「あいちトリエンナーレ」は「表現活動」にとって最悪の結果に | 戦略PRプロデューサー・片岡英彦【公式】ブログ

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この少女像をこの微妙なタイミングで「芸術」として展示しようというセンスは最悪だと思う。私は感心もしないし、絶対に観に行こうとも思わない。だが、そういう私が思う「センスの悪さ」(悪趣味)を「好き」だという人(物好き)もこの世にはいる。クローズドの場に展示するというならば、勝手に展示して、観に来たい人が勝手に観に来れば良いと思う。


その上で、私は面倒臭いので、いちいち展示に反対しようとも思わないが、反対したい人は徹底的に反対して、デモ行進するなり、スポンサーに圧力かけるなり、クレーム電話かけるなり、合法的に断固反対すればいい。それも「表現の自由」だ。もっとも、かえって作品に注目が集まることになる。


「ガソリン缶を持っていく」なんて言う人は、それは「犯罪行為」なので、表現の自由とは別の問題だ。警察が徹底的に捜査して、逮捕して、裁判で罪を与えればいい。そっちの捜査は徹底的にしないと。←政治家がキチッと言及すべきはこっちの捜査(行政権)だと思う。


展示をした

→世間が騒いだ

→脅迫があった

→政治家が関与した

→展示が中止になった

この流れは「表現活動」にとって萎縮効果を生む。最悪だと私は思う。以上は一人の「表現者」としての意見。


一方、民間のPR屋の意見としては、、、


アート展には2つの側面がある。芸術性と商業性。主催者が芸術性を重視して、フルスペックで好き勝手の自己表現をしたいなら、民間スポンサーや公共機関の力を借りずに、最初から自主興行でやればいい。圧力に屈するも、意思を貫くも、自律性は保てる。


芸術活動を支援、保護することは行政にとっても重要ではあるが、公的資金や民間企業の協賛が入るならば、教育とか地域ブランドなどの視点から、それなりの「忖度」は必要になるのだろう。


お金を出す側は普通は少なからず立場上から口も出す。「パトロン」の懐の深さも無限ではない。「表現の自由」は政治家やスポンサーの側にもある。


プロならば芸術性と商業性のギリギリの狭間で、もっと上手くやって欲しい。