私は11坪7人家族、
大正7年生まれの祖母に
育てられました。
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地元の漁師だった祖父は
太平洋戦争に出征し、
ガダルカナルの戦いで命を落としました。
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祖母は2人の男児を抱えた
『戦争未亡人』となり、
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さらに戦争孤児となった甥を引き取り、
3人の男児の子育てを一手に担いました。
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漁師町で船に乗れない女が
1人で暮らしていくには商売しかない、
と祖母は思ったのでしょう。
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生鮮食品は足が早く競合も多い中で、
単価は安いですが、祖母は
菓子類やアイスクリームなど
日持ちする商品に目をつけました。
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さらに夏場には綿あめ、
冬場には漁で冷えた男たちを温める
たこ焼きを販売しました。
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いずれも原材料は日持ちし、
仕入れ費用も廉価で、
女手ひとつでも商売を
成り立たせることができる、
見事な経営戦略でした。
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私も10歳から祖母の横で
たこ焼き屋の手伝いをしていました。
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不利な条件の中で、
どうやって戦うかという英才教育を
祖母から受けたのだと思います。
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祖母の教えに加え、
私には今も忘れられない風景があります。
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祖母のパンツです。
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物干しに
祖母のツギハギだらけの
パンツが干してありました。
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よその人に見せるものではないからと、
穴が開いても布を継ぎ足して
はき続けていました。
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子ども心にも
『ばあちゃんは、
ものを大事にしているんだな』
と思う反面、
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さすがにパンツくらいは
買えるだろうと思いました。
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でも、これが
祖母の決意だったのだ
と思います。
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戦後の混乱期には、
家族や財産を失い、
困窮して身体を売らざるを得ない
女性も少なくありませんでした。
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おそらく彼女たちは、
“女”として生きていくために、
ツギハギだらけのパンツは
はいていなかったでしょう。
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ひょっとしたら色とりどりの
下着を身につけていたのではないか
と私は考えます。
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あの時代では、
その選択も正義だと思います。
誰も責められません。
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かたや祖母は
商売と子育てに振り切りました。
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それが綿のツギハギだらけの
パンツだったのだと思います。
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私は小さい頃から、
貧困から抜け出すには、
誰からも奪われることのない
資格を身につけて自立するしかない
と感じていました。
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医師になることは、
私にとって生きるための
手段でもありました。
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そして、
豊かな生活とは、
選択肢があることだと
私は思っていました。
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ピンクの口紅もいいけど、
濃いローズだって紫色だって選べる、
それが豊かさです。
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よく“自分で選んだことだから”
と言う人もいますが、
実は違います。
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選択肢がない人だっているんです。
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私も
『医者になれなければ女中になれ』
と、父親に言われて、
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職業選択の自由なし、
背水の陣から始まったので、
それはよくわかります。
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貧しさとは、
親の経済力、家柄、経済状況……
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人は自分が生まれてくる
環境を選べません。
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最近では
「親ガチャ」という言葉も耳にします。
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もし自分がすでに
“親ガチャ”で負けているなら、
負けた土俵にずっといてはダメです。
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人から与えられた土俵が
自分にとって辛いのなら、
新しい土俵に移ってもいいんです。
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だって自分が選んだと思っていても。
実は、選ばされたってこと、
多いんですよね。
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だから
時には振り切る勇気も大事だし。
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今はインターネットの発達で
情報量が格段に増え、
新しい土俵を創ることだって可能なのだから。
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8月15日に想う
女医の日常。
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■富永喜代プロフィール
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医療法人TMC(Tominaga Medical Communication)理事長。
富永ペインクリニック院長。医学博士。産業医。
465gの赤ちゃんから104歳の高齢者、
FIFA日本サッカー代表などのプロアスリート選手など、
(通常1日2人のところ)1日平均12人、
2万人超の臨床麻酔実績を持つ。
YouTube 総再生回数 5900万回突破。
チャンネル登録者数 26万人。
SNS総フォロワー数 42万人。
経済産業省
『平成26年度健康寿命延伸産業創出推進事業』を
委託されるなど、痛み最新医療のリーダーとして
注目されている。
確かな腕とユニークなキャラクターが人気を呼び、
NHK「おはよう日本」
TBS「中居正広の金曜日のスマたちへ」、
などのテレビ出演多数。
肩こり改善メソッドの処女作
「こりトレ」(文藝春秋)は10万部など、
累計 98 万部の著者である。