あの日のことは今もまだ鮮明に覚えてる。 | Music♪Road

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きっと見つかる
私しか歩けない道を
もう少し ゆっくり歩こう




きっと忘れることなんてないのかもね。




っていうか忘れちゃいけないよね。




3年前の今日、何人もの命がなくなってしまった日。




私は、その日中学生で、学校で体育祭のダンスの作成を何人かでやっていた。




いつもと変わらない風景だった。




はずだった。




突然、大きい揺れがきてみんな机の下に隠れたけど私の周りには一つの椅子しかなくて




その椅子をおびえてる近くの友達に頭を守るようにかぶせてあげた。




ロッカーの本、道具、カバンなどが落ちたけど、




幸いなことに黒板の前にいた私の所にはチョークの粉しか落ちてこなかった。




どれくらい揺れただろう。




結構な長い時間揺れてたな。




少し落ち着いてみんなで非難した外では雪が降り始めた。




停電で暖をどうやってとるのかと心配になった。




それと同時に家の事が心配だった。




避難した後、外では泣いてる女の子がいっぱいいた。




とりあえず、帰ることになって私はバス通学だったのでバスに乗ろうとしたら、




お母さんが弟、愛犬をつれて学校まで来ていた。




その時安心したのを覚えてる。




ウチんちはあの大きな揺れで食器が1つ割れただけだったみたいで驚いた。




それから、電気がない状態で4日間過ごした。




学校で作成した電池式のLEDあんどんが役にたったり、




1台のストーブがあり、それで暖をとったり。。




何より、近くに家族がいる事が何より安心した。




電気が復旧してつけたテレビに映し出された映像は、




私の住んでいる地域よりはるかに悲惨な何とも言えない風景でした。




この地震で何人もの命が天に連れて行かれた。いきなり。なんの前ぶれもなく。




これからやりたいこともたくさんあったと思う。




叶えたい夢もあったと思う。




そのときは神を恨んだりもした。




どうして、、と。









高校1年になり高田にボランティアに行った。




暑い日でじっとしてても体力が奪われるような暑さだった。




でも、草刈り、泥出しをした。




泥の中から見つけた津波で流されたであろう誰かの保険証。




心が痛くなった。




辛くて、大変なボランティアだったけど満足してない。




3年目に入って人々の記憶から薄れかけてる東日本大震災でのできごと。




将来、自分の子供にも教えてあげたい。




話してあげたい。




命の大切さを教えてあげたい。




私も今回ので命の大切さをあらためて、より強く感じた。




それじゃあ遅いかもね。




起きてからじゃ、後悔しか残らないかもしれないね。




でも、いままで起きなかったらこんな気持ちは味わえなかったかもね。




神様は教えてくれたのかもしれない。




私達に。









今回の東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。




そして、まだ家族の元に帰れてない人達がはやく帰れますように。




3/11 14:46




☆ミ