東芝の「サザエさん」降板が話題になっているようです。
スポンサーによる「番組提供」は、その時代その時代の「旬」となるパッケージ映像を使って自社ブランドや自社商品の訴求を市場に対して行う「スポンサードコンテンツ」の1つであって、決して「社会貢献」ではない。時代の変化とともに市場に合わなくなれば、提供を打ち切る、あるいは内容の見直しを図るのは当然である。
ただし「サザエさん」のように長年に渡り特定の企業ブランドとともに育ち、国民全体に定着したコンテンツの場合、短期間で改編されたり打ち切られる番組とは比べようもないくらいの大きな影響を社会全体に与える。時に企業イメージにネガティブな影響をも与える。これはスポンサーサイドもコンテンツサイドも望むことではないはず。特に社会全体へのコミュニケーション(Public Relation)上ので慎重な対応が必要とされる。
戦後間もない1946年に連載開始。TVアニメとしては1969年から放送されている。普通に考えれば、これだけの長期間に渡り特定のコンテンツが「旬」であり続けるわけがない。数え切れないくらいの「ブラッシュアップ」が、これまでに行われ、その時々で時代に合わせたチューニングがなされている。10年続くテレビ番組などほとんどない中で、50年近くも1つのタイトルの番組が続くことは、そもそも「奇跡的」なことである。
若い世代の方たちが「サザエさん」を視聴すると、そのキャラクターや時代設定は「古臭い」と思うのかもしれない。物心ついた頃からネットやスマホ、SNSを使いこなす世代にとっては「大家族」という設定自体が「??」かもしれない。
しかし、1946年当時の日本の置かれた状況を考えると、そもそも「おてんば」というキャラクターを微笑ましく(ポジティブ)に描いた女性が主人公の作品は皆無だったのではないか。「サザエさん」に描かれる家族の中では、時に父親(波平)が家族に「からかわれる」ことがある。戦前までの日本文化ではこうした「家族」を描くことが自体タブーに近かったことも想像できる。サザエさんとマスオさんとの「フランク」な家庭内での関係は、当時の社会においてはどれだけ先進的なものだったかも想像がつく。
ところで、私の今年94歳で他界した祖母は、長谷川洋子さん(サザエさんの原作者の長谷川町子さんの実妹)の女学校時代の大親友だった。長谷川毬子さん(まあねえちゃん)と3姉妹が姉妹社を設立した頃の話を、生前、私によく話してくれた。
亡くなった祖母はこの3人姉妹とほぼ同時代を生きた。さらに祖母の夫(私の祖父)は作品中のマスオさん同様に私の祖母の両親と同居し(いわゆる磯野家と似た「大家族」)として戦後を過ごした。戦争で日本の国土も日本人の心も荒廃した中で、3姉妹が漫画作品を通じて戦争のない新しい時代の、新しいタイプの女性を描いた。この活動に私の祖母はずいぶんと自信をつけられたとよく言っていた。祖母は私によく「サザエさん」が描かれた町子さんと洋子さんからの年賀状を見せてくれた。
テレビ作品に流行り廃りはあるのは当然だが、そのコンテンツが長年に渡ってどういう「役割」や「意義」を持ってきたのか、こうした社会的な価値が廃れることはあってはいけない。今でもその当時の作者が作品を通じて伝えたかったことの、その「思い」は尊重されるべきだと信じている。