だれも読まないブログを今日もシコシコと・・・。

いつか、多くの人が目にして、すこしでも日本経済のことを考える人が増えることを願って・・・。

今日は、経済学あるいは経済理論について一番重要なことについて書きたいと思います。

それは、「経済あるいは経済学は難しい」と思っている人に「難しいのではなくて、むしろ、経済についてよくわかっているのはあなたです」・・・と言いたいのです。

 

わたしの友達に「経済学と言う学問は時代の流れによって変遷してゆくものだ」と言うと、「それはおかしい、経済学も学問と言うなら、数学、物理学、化学あるいは天文学と言った学問と同じように不変で変わることがない真理を追究する学問であるべきだ」と譲らない人がいます。

経済学は”物を生産”したり”それを消費する”と言う人々の経済活動を考える学問です。 なので、時代が変わりその国の経済状態も変化・成長して、人々の経済活動の行動や考え方が変わってくると、それに応じて経済理論も変わらざるを得ない・・・というわけです。 多くの人は”xx学”と「学」がついているので、わたしの友達同様に、経済学は変わらない真理を伝えていると勘違いしているのです。

 

経済学を難しくしているもう一つの理由は、経済学者がいっている経済理論には暗黙の”前提条件”があるのです。 その前提条件を明確の述べることをしないで「金融を緩和すれば日本経済は復活する」と主張するので一般の人にはその理論が正しいのか、そうでないのかについて、判断あるいは理解できないないのです。

その前提条件とは「人々はお金があれば物を買ったり旅行したりし、消費して豊かな生活ししたいと思っている」あるいは「起業家は機会があれば投資してビジネスを拡大させ、儲けたがっている」と言うものです。 その前提であれば金融緩和は物の生産も消費も増え経済が活性化します。

ところが、一般の人達(私も含めて)は半世紀前の昔のように「お金があれば買いたいものがいっぱいある」・・・と言う程に消費を増やしたいと思っている人ばかりではないと言うことを知っています。 また企業家も「生産を増やせばものが売れる時代はむかしの話だよ・・・」と思っている人が多いことも知っています。

なので、「金融を緩和すれば日本経済は復活する」とだけ聞いてもピンとこないのです。 「アメリカ仕込みの偉い学者先生が言っておられるのでそうなんだろうナァ・・・」となるわけです。

 

一般に、ある経済理論が前提としていることが現実の社会とずれていれば私たちにはその理論が理解できません。 言い換えれば、ある経済理論が正しいか、間違っているのか?はその理論の前提条件を明確にしてもらえれば、私たちはその理論が正しそうなのか?あるいは、間違がっているのか?・・・について、わたしたちは経済学者よりももっと的確に・正確に判断できるのです。 なにしろ、私たち自身が消費者であり、起業家・経営者であるから。

 

前提条件を明確にしないままに突き進んできた典型例はアベノミックスと異次元金融緩和理論(政策)だったとおもいます。 「インフレにすれば好景気になる」と言う理論の前提条件は「インフレは企業の利潤を大きくする(生産した時の物価よりそれの販売時の物価が高くなっていれば利益が増えるのは正しい)、そして、儲かった利益は従業員の賃金アップにつながる」「消費者は収入が増えれば消費を増やす」「ますます起業家は生産投資を増やす」と言うものだったらしい・・・です。

しかし、現実は、企業は賃金アップすることはありませんでした。また、消費者は消費を増やすこともありませんでした。 

 

かって、黒田春彦さんが、異次元金融緩和されても一向に経済回復の兆候が見られない中「(金融緩和しても、企業投資にも消費者の消費にも影響しないのは)日本人はどこかおかしい、普通ではない・・・(ふつうの国民なら、投資、消費に反応するはずだ)」と言う趣旨の発言をされていたのを覚えています。 

すなわち、黒田さんは、異次元金融緩和に人々の消費行動そして企業の投資行動は前向きに反応する・・・という前提条件を信じておられたわけです。

もし、異次元金融緩和の前提条件(「人々は常に消費したがっている。企業は利潤を上げるために常に投資をしたがっている」)が示されていれば、それが効果を発揮するのか、否かは私たち自身が容易に判断できていたかもしれません。


 

 

さて、ここで、経済学が、”なぜ”、”経済成長”を暗黙の前提としているかについて少し話したいと思います・・・。

経済学が経済成長を前提としている背景には2~3の理由があります。 

ひとつは「人々は常によりよい生活を追い求めるものである。そしてそれは人間の本性である」と言うものです。 産業革命以前、私たちは人あるいは牛馬によるエネルギーによる生産をおこなっていましたが、産業革命以降、私たちは内燃機関と言う新しいエネルギーを獲得して、飛躍的に生産性を上げることができるようになりました。 今日よりも明日、今年よりも来年、はもっと良い生活をができることを知りました。 産業革命以降、私たちは生産を増やし、消費を増やし、よりよい生活をえることが当たり前となり、経済は成長するのがあたりまえで、それが正常な状態であると信じるようになりました。 経済理論も経済成長が当たり前で、成長しない経済を考えるということ自体無意味・・・と言うことになりました。

 

経済が停滞する時の経済を扱った私が知っている唯一の経済理論は、アメリカ経済学者レスターサローが今から40年以上も前(1980年?)に表した「ゼロサム社会」です。 サローはその本の中で「経済成長が停止して、ある者が利益を得ると誰かがその分だけ不利益をこうむる社会」について論じています。

経済学が経済成長を暗黙の前提条件としている2つ目の理由は・・・、サローが「ゼロサム社会」で指摘するように、自由主義経済のもとでは毎年の経済成長がないと”貧富の格差が拡大”し社会が不安定化します。 このため、経済成長は常に社会的な命題(課題)となっているのです。 このため、経済学もその主要テーマは経済成長を扱うものとなっているのです。 経済成長を実現しない経済学は受け入れられることは無いわけです。

 

低成長が普通の状態になってくると、経済学者はなんとか成長する経済理論を作ろう・・・といろいろな学説を作りました、マネタリズム、新自由主義、合理的期待形成、など・など・・。 いずれの理論もある種の前提条件or仮説をベースにして、その上に論理を展開する・・・と言うことになります。 私たちにはその前提条件を丁寧に解説してもらわないとその正当性が分かりません。 時の政府・政治家は(自分に)都合の良い理論に乗る傾向にあります。 アベノミックスの異次元金融緩和もその一つで「日銀が金利を下げて、国債をどんどん買ってくれれば景気が良くなる・・」と言うのですから、これ以上に政治家にとって都合の良い理論は無かったわけです。

 

 

このようないろいろな学説・理論と一線を画して、「経済成長にはその根本である科学技術の発展による魅力的な製品開発によってのみ達成される・・・そして、日銀は貨幣価値を維持することを最優先すべきである。」と主張する専門家ももちろん多くいます。 

また、低成長に伴う貧富の格差に目を向けるべき・・・と主張する人も沢山います。

私たちは、高い経済成長を追い求めるばかりでなく、ちょっと立ち止まって、もっと重要なことがあるかもしれない・・・と振り返る時代にいるのかもしれません。

 

 

参考資料: 貧富の格差の拡大・・・