をダラダラと食べていると、

身体がだんだん透明になるとかならないとか。

 

透けそうだら。

 

アメリカのお金ばっかり数えているわけでもありませんよ。

 

ダラーダラーって。

 

いつまでも数え続けていくと、

日本のお金も混じってくるみたいですが。

 

えんえんと続く・・・

 

 

 

すでに元が何だったのか(つーか、中国のじゃありませんよ)、

元の話がわからなくなりつつありますが、

ダラダラです。

 

ぼくはダラダラしてしまうことが多いんです。

 

やらなきゃいけないことがあるのに、

ダラダラ(今も?)。

 

なかなか取りかからないで、

ダラダラ(今も?)。

 

意味もないことをやって、

ダラダラ(今も?)。

 

でも、そもそも、

ダラダラって、何がダラダラ?

 

やらなきゃいけないことをしていないのが、

ダラダラ?

 

すぐに取りかからないのが、

ダラダラ?

 

意味のないことをする(意味のあることをしない)のが、

ダラダラ?

 

ダラダラは、

自分が(その人が)ダラダラと思ったら、

ダラダラ。

 

それが(ダラダラに限らず)本質だと思います。

 

それに、ダラダラは、

悪い(と決まっている)わけじゃありません。

 

ダラダラは悪いことだと思ったときに、

良くないものになるんだろうと思います。

 

だから、

ダラダラしたっていいじゃん。

 

と言いたいわけでも、

開き直っているわけでも、

ないんです。

 

こんなことを書きながらも、

あー、またダラダラしちゃってるなー、

やらなきゃいけないことやらなきゃいかんだろー、

とも思っているんですよ。

 

これぞ、ダラダラですね。

 

タラタラとも言うかな。

 

 

 

でも、そういうぼくでも、

ダラダラじゃないこともあります。

 

やらなきゃいけないというよりも、

やりたいと思ってやっちゃう。

 

なかなか取りかからないどころか、

すぐに取りかかる。

 

意味があるかどうかも気にせず、

ノリノリでやる。

 

もう、ダラダラりょうとは別人30号(3◯GO)です。

 

いわゆる「スイッチが入る」という状態。

 

スイッチが入ると、

ほっといてもやるんです(今も?)。

 

スイッチが入ると、

すぐにやるんです(今も?)。

 

スイッチが入ると、

意味のあるなしに関係なくやるんです(今も?)。

 

自分の元(もと)とつながるからなんでしょうね。

自分の素(もと)と言ってもいいでしょう。

 

スイッチは、素一致。

 

素(す)の自分と一致すると、

スイッチが入る。

 

スイッチが入ると、

素の自分が出る。

 

素一致になって、

素を出せると、

楽に楽しくなります。

 

物事も、

スイット進みます。

 

するとそこには、

スイートな時間が訪れる・・・

 

かもしれません。

 

 

 

でも、考えてみると、

ノリノリだけでなく、

ダラダラもまた、

素の自分なんでしょうね。

 

ダラダラしているときは、

自分の素の中でそのときに一番適した素(ダラダラ)が出ている、

ということなのかもしれません。

 

ノリノリでもダラダラでもなく、

淡々とやるときもまた、

素の自分なんだろうと思います。

 

ダラダラも、

ノリノリも、

タンタンも、

そのときそのときの素の自分。

 

そう考えれば、

いつも素一致。

 

いろんな素一致を、

そのときそのときで切り替えているのかもしれませんね。

 

よく、「本当の自分」という言い方をしますが、

つまり、「素の自分」ということになるんでしょうけど、

それって、「今の(そのときの)自分」のことでしょうから。

 

そう考えたら、

ダラダラも、

ノリノリも、

タンタンも、

みなOK。

 

いつもスイッチオンで、

いつも素一致御の字。

 

楽しいね。